易も神秘主義的な要素は極力排除すべきである。
そして、科学的な手段とするよう努める。
易的な分析をするためのプラットフォームとして設定する。
易を科学的なモデルとして設計するための原則は何か。

易的分析によって経済の構造、からくりを明らかにし、細部は数式によって詰める。
構造的動きがわかったら数式によって細部の因果関係を明らかにしていく。

易は、分析の手段だということ。

易を科学的なモデルとして設計するための原則は何か。

易的分析によって経済の構造、からくりを明らかにし、細部は数式によって詰める。
構造的動きがわかったら数式によって細部の因果関係を明らかにしていく。

指標間の相関関係、因果関係を調べる。同じデータに基づく場合はリンクする。

高度成長時代は、強い相関関係にあった指標が、低成長時代には、まったく相関関係が失われ、逆相関関係になる事がる。
故に関係も絶対ではなく、環境や状況、段階、前提条件によって変化するという事を忘れてはならない。
常に構造に働く力関係や場に働く力の方向を確認する必要がある。

働きには内外の働き、出入の働き、上下動による働き、増減による働き、並行的働き、裏表の働きがある。

表に現れる現象は裏で働く構造の影響下にある。

経常収支がどのような構造をしていて、何が、どの部分に作用し、動かしているのかのを分析して。
その上で、指標間の働きを明らかにする。

経済予測は、天気予報のようなもので、東京の気温の変化を追ってるだけで日本全体の天気を予測できるわけではない。
雲の流れや風の流れ、海水の流れ、気温、水温、地形などを数値データだけでなくアナログ化し、見える化する必要がある。

今日、大量なデータが世の中に出回っている。
問題は、大量に出回っているデータをどう処理していいかわからない事である。
データが大量であるからこそシンプルに処理する必要がある。

卦は一つのモデルである。

易は、六階層の完全二分木構造を有する。
三階層で、オブジェクトを編集する。

卦は、小成卦と大成卦からなる。
大成卦は、小成卦を二つ重ねたモデルである。

小成卦は、易を構成するユニットである。
ユニットである小成行を二つ組み合わせると、大成卦が編成される。

易を科学的手段とする為には、ユニットである大成卦、小成卦をどう設計するかが重要となる。

卦の働きと構造を明らかにする。
上下が主柱となり、内外を形成する。内外。
主柱には、裏がある。表裏。

個々のユニットの働きには、上下の働き、内と外の働き、表裏の働き、並行的働き、出入りの働きがある。
出入りの働きは開始と終了、入口・出口の働きである。
どのような働きを活用するか明確にする。

経常収支や損益の裏では貸し借りが働いている。

貸し借りの本源は借金である。
借金には、どんな働きがあるだろう。
借金は、貸付金でもある。つまり、借入金と貸付金は表裏の関係にある。
借金をする者は債務を負う代わりに現金を手にする。
借入金は負債であり、債務である。債務は債権である。
債権とは貯えになる。
つまり、借入金は現金と、債務と債権を生む。現金と債務と債権は同値である。
債権は資産である。
現金、債務、債権は量と方向を持つ。これが働きの元となる。
つまり、借金は、現金、負債、資産、債務、債権を派生し、債務と債権は、方向と値を持つ働きなのである。

借入金一つとってもこれだけの働きが生じる。

主軸となる卦の他にいくつかの卦を立てていろいろな角度から検証する。
科学は、相対的認識の上になれ経っている事を忘れない。
検証が可能かどうかが、科学性を担保している。

モデルには、「お金」だけのモデル、物だけのモデル、人だけのモデル、混合しモデル、指標によるモデル、増減によるモデル等がある。

大成卦、小成卦を設計する際は、三つの要素の構成、組み立て、位置づけ、働き、要素間の関係とお互いへの作用を中心にして考える。
どのようにして卦の構成を設計するか。

ユニットを、表裏対称的な対の働きによって位置付ける。
ユニット、即ち、小成卦の組み立て大成卦を編成する。

ユニット間の関係には、裏表、上下、並列、内外、前後等がある。
経常収支の裏では、資本取引が働いている。
決算書では貸借と損益は上下関係にある。
また、借方と貸方は並行関係にあり。
国内取引と経常収支は内と外の関係にあり。
前期と当期は、前後の関係にある。

