易も神秘主義的な要素は極力排除すべきである。
そして、科学的な手段とするよう努める。
易的な分析をするためのプラットフォームとして設定する。
易を科学的なモデルとして設計するための原則は何か。

易的分析によって経済の構造、からくりを明らかにし、細部は数式によって詰める。
構造的動きがわかったら数式によって細部の因果関係を明らかにしていく。

易は、分析の手段だということ。

易を科学的なモデルとして設計するための原則は何か。

易的分析によって経済の構造、からくりを明らかにし、細部は数式によって詰める。
構造的動きがわかったら数式によって細部の因果関係を明らかにしていく。

指標間の相関関係、因果関係を調べる。同じデータに基づく場合はリンクする。

高度成長時代は、強い相関関係にあった指標が、低成長時代には、まったく相関関係が失われ、逆相関関係になる事がる。
故に関係も絶対ではなく、環境や状況、段階、前提条件によって変化するという事を忘れてはならない。
常に構造に働く力関係や場に働く力の方向を確認する必要がある。

働きには内外の働き、出入の働き、上下動による働き、増減による働き、並行的働き、裏表の働きがある。

表に現れる現象は裏で働く構造の影響下にある。

経常収支がどのような構造をしていて、何が、どの部分に作用し、動かしているのかのを分析して。
その上で、指標間の働きを明らかにする。

経済予測は、天気予報のようなもので、東京の気温の変化を追ってるだけで日本全体の天気を予測できるわけではない。
雲の流れや風の流れ、海水の流れ、気温、水温、地形などを数値データだけでなくアナログ化し、見える化する必要がある。

今日、大量なデータが世の中に出回っている。
問題は、大量に出回っているデータをどう処理していいかわからない事である。
データが大量であるからこそシンプルに処理する必要がある。

卦は一つのモデルである。

易の構造は、完全二分木で、オブジェクト指向である。

易は、六階層の完全二分木構造を有する。
三階層で、オブジェクトを編集する。

卦は、小成卦と大成卦からなる。
大成卦は、小成卦を二つ重ねたモデルである。

小成卦は、易を構成するユニットである。
ユニットである小成行を二つ組み合わせると、大成卦が編成される。

易を科学的手段とする為には、ユニットである大成卦、小成卦をどう設計するかが重要となる。

卦の働きと構造を明らかにする。
上下が主柱となり、内外を形成する。内外。
主柱には、裏がある。表裏。

個々のユニットの働きには、上下の働き、内と外の働き、表裏の働き、並行的働き、出入りの働きがある。
出入りの働きは開始と終了、入口・出口の働きである。
どのような働きを活用するか明確にする。

経常収支や損益の裏では貸し借りが働いている。
貸し借りの本源は借金である。
借金には、どんな働きがあるだろう。
借金は、貸付金でもある。つまり、借入金と貸付金は表裏の関係にある。
借金をする者は債務を負う代わりに現金を手にする。
借入金は負債であり、債務である。債務は債権である。
債権とは貯えになる。
つまり、借入金は現金と、債務と債権を生む。現金と債務と債権は同値である。
債権は資産である。
現金、債務、債権は量と方向を持つ。これが働きの元となる。
つまり、借金は、現金、負債、資産、債務、債権を派生し、債務と債権は、方向と値を持つ働きなのである。

借入金一つとってもこれだけの働きが生じる。

主軸となる卦の他にいくつかの卦を立てていろいろな角度から検証する。
科学は、相対的認識の上になれ経っている事を忘れない。
検証が可能かどうかが、科学性を担保している。

モデルには、「お金」だけのモデル、物だけのモデル、人だけのモデル、混合しモデル、指標によるモデル、増減によるモデル等がある。

大成卦、小成卦を設計する際は、三つの要素の構成、組み立て、位置づけ、働き、要素間の関係とお互いへの作用を中心にして考える。
どのようにして卦の構成を設計するか。

ユニットを、表裏対称的な対の働きによって位置付ける。
ユニット、即ち、小成卦の組み立て大成卦を編成する。

ユニット間の関係には、裏表、上下、並列、内外、前後等がある。
経常収支の裏では、資本取引が働いている。
決算書では貸借と損益は上下関係にある。
また、借方と貸方は並行関係にあり。
国内取引と経常収支は内と外の関係にあり。
前期と当期は、前後の関係にある。

