最初は、誰でも泣きたくなるくらいできない。
やることはわかっていても、何から手を付けたらいいかもわからない。
教わったつもりでも、いざ、始めようとするとわからないことだらけ。
だけど、そこで逃げたらおしまい。
糸口を探すんだな。
要するに、わかっている事を確認し、できる事からやれと言う事さ。
つまり、難しく考えるな。
無理な事から手を着けるなということだが、これが意外と難しい。
自分はわかったつもりだった。
できると思っていた。
でも、やろうとしたら、わかっていなかった。
出来なかったと言う事ばかり。
だから、少し、頭を冷やして考えてみよう。
明日の事はわからないが、昨日の事はわかる。
今まで経験した事はある程度わかるが、経験した事がない事はわからない。
指示された事、聞いた事はわかるが、指示されていない事、聞いていない事はわからない。
ところが、往々に、言われた事はやらずに、言われていない事をしようとしてわからなくなる。
指示された事を確認もせずに、僕のやった事のどこが悪いんですかと癇癪をおこす。
簡単な話。言われた事をやらずに、自分の独断で仕事をしたのが悪いと言っているだけ。
それがわからないで。
いつまでも、言われたこと以外の事をやろうとしているから糸口がつかめない。
先ず、自分のできる事、わかっている事を整理することから始めればいい。
自分のできる事、わかっている事を整理しても、どうしたらいいかわからない時がある。
そうしたら、人に聞くんだな。
いろいろと試してみて。やってみて。
それでも、わからなければわかる人を探して聞く。
そのために、上司や先輩はいるのだからね。
ただ、誰に聞いたらいいかもわからに。
聞く相手を間違えるなよともよく言われた。
わからなくなったらわかる人に聞けばいいのだけれど、誰がわかっていて、誰がわっていないかを見抜くのは、新人にとって至難な業だ。
わかっている人、できる人ほど謙虚で一見、できなそうに見えるものだ。
わかっている人は、わかりませんと相談に行くと、わからないのが当然と言う態度で接してくれる。
わかってない人のとる典型的な態度を挙げると、第一に、急に怒り出す。
それから、わっらて誤魔化す。聞こえないふりをする。適当な事を言って話をはぐらかす。
わけのわからない話をする。
「こんなことも知らないの」みたいな見下した態度をとる。馬鹿にする。
自分で考えろと突き放す。
やたらと細かい話をする。
飛躍した話をする。
言い訳を始める。自慢話をする。虚勢を張る。癇癪を起して暴れる。泣き出す。
こんな態度をとる人がいたら、基本的にわかっていないと思えばいい。
こういう人にかかずりあっていると時間の無駄になる。
早くわかる人を探す事さ。
できる事から、仕事を始めるしかない。
仕事には二種類あって、ある程度、全体の手順段取りがわかる仕事と、全く見通しが立たない仕事。
わかっている人は仕事の性格によって仕事の指導の仕方を変える。
ただ、急に怒り出したり、笑ってごまかすような事はしない。
況や、最初から、言い訳の仕方なんて教えはしない。
基本は、自分が何をしたらいいか。
それをさぐりあてることさ。
やる事がわかれば、後はやるだけだからね。
だけど、その肝心な事を忘れて、ああだこうだ、考え込んでしまう。
次回までに自分は、何をすべきか、どうしたらいいか、わからなければ、打ち合わせをした意味がない。
打ち合わせが終わって帰ると。
「ところで何を次までにやっておけばいいの」と、きまって聞かれた。
「聞いてません」などと言おうものなら。
「なにしに打ち合わせに行ったんだ」とどやされた。
例えば、「士気を高める事になりました。」と答えたら。
「それで、どうする事になった」と返され。
黙っていたり。
「調べてくる事になりました」と答えたら、
「何を、いつまでに調べてくればいいの」と糺された時、
「さあ」なんて答えると。
「阿保か」「やる気あるにか」と叱られた。
肝心なのは、自分たちが何をするかで。