課題、問題、目的の基づいて関係すると思われ指標をあげる。
その中から要素を奇数選んで、ユニットを構成しモジュール化する。

ユニットを構成する要素、指標は、基本三つ。

選ばれた要素、指標の数によって三角関係を形成する。
また、二つのユニットを組み合わせて六角形を形成し、その対角線を結び、その関係を明らかにする。

要素は主体、範囲である。
例えば、家計や企業、損益や貸借などである。

五行の場合は、要素の数は五つで、関係は五角形。

ユニットを構成する要素を結びつけ、位置付ける。
要素間の双方向の関係を設定する。

特に要素の相関関係を確認する。
要素間の関係は重回帰分析の要領で設定する。

易に太極がある。

事実は一つ
事実は、今、自分が直接し知る得る事。
過去は、記憶、記録でしかない。未来は、予測、予報、予定にすぎない。
過去は、不確かな記憶、記録、色褪せていき、記憶、記録を失えば確かめようがなくなる。
故に、正確に写し取っておく必要がある。

始点は一つとする。
全ては、一点から始まる。

勝つ者がいれば負ける者もいる。
勝った負けたは世の常だけれど、根源の試合は一つ。
一つの試合から勝負、陰陽が生じる。

聞く人がいて、話す人がいる。
しかし、話は一つである。
聞くと話すという陰陽が生じるけど話の実体は一つである。

判定は、二者択一。
黒白、正否をはっきりさせる。グレーゾーンを設けない。

何をもって陰陽とするか。

階層構造にし、完全二分木に組み立てる。

何事にも一長一短ある。いいところもあれば、悪い事もある。
要は均衡である。
み様とり様によっては、欠点は長所にもなり、長所は欠点になる。
禍福は糾える縄の如し。
ピンチはチャンスでもあり、チャンスは油断すればピンチに転ずる。
成長には衰退の兆しがあり、衰退には成長の芽が隠されている。

悪いところに気になったら、いい処を探し。
いいところを見る時は醜い処にも目を瞑らない。

いい時には悪い時に備え。
悪い時は、将来に希望を託す。

互いに補い合うから均衡できる。

窮すれば即ち変ず、変ずれば即ち通ず、通ずれば即ち久し。

補い合う事、助け合う事で調和し均衡が保てる。

栄枯盛衰、有為転変は、世のならい。

物事には陰陽があり、陰陽から、表裏が生じる。
対極を見よ。裏卦を知れ。
次に行くべきはどの象(かたち)か。

正否、順逆などによって働きの陰陽を判定する基準を設定する。
指標の強弱、高低、安い高いなどの基準は、そのままでは、二者択一にならないので基準線を明確にする。

基本的に判定の基準には、過不足、増減、上下、昇降、順逆、正負、後先、出入、ON・OFF、前後、伸縮、暖める・冷ますなど、二項定理、二分木、二者択一的、二元的な事象を基準とし、曖昧な点を残さない。

操作性に結びつける事が大事。
操作性とは、上げる下げる、押し引く、入れる切る、出す入れる、回す、止める、踏む等。
要するに操縦、制御ができるようにする。
制御、操縦、管理が可能な部分が明らかになれば、どのような政策をとるべきかが明らかとなる。

易では小成卦、大成卦(本卦)の配列がカギを握る。
配列には序列がある。
序列には決まり、基準がある。

小成卦は、三つの要素からなる。
大成卦は二つの小成卦の組み合わせである。
大成卦を構成する小成卦は、内卦、外卦からなる。
内卦は、内側、前半、裏側、下方、基礎を現すように、外卦は外側、後半、表面、上方、成果を現すような指標を配置する。
爻の配置は、小成爻は、初爻、一番下、元に置き、順に二爻、三爻と積み上げる。
大成卦は、初爻、二爻、三爻、四爻、五爻、上爻と積み上げる。

