最初は、何も決まっていないのが前提だから。
最初に聞かれるのは、結論、つまり、決まった事ではなく、これからやる事、どうするかだ。
例えば、何も決まっていない時点で「目的をどうする」と聞かれるのは、
「目的は、予算をつくる事」とか、
「親睦を図る事」といった類を聞かれているのではなく。
どうやって目的を決めるか。そのためにやる事は何かを聞かれているので。
「担当責任者を決めて、相談して目的を決めて、今日中にご報告します。」
「担当責任者はどうする。」
「私に任せてほしいのですが。」
「いいだろう。」
「わかりました。それでは、〇〇にしたいと思います」
「それでどうする」
「当人の意志を確認した上で、関係者を集め。関係者に事情を説明したうえで当人い申し渡します。」といった具合。
目的は、自分だけがわかっていればいいのではなく。
作業に関わるもの全員が理解していなければならない。
故に、目的を決めるという行為の中には、目的を浸透させる過程も含まれる。
だから、手順が大切なのである。
目的を決めると言っても簡単ではない。
人を決め、分担して、何をさせるかを考える。
その過程で、真の目的を洗い出し、浸透させる。
手順がわかっていれば、時間がかからないが、手順がわからないと、時間がなくなって一人で適当にやることになる。
決まっていないことを、決まっているように扱う事は間違いの始まりになる。
組織では、正式に決まっていない事は決まっていない。
正式に決定するためには組織にアクセスする必要がある。
正式な決定は、組織に認知されていなければならない。
正式な決定は、関係者全員がわかるように告知する必要がある。
正式に、決まっているのか、いないのか、まず確認をする。
正式に決まってないのなら。
今、決められるか、決められないかを確認する。
決められないとしたら。
じゃあどうする。
手順は鬼ごっこみたいな事で、この指とまれから始まって、ジャンケンをして鬼を決め見たいに。
手順さえ頭に入っていれば、誰でも、参加できる。
このように、一つひとつ詰めていく。
着手もしないで時間を潰して、どうしようもなくなってから聞かれてもね。
決められないことを決めようとするから身動きが取れなくなる。
仕事は、現実。リアルな事。
自分たちが、何をしたいのか、すべきなのかを明らかにしようとした時、目的は、重要になる。
目的が明らかでないと、何をしたらいいのか、どうしたらいいのか、はっきりさせることが難しくなる。
例えば、トライアルの目的は何か。なぜトライアルをやるのか。
トライアルの目的は、テストであるのか、成果にあるのか、それによって、やる事も、評価も全く別になる。
仮に、トライアルの目的が情報にあると仮定したら。
成果は、二義的な事になる。
情報収集の目的も間違わない事だ。
情報を収集のコツは、自分が知りたい事、欲しい情報、必要な情報を、自分がわかりやすい形に加工するのが肝要で。意味もなく、目的もなく、情報を集めるとかえって混乱する。
周りの目を気にしないことだ。そうしないと、情報収集本来の目的が見失われ、情報収集のための情報収集、分析のための分析に陥りやすい。
情報を収集する目的には売上予測、行動管理、市場調査、事業計画、チラシの効果などがあり。
例えば、チラシの効果を調べたければ、複数のチラシを使った見るとか、枚数を変えるなどの方策をとる事もできる。
情報は、常に、操作されている。
情報源と情報の経路を確認する癖をつける。
例えば、躾と、大家族主義、封建主義、軍国主義、いじめ、虐待と結びつけて悪い心象をすり込み、しつけという言葉を封じ込めるといった操作は常套手段。
その手先に、教育機関やメディア、知識階級を使うのも常套手段。
突然、差別用語だとされることがあるが。
いつ、誰が、どのような意図、思想で差別用語にしたかは明らかにされない。
決める事にも、順序がある。
勘違いしないでほしいのは、一度にすべての事決めるわけではなく、通常は、一つひとつ順を追って決めていく。
この順番が結構難しくどのような順番で決まて行くかの筋道はいくつもあるという事。
決めるのは人だから、順番を間違うと、決まる事も決まられなくなるという事である。
また、誰が決定権を持っているかもカギになる。
家庭なら、親父なのか、母さんなのか、子供なのか。
会社も、単純に部門長が決定権を握っているとは限らない。
だれが、決定権を持っているか、それを見極めるのが成否を握っている。
三か月で予算を作るというのは、三か月後に忽然と予算書が湧いて出るわけではなく、一定の工程を経て予算書が作られる。
その間、多くの個表が作られ、それを組み立てる事で最終的な予算書が完成する。
問題は、その過程にあって、どのような個表が、どのような働きをしているかである。
明日までにやってこいなんて言っていない。
明日何をやるかを聞いているのに。
いきなり、できませんという人間がいる。
何から決める、何処から決めていく。
自分で決められる。
自分で決められなければ、誰が決められる。
決定権のある人が決められるように、寄せていく。
計画というのは、出来上がるまで、何をやっているのか、当事者以外には全体像が見えない。
何をやっているのか、見えないのである。
だから、自分の仕事がわかるよう報告する事が求められる。
システム開発等は、典型的である。
定期的に、節目ふしめで報告する事が義務付けられる。
計画とか、予算は、観念的な仕事、無形な仕事で実体があるわけではない。
目に見えない仕事。
目に見えないから、目に見えるようにして相手に伝えないと、認められないし、評価されない。
自分では、わかっているつもり、伝わっているだろうと判断せざるをえない。
楔や杭を打ち込んで、置かないと歯止めが効かなくなる。
杭とか楔というのは、打ち合わせや、会議の事いうので、最初に、打ち合わせや会議の日付を決めてしまう。そうすれば枠組みができるから、その枠踏みの中に内容を盛っていく。
そうやって手組をしておかないと、手詰まりになる。
早い時期に手を組んでおけば、広い手が組める。選択肢も多い。
どん詰まりで、手を考えても手が狭いうえに、選択肢もなくなる。
使える人も手もなくなるから、一人で乱暴な事しかできなくなる。
メンバー全員が、自分の役割を理解して連携するからチームワークができる。
サードがトンネルしても外野がバックアップしないで、サードが外野までボールを追っかけていかなければならないなんてチームは、野球以前に崩壊している。
誰の指示がなくても全員がバックアップができる。それがチームなのだ。
全員が守備位置につかなければ試合は始まらない。
守備位置を決められなければ、やりようがない。