一見簡単そうに見えて、最後の詰めが難しい。
具体的に話を詰めてないと、手もつけられないで、時間ばかりが立ってしまい。結局、やっつけ仕事になってしまう。
決めの段階に入るから、最後の一踏ん張りを忘れない。
詰めを忘れた仕事は、底のないバケツのようなものだ。
底のないバケツのような仕事はするな。
仕事というのはウナギのようなもの、尻尾を捕まえようとしたら、ヌルヌルと掴みどころがなく、先へ先へと逃げていく。
結論が出た直後、問題が掴めた直後に首根っこを抑えないと、いつまでたっても掴みどころがなくなる。
一杯いっぱいの仕事だとゆとりがなくなるから、ある程度のノリシロを作ることを忘れるなよ。
言われたことを言われたとおりやらない人間には、自分たちは言われたとおりやっていると言い張る。
じゃあ、言われたことを言われた通り言ってみろというと言えない。
言われたことを寸分違えず言えなければ、言われたことをやれるわけがない。
指示、命令を再現できなければ、いわれたとおりの仕事はできない。
だから、指示命令が出されたら復唱する事が求められた。
復唱もせ出来ずにわかっていますと言うのは逃げているのに過ぎない。
会議や、打ち合わせの最後に、もう一仕事、具体的にどうするかを詰める。
それが締めだ。締めなければ締まらない仕事になり。
次がなくなる。
尻切れトンボになる。
底のないバケツでいくら水を汲んでも、水は、底から漏れていつまでたっても水は汲めない。
それでは仕事にならない。
一見、簡単そうに見えて、最後の詰めは難しい。
難しいと思ってないと仕事に繋がらない。
最後の難関、壁だと思ってかからないと。
検討するでは、まだ、詰めの段階に至っていない。
そこからいつ、だれが、何を、どのように検討し、その結果をどのように、誰に報告する釜で明らかにする。
食事に行こうでは何も具体性もない。
フランス料理店に行ってフルコースを頼むのか、大衆料理店に行くかで、食事の意味も全く違う。
次の設問に答えられるか。それが詰めだ。
問 おい、お前、一万円やるから、最近入った若いの飯でも連れて行ってやれや。
後で結果を報告しろよ。
さあ、困った。
簡単に見えて簡単じゃあないからな。
問 経営会議で社員教育を担当することになりました。
会議終了直後にどうしますか。
問 電話に出たら、慌てた声でガス臭いと訴えています。
どう応答しますか。
問 自分のお客さまから他店のお客さまを紹介された。
問 後輩が、お客様とトラブルを起こしているけど、上司に報告していない事に気がついた。
問 営業でアイディアが浮かんだ。さあどうしたら実現できるか。
問 プロジェクトリーダーを任された。最初に何をしたらいいか。
途中、気を緩めても仕方ないけど、最後の三分は集中するように。
問 六人で食事に行こうと言う事になった。どこがいいかと聞いたら。
二人は、カレーがいいと言い。三人はかつ丼がいいと言った。
自分は、カレーが食べたい。
さあどうする。
どの設問の絶対的結論はない。
問題は、直後にどのような行動をとるかであり。
一番悪いのは決められない事。
最後の詰めは、決めである。
だから難しい。決めなければ始まらない。
同じ設問でも、「じゃあやる」という答えが出る事もあるし。「じゃあ辞める」という答えになる事もある。
最後まで分からんのよ。
最後の最後まで手を緩めるなと。
問いに対する答えとは何か。
それは、出された結論に、五W一Hをつける事、要するに、目鼻立ちをハッキリさせ、現実の仕事に結びつける作業である。
それが最終的詰めであり、出口、落とし所である。
議長や議事進行役は、いつ、どこで、どの段階で、この切り札を出すか、それが一番の役割だと言っていい。
たとえば、野球をすると結論が出たら、何時、どこで、誰と、何を、するのかを付け加えていく。
例えば、今度、皆と飲みに行こうでは、まだ、最後の閉めまで至っていない。
まだまだ、混沌としている。カオスであり、海の物とも山の物とも見当がつかない。
目鼻立ちがない、よく、のっぺらぼうの仕事と叱られた。
そこで、目鼻、つまり、いつ、だれと、どこへと目鼻をつけていく。
これでも甘い、それでどうすると叱られる。
この部屋を一歩出たらどうする。誰のところにいて、どう話をもって行く。