爻には、陰陽の定位がある。
すなわち初爻は陽。二爻は、陰。三爻は、陽。四爻は、陰。五爻は、陽。上爻は陰。
例えば、出は陽、入りは陰だから陽に関わる指標は出を意味し。費用、資産、支出、投資などは陽となる。
入に関わる指標、売上、借入などは陰になる。
また、爻の配列には天人地の順がある。
地は、物理的な事。人は、人事。天は、貨幣価値に換算された事。
地の利、人はの和、天の時とも。
地は地理、人は組織、天は環境とも。
地は国内、人は自分、天は国外。

基本は、上から天人地の配列になる。

同じ型、同じ性格のデータにまとめる。

小成卦では、初爻が地、二爻、人、三爻が天。
大成卦では、初爻、二爻が地。三爻、四爻が人。五爻、上爻が天に応じる。

時間は、初爻から上爻の方向に流れる。
例えば、年齢は初爻が若年で上爻に向かって年を重ねる。

これらは位置に関わる事だが、初爻の配置はむしろ、働きと関係を重視した方がいい。

易では、ニ爻と五爻を重視する。
基本は五爻を頂点とする。
組織では、中心、頂点を五爻(王、大統領、社長等)におく。
段階では、最盛期は五爻に置く。
これを中心の中爻という。

次に、相対する爻を配置する。
相対する爻は、初爻と四爻、二爻と五爻、三爻と四爻。
相対する爻の値が、陽と陽、陰と陰なら応じるとし。
相対する爻の値が、陽と陰、陰と陽なら不応とする。

基本、応じる事を吉とし、不応の事を凶とするが、中爻には例外もある。

そして、ニ爻を内卦、下卦の中心、代表とし。
五爻を外卦、上卦の中心、代表とし。
中爻を全体に中心とする。

小成卦、大成卦を構成する爻には一連の関わりのある指標、あるいは、基盤になり指標を選ぶ。

先ずベースを決める。

陰陽は、回転、循環、周期、波動運動である。

復は亨るとは、剛反るなり。
動きて順をもって行く。
来復するは、天行なり。

回転、循環、周期、波動の動きは、前後、上下、左右、寒暖、内向外向として現れる。
動きには、位置と方向がある。
回転、循環、周期、波動の働きには、強弱、増減、高低等がある。
その他の働きには、速度等がある。

回転は、押す力と引く力に転じる。
押す力と引く力から上下運動が生じる。

経済は大回転、大車輪である。

陰窮まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転じる。

一陽来復。

万物は流転し、変化し続ける。
諸行無常。
一が二となり三となる。
色即是空
空即是色
総ては一からで出てゼロとなる。空。
変易、不易、簡易。
万物は留まるところ知らず、故に、実体は働きに転じる。

何事もすべては無分別で、一。
最初は自他の分別から。
ただはじめは自分を知らない。
分別は、自分の側にある。

見よ。生病老死を。
今、この時を見て。自分に忠実たれ。

今、自分は、どこにいて、何をなすべきか。
自分の縁(えにし)は何か。

向こうに見えるのは明日の我が姿。

天地人の調和を求める。それが易の本義である。

この世界は天地人の別がある。
天は、名目、金、分配。
人は人、消費。
地は実体、物、生産。
天地人の分別によって個々の要素を位置づける。

天地人は三つ巴、ジャンケンの関係にある。
名目は、実体に基づき。
実体は人に操られ。
人は名目に囚われる。

名目に囚われたくなければ、地に足をつける。

個々の要素は、天は、金を根に。
人は、人を根に。
地は、物を根に。

天は、国を作り。
人は、家を建て。
地は、物を育てる。

天は、分かち。(分配)
人は、費やし。(消費)
地は、生む。(生産)

天は、均衡し。
人は、必要とし。
地は、供給し。

天は、恵み。
人は、働き。
地は、場を作る。

金は、天下の周り物。
働くのは、人。
果実は、地から生じる。

財政は、天により。
家計は、人により。
企業は、地による。

天地人、相和して、この世を回す。
天地人が相克するとこの世は乱れる。

本源は天地人、金物人の調和均衡にある。 

二者択一的な判定によって形成されるユニットには八つのパターンがある。

パターンには表裏、対称な関係にある対になるユニットがある。

八つのパターンを人、物、金、情報の流れによってストーリーを作成し、そのストーリに沿って各要素を関係づけ位置づける。
三つの要素を選択するのだから自ずと三要素が考えられる。
指標には、天地人がある。
また、人・物・金。生産・分配・消費。
上部構造・中間構造・下部構造。
前衛・本体・後衛。
過去・現在・未来。準備・実施・後始末。
序盤・中盤・終盤。序破急。
作戦・情報・兵站。
兆し、現実、反省。