「処で自分は何をしてきたいいですか」と聞かなければ、仕事にならないだろう。
「開催場所を調べてくる事になりました」というと
「じゃ、どうしようか」と展開していく。
仕事は、裏表、裏表と転がしていく事で展開していく。
回転を止めるなと注意された。
俗に、ローリング・ストーンという。
岩を坂道が転がるように、作業を展開していく。
方針確認会議が終ったら、キックオフ、キックオフが終ったら、次は経営会議。
次の会議まで何をするか、それが定まれば、目標が明らかになり、作業が読めて、段取りが組め、役割分担ができる。
常に実務、実務と詰めていく。
それが、実務屋の鉄則。
余計なことを言うな、
一言、多い。
前置きをしない。
無駄口は叩かない。
言い訳はするな。
口答えはするな。
素直に聞け。
易きにつくな。
そお、叱咤激励された。
日本人は、勘違いしている。
やってもやらなくても同じなら、誰もやらなくなる。
皆、楽しく、仲良くやればいいじゃあないか。
やれればである。
やれないから、問題なんじゃあないか。
向こう三軒両隣、ホームドラマ、ワイドショー的な、閉ざされた世界。
人当たりのいい、当たり障りのない、耳に心地よいことを言って。
お世辞、オベンチャラ。
顔色を伺い。
言いたいことも言わず。
周囲の目を気にし。
自分を押し殺し。
学校生活の延長線上で、決まりきった生活。
授業中に居眠りをしても、試験さえ合格点をとれば、時間が来れば進級し、余程のことがなければ卒業ができる。
やる気のない者の集まりの中ではやる気のある者は、仲間はずれ。
空気読めない奴と言われ、全体に合わせられなければ虐められ。
登校拒否にもなる。
時代の変化にも取り残され、環境の変化にも合わせられない。
内弁慶になり、結果を求められる世の中に出たら、途端に適合できなくなって、心を閉ざし引き籠る。
楽しければいい。仲よくすればいい。
できないと責めたらかわいそう。
厳しくいっても、できないのなら仕方ないじゃない。
面白おかしく生きていければいいと言ったって、結果が出なければ、結果が悪ければ、潰されるのが世の常。だから、親父たちは、歯を食いしばって、涙をこらえ、生活のために頑張ってきたんじゃないか。
それを、馬鹿にするのはいいけれど、親がいなければ、自分たちの番。
僕らが、子供たちを守っていかなければならない。
できません、わかりませんでは、やっていけないんだ。
雰囲気に合わせっていい子を装っても、結果が出せなければ、悪になる。
その時、わからなくても、社会に出って体験してわかるようになる。
その時、ああ、親父が言いていた事はこういうことかと、社会に出てから困らないように、小言を言う。
親とはそういうもの。
子供が反抗しようが、逆らおうが、逃げ出そうが。
親は逃げられない。
親とはそういう者。親心とはそういう者。
親だから𠮟り。親だから、厳しくしつける。
言ったって分からない。
でも言わなければわからない。
誰かが言わなければならない。
わかるまで言い続けなければならない。
わからなければ、社会に出た時に困る。苦労する。
だから、母親は自分が言うしかないと覚悟する。
それでなければ、なぜ、子供が嫌がる事、自分が嫌われる事を言うか。叱るか。
それが親心なんだ。
何も、言わなくても、子は親を見て育つ。
親が、子に迎合しても、機嫌をとっても、子は親を見ている。
親が、なぜ、真剣になるのかも。
赤ん坊は、何もわかっていない。
自分で、歩く事も、話す事もできない。
危険事を覚えさせないと、生きていけない。
いきなり、車道の飛びだしたらどうなるか。
信号が赤なのに横断歩道を渡ったらどうなるか。
転んだら、どう、立ち上がったらいいのかもわからない。
でも、覚えなければ、自分の身を守る事もわからない。
親は、身を呈して、自分の身を護る事を子に教える。
その親心を持ってと教えられた。
言わずもがなな事は言うな。
言ったて仕方がない事を言えば、捨て台詞になる。
大人なら、それを言っても意味がないことぐらいわかるだろ。
