仕事は、通しで覚えないと頭には入ってこない。仕事の全体像を描けて初めて個々の部分の目的や意味が理解できる。

細切れの仕事をしていても、仕事は覚えられない。
仕事の全体像を描いて、自分の考えで組み立てられるようでなければ、自立できない。自分の考えで仕事を組み立てられなければ、人の言うなりになるしかないからである。誰かに指図してもらわないと仕事ができない。
最初から最後までやり抜いてはじめて自信になる。通しで仕事を仕切れるようになって初めて全仕事に責任が持てるようになる。
責任をもって仕事をやる事を、若いうちに身につけさせないと、一々、指図しないと何もできない人間になるぞ。いつまでたっても他人頼りで一人前になれない。自分が責任を持つという意味を理解できなくなるよと…。

自分達が若い頃は、先輩から、新入社員が、責任を持って最初から最後まで仕事をやり通すように指導しろ。途中で投げ出さないように。自分の仕事に責任を持つという事を覚えさせろと厳しく指導された。

そこで、新人が、ある程度仕事になれたら、責任を持たせて簡単な仕事を通しでやらせるようにした。
いきなり、本業で任せと失敗させるわけにはいかないから、忘年会のような幹事をやらせて、企画から後始末迄の仕事を通しでやらせる。
大切なのは、始まりから後始末、最後の確認、反省会などを通しで責任を持って通しで経験させる事。
本業でつまずくと後々まで祟るから、遊びのような事で責任感などを身につかせていく。
出だしをどういう形をとるか、どこで始末をつけるか。それが肝心。仕事には、始まりと終わりがある。これを経験的に覚えさせる。
そうしないと支店とか、部門を任せられた時に、どうしていいかわからない。仕事の段取りができないと指図されなければ、何もできない人間になってしまう。
それでは、いつまでたっても自分の考えで仕事ができない。無責任な仕事しかできなくなる。一人前の仕事を任せてもらえなくなる。

仕事には、始まりと終わりがある。この事はわかっているようでわかっていない人が多い。
実際にわかっているというのは、どうやって始めて、どうやって終わるかを実際の作業、形に置き換えられる事を言う。
「始まりがあって終わりがある。それくらいわかっていますよ。」と言ったところで、「じゃあどうやって始める。」と聞かれて「う~ん」と腕組みするようではわかったとは言えない。

最終的な詰めは、誰から、誰に。どの様にいつ伝えると言った具体的で生々しい事。詰めは厳しく。ここまでかというくらい具体的に詳細まで詰める。目的は、責任者が決める。それが鉄則。

先輩から、話を聞くだけでなく、仕事にしろって叱られたものよ。最初はよくわからなかったけどね。
昔は、上司に、「今言った事、明日までに整理して俺の机の上に置いておけ」と指示されたけど、あれは、俺の言った事を自分なりに理解し、その後どうしたらいいか考えて来いという意味だからね。内心、上司が自分で書けばいいのになんて思っていると、上司の真意は掴めない。
逆に、自分が上司の立場になった時、書類を自分で作ってしまうから、部下と考えを共有できなくなる。自分がいって部下に書かせるという共同作業によって相互の考えを交換し、確認し、一致させるのが目的で、記録を作ったり、書類を作るのが目的ではない。

言葉で考えを共有するのではない。作業、仕事を通して考えを共有するのである。仕事は、頭で理解するのではなく、身体で理解しろと言われた。

最近、黒板に書かれた事を写真にとる人いるけど、あれは一つ間違うと重大な思い違いにつながるからね。

だから、学校でも、ノートをつけさせた。生徒に書かせて自分のものにするのが目的だったんだが、いつの間にかノートをつける事が目的になって肝心の講義の内容を理解しなくなった。本末転倒だね。記録する事が目的なのではなく。理解する事が目的なのにね。写真を撮って自己満足していたら、何にもならない。かえって害毒だね。
上の考えを自分なり整理し、紙に書き、自分のものにすると同時に、チーム全体にどうしたら浸透させるかを考える。その為には、チームのメンバーがどの程度理解しているかを書かせて確認する。だから、わざわざ自分がわかっていても、部下やメンバー書類を作らせたり、報告をさせる。大体自分もわかっていないけどね。自分だけわかっていてもしようがないけど。それってチームワークだと最低。
一度話を聞いただけでは分からない。大体、自分の考えだってわかっていないし、整理できていない。
俺だってこうやって書いているから自分の考えがわかってくる。
最初からわかっているわけではないし、わからないから苦しい。それを率直に仲間にぶつけて作業に落としていく。それかが仕事にするという事。

自分が責任者を任せられたら。仕事の概要、主旨目的、目標と言った考え構想を明らかにするに自分ものにする。その為には、指示者、起案者、関係者などの話を聞いて、自分の考えでまとめる。他人の意見を聞かなければ独善に陥るし、自分の考えがなければ責任が持てない。どちらにしても、終いには自分が何をしているのかわからなくなる。だから、他人の意見を聞いて自分の考えでまとめる。最終的には、自分の考え。結論は一つ。故に、責任者を一人決める。責任者は、決定権を持っている者は、一人で決める。

だから、責任者が自分の考えがなければ何も決まらなくなる。何かを決めなければならなくなった時、メンバーは、皆、決定権を持つものの方を見る。

だから、先ず、責任者は、他人の意見を聞いて、自分の考えで決める。

基本的に、指示者と責任者は、別にする。考えというのは、自分一人では整理できないし、分解できない。分担できない。だから、自分以外の人間をひとり決め、その人間とやり取りしながら、仕事を深堀する。しかし、二人では、組織に展開できない。それで、必要に応じて、徐々に人を増やしながら、仲間、組織を作る。仲間、組織を作る過程で、更に仕事を分解して作業レベルまで噛み砕いていく。それが始まりの形。

自分の考えは、主観的なもので自分一人では、自分一人では、自分の考えを、客観的に見れない。自分考えは、外に出してはじめて客観的に見れるようになる。

最初は何もわかっていない。自分も含めて。全体像は、仕事をやっていく中で徐々に徐々に現れてくる。最初からわかっているつもりにならない。

最初は段取り、道筋をつける事に集中する。だから、仕事のやり方を通しで経験的に覚える。まずゴールまでの地図を書く事。それを憶えさせろ。そう先輩に指導された。

責任をもって仕事を最初から最後までやり抜く事。
「仕事の道筋を覚えさせないと、いつまでたっても、人に指図されないと、何もできない人間にしてしまうよ。」と先輩たちに戒められてきた。それも若いうちに責任のもち方を教えておけと…。