最初は、誰だって、できないし、わからない。
泣きたくなるよ。
先輩の助言も参考にしかならない。
でもそこで諦めたらだめだ。
何と言われても食い下がることだね。
最後は、自分自身の問題。
人のいった事を忠実に、再現したり、やったり、理解するのって、予想以上に難しんだよ。
自分も、相手の忠実に書き取る事とを、心しているんだけどね。
自分では、聞いてるつもりなんだけど、集中力が途切れたりして。
三割聞き取れたらいい方だね。
大体、記憶力にも限界があるし、集中力にも波がある。
いいわけではなくて。
申し訳ないと思うのでけどね。
自分では、言われた通りにやっているつもりなんだけど。
一度聞いたくらいでは、頭にはいてこないし。
かといって、わかりませんなんて、なかなか、面と向かって聞き返せない。
お互い、最初からわっかたなんて思わない事さ。
だからと言って、理解しようとしなくていいといているわけではないからな。
先輩に、わかったかと聞かれて。
わかりましたといたらといたら、一度、聞いたくらいでわかる者かと怒鳴られた。
おいおい、わかるさと言われるけれど。
最初からいい加減に聞いたら、後で、何を聞いても答えてはくれない。
だから、確認するんだ。
第一にその場で確認する。
その場で確認したら、基本的には、失礼にならない。
自分もその気になる。
一歩踏み込めるんだよ。
これは、親父に叱られながら身につけたテクニックさ。
その場で確認できなくて、面と向かって確認できないときは、
一旦、相手の指示された事を箇条書きに整理して。
後は、人を代えろって。人を介して確認をする。
要は、部下にきかせたり、上司や、先輩にね、聞いてもらう。
そこまでしてと思うかもしれないけど、真意を取り違えると大ごとになるからね。
何か言われたり、馬鹿にされたり、叱られても、
気にしない。気にしない。
兎に角、肝心なことがわからなかったら、なりふり構わず確認する。
確認せずにやって、失敗したら、やりなおしになる。
やり直しができないなら、全て、おじゃん。
出だしは、用心深くね。
始めは処女の如く、後は、脱兎のごとく。
肩の力抜いて。
最初は、何もわからないし、できないのが普通だし。
どんな、プロだって、最初からできたわけではないよ。
できないから、わからないからと言って、恥ずかしがることはない。
わかるところから、一歩ずつ、階段を昇るように、できるところから一段一段。
後から来た人には、事情や経過をわかるようにして。
後から加わった人が、迷わないように、わかるように記録して。
慌てず、騒がず、焦らず、落ち着いて。
皆の歩調を合わせ、心を一つにして進もう。
最初は、ゆっくり、ゆっくり、徐々に加速されていくから。始めは、ローで。
最初から完成度なんて求めない。はじめは、わからなくてもいい。できないのがあまり前。
やっているうちに覚える。やればできるようになる。
やらなければいつまでたっても、できないし。わからない。
恐れず、できるところから始める。
いきなり、本作業に入らない。最初は、勉強会、調査から始める。
着手はなるべく早くして、充分時間をとって、ゆとりをもって勉強し、調べる。
マネジャーは、皆より、一歩先に、一歩先、以上でも、以下でもなく。一歩先。
確認は、誰が、なにが、必要としていて、どの様にして欲しいかを探ることが鍵。
どうして欲しいのかがわかれば、話は早いんだけど。
わかていないんだよ。肝心な事がさ。
当人だってわかっていない。
確認はテストされているのではない。
仕事を確実に、進めるためにするのだから。
事実を正直に申告する。
最初は、わからないのが普通。
できないから、知らないからと、恥ずかしがっている場合ではない。
わからない事は調べて。
できない事は、学ぼう。
それでも、わからない事は指導を受け。
あるいは、信頼して任せよう。
無理しても、できない事はできない。
わからない事はわからない。
会社と学校とは違う。
皆で、信じあい。助け合い、一致団結して問題を解決していくことを学んでほしい。
仕事は、基本的に生産的活動を意味している事を忘れてはならない。
問題は生産活動の成果物は何かと言う事である。
例えば、会議を開くために、何が必要で、何を準備し、何を生産しなければならないか。
そして、会議によって何を生産(結果)しようとしているのか。
それを考えてほしい。
会議は、試験場ではないよ。
何が、できて、何ができないか。
何がわかっていて、何がわかっていないかを最初に確認する。
確認したところで、できないところを学習し、わからないところを調べる。
だから、最初は、勉強会、調査。
新人とか、ベテランとか関係ない。
ベテランこそ、わからない事は、わからないとして、初心、原点に返らないと。
慢心して、自分は大丈夫なんて言ってたら、研鑽を怠れば、すぐに時代遅れになる。
仕事は、常に、修行、研鑽だ。