余計な一言で相手がどういう気分になるか、わかるだろう。
その一言で相手がどれほど傷つくか。
その一言で、自分の真意が伝わらなくなり。
相手との信頼関係にひびが入ったらつまらないのに。
なぜ、意味のない前置きをするの。
それは、自分に対するいい訳。
自分を卑しめる行為だと気がつかない。
仕事は、大岩を坂道で転がすようなものだと教えられた。
転がり始める前は、頑として動かない。
皆で、全力を出してぶつかっていくと、わずかずつ動き出し、そのうち、自分の重みで動き出す。
大岩は、自分の重みで動き出したら今度は止められなくなる。
転がり出したら、加速度がついて、制御が出来なくなる。
だから、最初に、転がす先の状態や方向を確認しておかないと、思わぬ惨事を引き起こすと。
組織も同じ。
いいど組織は起動すると、おいそれと止める事はできない。
組織それ自体に力で動き、自分の力で制御するようになる。
組織に、計画に力あり。
どうしようもなくなったら、組織や計画の力を頼れ、任せろとよく言われたものだ。
一人の力では止められない。
戦争を見ればわかる。
仕事はね、転がしていくの。
裏表、表裏ととね。
転回、回転していく。
一手いって。
一手指すと、次の一手が開ける。展開する。
将棋は一手指さないと、次の手は見えない。
相手がどう出るかわからないからね。
コンピューターだって読み切れないんだからね。
仕事も同じ。
一手いって、指すごとに状況は変化する。
僕らは、着眼大局、着手小局と教わったけどね。
全体像やゴールを見て。足元から、始める。
ローマの道は一歩から。
千里の道も一歩から。
ローマは、一日にして成らず。
一歩いっぽ。
確実に、作業を積み上げていく。
ならない事はならないさ。
為さねばならぬ。
何もしなければ、成らないさ。
為せば成るという事もあるけどね。
脚下照顧ともね。
足元を見ろさ。
自分一人でいくら思いをめぐらしても、仕事にはならないんだよ。
WBCだって栗山監督が、一人、頭の中で、思い描いていても、仕事にならない。
NPBの支配下登録選手は、各球団70人、計840人。その中から、選手を選抜し、人を介して球団や当人と手分けして交渉しなければならない。
選手が決まっても、今度は、いつから、練習を始めるか。
練習場所はどうするのか、交通費はどうするのか。
一つひとつ詰めていかなければならない。
それを栗山監督が一人でやったと思う。
自分が、任されたからといいて試合当日まで、自分一人で考えていても、仕事はできないの。
それで、結果がどうたらこうたらいったって始まらない。
試合以前の問題。
先ず、組織を作って、やるべき作業を洗い出し、仕事を割り振って。手分けして仕事をしないといつまでも、話は始まらない。
わかっている。
実際に仕事をする時は実際の話をしなければならない。
選手を選んでくださいでは仕事にならない。
選手を選ぶためには、まず、現実に何から手を着けて、いつまでに、何をしなければならないのかを、一つひとつ詰めていかないと。
漫然と選んでくださいでは、選べない。
現実に何からどう始めるか、それを掴まないと。
やりようがないまま時間だけが無駄にたっていく。
わからないことあったら聞けよ。
できない事あったら頼めよ。
これも当たり前な事。
でも、自分で難しくしている。
リーダーがリーダーとしての役割をしていないからと言い訳をしても、結果は結果さ。
船長が馬鹿だったとしても、船が沈めば、全員が大海原に放り出されるんだからね。
一年何もしないで結果が出なければ、全員の責任になるよ。
他人の性のしたところで意味がない。
なぜなら、自分が生き残る為なんだから。
結果が出せなければ。自分が生き残れないとしたら、どんなことしても結果を出さなければ。
自分が望むリーダーばかりではない。
駄目なリーダーと仕事としなければならない事もある。
それを嘆いてみても仕方がないさ。
ただ、最初は、泣きたくなるほど、わからない。できないものだと言う事は忘れるな。