一番、困るのは、知ったかぶりされることで。
本当にわかっているのか、見分けるのが難しく。
知ったかぶりをしていたのが解ると信用を失いかねない。

基本的に、相手が解っていますというと、相手を、信用してわかっていることを前提に話を進める事になる。
ただ、相手が、本当はわかっていないとしたら、最初から話が違ってくる。
前提が違うからで。それが、話が、かなり進んだところでわっかていない事がばれると深刻な信用問題に発展する危険性がある。
特に基本的な事で解っていないと、知ったかぶりされると気がつきにくい。
当人が解ったつもりでいると、嘘をついているという自覚がないから、なおさら見抜くのが難しくなる。

相手が解っていないで、自分は、わかっている場合。
相手は、わかっているが、自分は、わかっていない場合。
相手は、わっかていなくて、自分もわかっていない場合等がが考えられる。

問題は、知ったかぶりをされると、自分が解っていても、相手が解っていない事に気がつかず。
相手は、理解している事を前提として話を進めてしまう。
いつまでたっても自分の望む結果が得られない。原因もつかめないという事になる。

だから、わかりましたというのは怖いのである。

最悪は、自分も、相手も、知ったかぶりをしている場合である。
こうなったら何をしても無駄である。

なぜ、知ったかぶりをしてしまうのか。
一つは、苦って意識があって、一々、説明するのも、面倒で、説明されるのも鬱陶しく、つい、わかってますと言ってしまい。後で、訂正できなくなっり。
ついつい、言い訳がましくなる。
二つ目は、必要だと思っていない。だから、知ってるふりをしてごまかそうとする。不誠実なのである。
わかっていないと思っていない。つまり、無自覚だという事でこれが一番質が悪い。
なぜなら、自分も、わかっていると思い込んでいる。
本当は自分はわかっていないのに、わかったつもりになっているだけで、自信をもって間違えているから、相手も騙されてしまう。
こういう場合は、本当にわかっている人が、わかってない事にされてしまう。
それから、自尊心で、自尊心の裏側にあるんが劣等感で、わからないというのが死ぬほど厭だという人が結構いる。
また、他人に馬鹿にされたくないという事もある。
わからない事が知られると信用がなくなる。
相手にされなくなるという思い込み。
それから嘘がバレる。その事で責任が問われる。
途中で解っていなかったというのがばれると、それまでに言い分が全て噓になる。
更に、わかっていないと解ったら、今の仕事を外される。
こうなると恐怖である。死に物狂いで、知ったかぶりをする。

相手も、わかっていないし、自分もわかっていない。
そうなると、何をやってもうまくいくはずがない。
しかも、その原因が、わからないし、解明の糸口もつかめない。

例えば、簡単な計算もできないとか、言葉もわかっていない。
または、簿記とか、基本的な基本知識。
今更聞けないといった事。

昔は、基本、基本と躾けられたが、いつの頃からか、基本を蔑ろにし、馬鹿にして。
いつの間にか、基本が失われ、今更と誤魔化してきた。

自分も、恥かしい事だが、報告式と勘定式の違いが分からず、これでは駄目だと簿記の仕訳問題を何年も繰り返しってやっとわかる様になったけど。
簿記を理解していないと経営ができないのは当然である。
物理数学に行き詰ったら、小学校の数学からやり直したほうが早い。
知ったかぶりすると後で祟るし、周囲にも迷惑をかける事となる。

わかっていると思えば腹も立つし、間違うし、わかっていないと思えばやりようもあるし、腹も立たない。
気の毒なのは、若い者で、上が解っていないと気がついても、たしなめる事も、従わないわけにいかない。
このままでは、若手は窒息してしまう。
上に立つも名は謙虚になり、知ったかぶりをしない事だ。