最初は、誰だって、できないし。
的を射た助言も、なかなか得られない。
ピント外れが多いよね。
最後は、自分自身の問題。
自分では、言われた通りにやっているつもりなんだけど。
一度聞いたくらいでは、頭にはいてこないし。解らないけど。
なかなか、聞き返せない。
どう聞いたらいいかもわからないしね。
確認するにしても、意外と難しい。
下手をすると怒られるし。
その場で確認しそこなったり、できなかったり、うっかりした時は、いったん、自分の考えを整理してから、改めて確認するといい。
指示された、項目を挙げて整理する事ね。
指示されたことを整理するための項目はね。
人に見せるものと自分用のものの二つを作ったらいいよ。
項目で指示された事の、大枠が見えてくるから。
先ず、自分用だけどね。自分の本音をまず整理するのね。
項目としては、なぜ、どのような目的。
大切なのは、誰が、なにに、必要で、どの様にして欲しいかを知ること。
その上で、自分の考え、動機を明確にする。
人に見せるためには、生々しくなるから。
人に見せる方は、主旨・目的として、動機や経緯に留める。
ただ、自分の考えは、ある程度ハッキリさせとく事だよ。
後で、合点がいかなくなると困るから。
ボタンの掛け違いがね。起こりやすいからね。最初は。
次に、当面の方針ね。
項目としては、無論、方針。
基本的な考え方。指示された事をどのように考えているか。
自分がどうしたいのか。ここが肝心。
単位期間を設定して、大枠を区切って、段取りをする。
次に、組織作り。構想。
特に、腹心や、相談相手を誰にするか。
最初に、相談する相手を間違うと、とんでもないことになる。
仕事な分担を決め、それぞれの位置づけるか。
それから、関係者を洗い出して、関係者との関係をどうしたいか、あらかじめ決めておく。
肝心なのは筋ね。
つまり、どのような順序で決定が下され、物事が処理され行くかの筋道をおさえる。
誰が、オーナー(責任者、発注元)で、誰が、ユーザー(提供先、顧客)か。それが問題だよね。
オーナーとユーザーは同じ場合もあるし、違う場合もある。
肝になるのは、最終的にどうしたいのかだよね。ユーザーインターフェース(最終形)。
後は、半年くらいの日程、スケジュールね。
その上で、当面の作業の目検討をつけておく。
直後に誰に報告するかね。
それが、落としどころさ。
こんなことをざっと整理してみたら。
できれば相談役、後見役を誰にするかね。
自分の考えが整理できたら、相手によって、確認する内容、仕方を変える。
相手を間違えると、もめるからね。
場合によっては、できることもできなくなる
俺も、指示されたことを、相手の言ったことを、整理してみると、いかに自分が、相手の話を聞いていないかわかる。
ほんと情けないよ。
でもそれが事実だからね。
謙虚に認めよう。
指示された時は、わかったつもり、できるつもりになるんだけどね。
始めてみるとわからないことだらけ。
やってみるとできに事だらけ。
つもりになると怖いんだよね。
こまめに、確認をとろう。
教える側も、面倒くさがらないで、懇切丁寧に。
何事も、最初が肝心なんだよ。
確認というのは一方的な行為ではなく。相互確認、相互点検、チェックを言う。
指示された側だけがするのではなく、した側もする。
確認は、試すことではない。テストではない。
間違いなく、確実に、仕事をするのが目的だから、点検、確認は、原則、二人以上でするのである。
一人でやる場合も、指差し呼称する。
試されていると思うから、うざったく思う。
馴れないうちは、めんどくさい。
馴れたくるとつい手を抜きたくなる。
それで、馴れてくると大事故や大失敗をする。
最初は、面倒くさく感じても、習慣になると手を抜くと気持ちが悪い。
根本的なことさ。
皆、蔑ろにしたり、今更何をって、大袈裟なとか、照れたり、諦めたり。
でも、根本を明らかにしなければ。
いつまでもフワフワと浮草でしかない。
だから、日本人は性根が定まらないと言われるんだけど。
神も仏もあるものかって諦めているけど。
諦めたら、なんにもならない。
自動車だって、教えてもらわなければ、エンジンのかけ方もわからない。
パソコンだって、教えてもらわなければ、スイッチの位置もわからない。
でも、一度覚えてしまえば、当たり前な事。
できない人が、馬鹿にみえる。
しかし、覚えないと何も始まらない。
誰だって、はじめはできない。当たり前な事。
素人は、いきなり料理を作ろうとする。
プロは、準備、支度から入る。
店を閉めてから仕事もうひと仕事あると躾けられた。
包丁に研ぎ方が知らない、鍋・釜も洗えない者にまともな料理ができるかと。
大学教授でなければわからない事、プロの野球選手でなければできない事を求めているわけではない。
でも、エンジンがかからなければ、車は動かないし。
スイッチを入れなければ、機械は動かない。
