時が来れば桜の花は咲くけれど。
桜の花を見る人の心は移ろいやすい。
若い頃は、散る桜に切なくなるなんて思いもしなかったのに。
今は、なぜか、涙脆く。
時の流れに舞う桜。
昔も、今も、これからも。
いった人、いる人、来る人、目に浮かぶ。
小学校の跡地に咲く桜。
息子の入学式の頃は、花吹雪。
息子も大きくなって今は、カナダから花便り。
時をえれば咲く桜。
誰ひとり訪れる人もいない山奥に咲く山桜。
都会の喧騒の中で、咲く桜。
それこそ、夢の中でも咲いている。
誰に、見られる事のない桜も、艶やかに咲く。
父は、死の床で「桜はまだか、桜はまだか」と待ち焦がれていたのに。
桜が咲く頃は、桜を見る気力も消え失せ。
それを無惨と言うなら、生きることそのものが無惨。
咲いた桜も、時が満ちれば散るのが定め。
気が付けば、また、桜の季節が巡ってきた。
はらはらと舞い散る桜の一片(ひとひら)の花弁(はなびら)に卒寿を越えた母は何を思うのだろう。
桜の花を見て、涙を流せるなら、それはそれで幸せではないですか。
それこそが、今を生きている証なのですから。
枯れはしない。
時が来たら、たとえ幹は朽ちても、花を咲かせてみせる。
さくら、さくら。