経済分析のためのユニットを構成する指標の候補には以下の指標が考えられる。
物価、金利、為替、株価、人口、所得、成長率、失業率、石油価格。地価。

これにオブジェクト指向を絡めると一つの体系ができる。

倫理というのは、命題にあるのではなく、働きにある。
倫理は、内的規範であり、自分の内に向けた命令。

仁義礼智忠信孝悌とは、例えば仁とは、仁という働きを言う。

仁とは、人と人の関係、つながり強化する働き。
義とは、人の行動を律し、社会全体を統制制御する働き。
礼とは、人と人の関係を円滑にし、秩序を保とうとする形による働き。
智とは、与えられた情報を整理、体系化しただし判断ができるようにする働き。
忠とは、忠実、自分の行動を律し、自己実現を促す働き。
信とは、社会全体の人間関係を保証し、維持するための働き。
孝とは、自分の出自を尊び、人としての尊厳を守ろうとする働き。
梯とは、人と人の絆を大切に保持し、志を同じくする者の結束を強くする働き。

嘘をついてはならないというのは絶対命題だけれど。その命題を現実に適用させようとすると種々の条件や前提によって嘘の解釈や定義が変わってしまう。
結局、嘘か否かは言葉の働きによる。故に、倫理の本質は、言葉で表された命題でなく、働きなのである。
この点を理解していないと、中国人の価値基準である徳の意味を理解することはできない。

物事には、順序,序列がある。
仁義礼智忠信孝悌の働きによって序列を定める。

働きは、役割を生じる。
役割によって序列ができる。
序列によって、役割は位置付けられる。
元亨利貞を四徳とする。

元は万物の始。春で仁にあたる。初めに志を断て。
亨は万物の長。夏で礼にあたる。威儀を正し。
利は万物の生育。秋で義にあたる。修行、修身、鍛錬を怠らず。
貞は万物の成就。冬で知にあたる。学問をして知を磨く。

元亨利貞の意味も分からない。

根本は働きにある。
個人情報の取り扱いがいい例で、例えば、医療の個人情報法を医学の進歩や患者の治療に役立てるのと、脅迫やゆすりの種にしたり、政治的に利用するのとで、まったく意味が違う。

礼も形式論的にとらえていたら理解できない。
礼は、形によって定義された徳であり、倫理である。
無論、礼の裏にある思想、哲学の正当性の問題はある。
礼の下地、基礎にある思想が封建主義であれば、封建的な例となり、独裁主義ならば独裁主義的な例になるが、民主主義ならば、民主主義的な礼になる。
民主主義は理念主義的体制だから、民主主義にとって礼は重要な働きをしている。

体制が変わって根底の思想が変われば礼も変わるが、だからと言って礼そのものを否定するのは道徳を否定する事に通じる。

人間は、経済をも自分の思い通りに操れると思い込んでいるかもしれない。
かつて、科学技術によって自然を支配したと思い込んだ時のように。
それは、天を、神を恐れぬ、侮る事で、その報いは直ぐに現れた。
自然保護など思いあがった事だ。自然は一度たりとも人に保護された事はない。
人は常に自然に保護されてきたのだ。
それを忘れた時、人は、自然界から保護されなくなる。それが摂理で。

神の力を手に入れたとしても神になれるはずもなく、いわんや神を超えられるわけでもない。
力を制御できる心がなければ、手に入れたはずの力によって自滅するだけだ。
汝、自らを恐れよ。

人は、幸せな時、神を侮り。
不幸になると神を罵る。

しかし、神は、神だ。
神を、必要としているのは、人間であり、
神は、人間を必要としていない。

神は何も語らない。ただ指し示すのみ。神を信じるか、信じないかは、人の問題。