仕事がなかなか始まらなかったり、動き出さない時、先輩によく、エンジンのかけ方、教えたか。
スイッチの場所、教えたかと確認された。
たかが、確認。されど確認だ。
今までは、先人たちが敷いた線路の上を、ただ、それが当たり前だと走っていけばよかった。
でも、これからは、先人たちの敷いた線路が途切れている。
自分たちで線路を敷き直さなければならない。
だから、線路の敷き方から学ぶ必要があるのだ。
自分たちで。
助け合いながら。
馴れが、怖いんだよ。
馴れてくるとつい甘くみて、初歩的な事、基本を怠る。
だから、重大なミスは、馴れたころに犯すと警告される。
実際。最初は、緊張感を持っていたのが、緊張がほぐれる頃に失敗する。
スタートは、わかりきった事。
誰にでもできる事から始める。
だから、基本ができていない人は、馬鹿にするなと、なめてっかかる。
しかし、失敗のもとは、確認を怠ったり、準備不足。
特に、指示・命令を確認してない事が多い。
確認は、指示した側からもしなければならない。
確認を求められるのは、指示した側が指示内容を確認したい場合もある。
兎に角、指示した事、指示した事を確認する事に徹しても、ミスは少なくなる。
随分、違う。本当だよ。
要するに、お互い様なのである。
それを馬鹿にされたと腹を立てるのは、未熟なのである。
組織では、任された仕事を、確実にやり遂げる事が求められる。
組織では、結果に対して連帯で責任を負う。
野球やラグビーで一つのチームの一員に勝ち負けの別は生じない。
勝つ時は、チーム全員が勝つのであり、負ける時は、全員が負ける。
当たり前な事だから注意されたり、それが、原因で失敗してもなかなか認めがたい。
不注意による間違え、ウッカリした過ち、散漫による過失が、一番、堪えるのである。
不注意による間違え、ウッカリした過ちはなくならない。
緊張しつづけることができないからである。
ベテランだから、ミスがなくなるのではなく、年をとるとかえって、ミスが増える。
歳をとると、経験を積むと、その痛みが身に沁みてわかってくる。
失敗の原因は、不注意によるミス、ウッカリミスが多く。
不注意によるミスやウッカリ・ミス、慣れからくるミスが大惨事を引き起こすことが多い。
不注意によるミスやウッカリ・ミス、慣れからくるミスの原因の多くは、わかりきった事、誰にでもできる事だから、知らなかった、できないという言い訳はできない。だから、責任が重くなる。
初歩的なミスをなくすためには、始業点検、事前の確認を怠らない事なのである。
仕事始めは、予習、復習、調査。そんな事してます、わかってます。
前にやりましたという意識が一番怖い。
いくら反省しても、次に、生かせなければ同じ間違いをする。
だから、同じ事を繰り返すにしても、予習、復習を怠らない。
学校の勉強と違って、結果は全員に及ぶのである。
一人の怠慢、独りよがり、失敗は、全員を巻き込むことになる。
自分一人、わかていても、自分一人できても、意味がない。
一人でもわかっていない者がいれば、できない者がいれば、累は全員に及ぶ。
些細な事とによる失敗の方が責任は重い。
わかりきった事、過去に経験した事、できるはずの事だからこそ、繰り返し同じことを学習する。
くどくどと確認するのである。
誰でも、できなければならない事だから、繰り返し繰り返し、練習する。
点検や準備、道具の手入れ、後始末ができなければ、プロとは言えない。
包丁のとぎ方がわからなければ、料理人とは言えない。
だから、板場修行なのである。
かつては、いきなり料理は教えなかった。
料理の基本は、道具の手入れや後片付け、下準備にあるからである。
これは、一番大切な事だけど。
一見簡単で、誰にでもできそうな事って、いざとなると、結構難しい。
指示されたことを、忠実に再現し、復唱するとか。
大きい声で号令を出すとか。
言われた手順で点検するとか。
メモの取り方とかね。
簡単そうに見えて、やろうとするとできない。
別に逆らっているわけではないんだけどね。
引きこもりなんて言うけど、本当は、小さなつまずきが原因だという事が多い。
誰でも簡単にできて、何でもない事。
それができない。
簡単で、些細で、つまらない。何でもない事。
やってしまえば、できる人にとって、なぜやらないのか、できないのかがわからない。
だから、反抗しているようにも見えるし。
逆らっているようにも見える。
やればわかるんだけど、やらないとわからない事がある。
でも、当人には、大きな壁なんだよ。
いくつになってもね。
焦らないで。肩の力を抜いって。
自分との戦いだよ。
どんな相手とも、必要な事は勝ちとる。
戦うんだよ。
だから礼節を重んじる。
礼節ができていれば、相当の事を言っても許される場合があるけど。
礼節を、忘れたら、たわいない事でも、相手を怒らせてしまう。
だから、最後は自分との戦い。
克己復礼。