どこから手を着けて、どう筋を通すのかと。
そこを詰めて、はじめて合格させられる。
話足りないと思ったら、わざと話を蒸し返して、出口に結び付けない。つまり、決めない。
ようするに打ちまわすんだな。ただ、やりすぎると、結論が出なくなったり、落としどころを間違う。
逆に、決められた制限時間が迫ったら、何に、五W一Hに結びつけ、出口に結び作るかを考える。
最終結論に至らなければ、次回に結びつけ、方針だけでも決めておくといった具合である。
それが閉めである。
そして、五W一Hに結びつかなければ閉まらない。
そして、仕事にならない。現実に落ちない。結びつかない。
もう一度、設問を読みかえしてごらん。
問 おい、お前、一万円やるから、最近入った若いの飯でも連れて行ってやれや。
後で結果を報告しろよ。
さあ、困った。
簡単に見えて簡単じゃあないからな。
五W一Hに結びついた事が、その時の結論である。
問 経営会議で社員教育を担当することになりました。
会議終了直後にどうしますか。
問 電話に出たら、慌てた声でガス臭いと訴えています。
どう応答しますか。
問 自分のお客さまから他店のお客さまを紹介された。
問 後輩が、お客様とトラブルを起こしているけど、上司に報告していない事に気がついた。
問 営業でアイディアが浮かんだ。さあどうしたら実現できるか。
問 プロジェクトリーダーを任された。最初に何をしたらいいか。
途中、気を緩めても仕方ないけど、最後の三分は集中するように。
問 六人で食事に行こうと言う事になった。どこがいいかと聞いたら。
二人は、カレーがいいと言い。三人はかつ丼がいいと言った。
自分は、カレーが食べたい。
さあどうする。
禅では、修業は問答で行う。
問うて応える。
問う側が真剣なら答える側も真剣。
答えがいい加減だったり、納得がいかなければ、問われた側が投げ飛ばされる事もある。
だから、禅で師弟関係は、闘争関係でもある。
問答を通して考えを深める。
だから、時として、禅問答はわけがわからない。
それは、問う側も、堪える側も一期一会だから。
答えは、一回いっかい、真剣に出す。
その時の状況、条件が違えば答えも違う。
リーダーが違えば違う。
相手が違えば違う。
決断である。
決して断じる。
困ったら、足下におとせとか、足下を叩けとか言われた。
足下というのは着手点、どこから手を着けるかね。
実際、現実的な話をすれば、人は落ち着いてくる。
実際に今できる事は何か、どこから手を着けたらいいかに話を向ければ、人は冷静さを取り戻すもの。
それで冷静さを取り戻せなければ、もうそれは、感情論で、話ができる状態でなくなっているから。
速やかにその場を離脱する。
要は、相手は、戦闘モードに入っている。
そうなる前に、足下を叩くのである。
つまり、今、現実に何ができるかを思い起こさせる。
できるかできないかを自分で考えさせる。
最後に勝負に出る。
一つひとつ、決めていく。
勝負に出ないと決められない。
決めると言う事は、決めると言う事で。
決めると覚悟してかからないと決めきれない。
とにかく、方針だけでも決めよう。
場所だけでも決めておこうと覚悟しないと、次の転回が開けない。
一つの事を決める事で次のステップの扉が開く。
決めにかかると言うのは、最終段階だから、どこで、どこに、斬り込んでいくかが問題である。
本から決めていくか、細かいところから決めていくのか。
いずれにしても決められるところから決めていく。
決めると言うのは、決めて断じる事。
つまり、考える事を止める、
断じる事を意味する。
考えて、考えて、考え抜いて、考えるのを断じる。
決め打ちするのである。
決めに入ると言うのは、いわば、バターボックスに立つようなものなんだよ。
一球いっきゅう、決めていく。
バッターボックスに入る前と、バッターボックスにはいいた時くらい違う。
考えたらバットは振れない。
一球入魂でバットをふるしかない。
何も考えないでバットを振る。
詰めは厳しく。
止めを刺す。
止めを刺さないと息を吹き返すよ。
詰め切れ。
詰めの段階で緩めると後で空中分解するよ。
最後の一締めを忘れない。
往生する。
往生させる。
最後まで緩めるな。
最後まで分からないぞ。