課題、問題、目的の基づいて関係すると思われ指標をあげる。
その中から要素を奇数選んで、ユニットを構成しモジュール化する。

ユニットを構成する要素、指標は、基本三つ。

選ばれた要素、指標の数によって三角関係を形成する。
また、二つのユニットを組み合わせて六角形を形成し、その対角線を結び、その関係を明らかにする。

要素は主体、範囲である。
例えば、家計や企業、損益や貸借などである。

五行の場合は、要素の数は五つで、関係は五角形。

ユニットを構成する要素を結びつけ、位置付ける。
要素間の双方向の関係を設定する。

特に要素の相関関係を確認する。
要素間の関係は重回帰分析の要領で設定する。

易に太極がある。

事実は一つ
事実は、今、自分が直接し知る得る事。
過去は、記憶、記録でしかない。未来は、予測、予報、予定にすぎない。
過去は、不確かな記憶、記録、色褪せていき、記憶、記録を失えば確かめようがなくなる。
故に、正確に写し取っておく必要がある。

始点は一つとする。
全ては、一点から始まる。

勝つ者がいれば負ける者もいる。
勝った負けたは世の常だけれど、根源の試合は一つ。
一つの試合から勝負、陰陽が生じる。

聞く人がいて、話す人がいる。
しかし、話は一つである。
聞くと話すという陰陽が生じるけど話の実体は一つである。

判定は、二者択一。
黒白、正否をはっきりさせる。グレーゾーンを設けない。

何をもって陰陽とするか。

階層構造にし、完全二分木に組み立てる。

何事にも一長一短ある。いいところもあれば、悪い事もある。
要は均衡である。
み様とり様によっては、欠点は長所にもなり、長所は欠点になる。
禍福は糾える縄の如し。
ピンチはチャンスでもあり、チャンスは油断すればピンチに転ずる。
成長には衰退の兆しがあり、衰退には成長の芽が隠されている。

悪いところに気になったら、いい処を探し。
いいところを見る時は醜い処にも目を瞑らない。

いい時には悪い時に備え。
悪い時は、将来に希望を託す。

互いに補い合うから均衡できる。

窮すれば即ち変ず、変ずれば即ち通ず、通ずれば即ち久し。

補い合う事、助け合う事で調和し均衡が保てる。

栄枯盛衰、有為転変は、世のならい。

物事には陰陽があり、陰陽から、表裏が生じる。
対極を見よ。裏卦を知れ。
次に行くべきはどの象(かたち)か。

正否、順逆などによって働きの陰陽を判定する基準を設定する。
指標の強弱、高低、安い高いなどの基準は、そのままでは、二者択一にならないので基準線を明確にする。

基本的に判定の基準には、過不足、増減、上下、昇降、順逆、正負、後先、出入、ON・OFF、前後、伸縮、暖める・冷ますなど、二項定理、二分木、二者択一的、二元的な事象を基準とし、曖昧な点を残さない。

操作性に結びつける事が大事。
操作性とは、上げる下げる、押し引く、入れる切る、出す入れる、回す、止める、踏む等。
要するに操縦、制御ができるようにする。
制御、操縦、管理が可能な部分が明らかになれば、どのような政策をとるべきかが明らかとなる。

易では小成卦、大成卦(本卦)の配列がカギを握る。
配列には序列がある。
序列には決まり、基準がある。

小成卦は、三つの要素からなる。
大成卦は二つの小成卦の組み合わせである。
大成卦を構成する小成卦は、内卦、外卦からなる。
内卦は、内側、前半、裏側、下方、基礎を現すように、外卦は外側、後半、表面、上方、成果を現すような指標を配置する。
爻の配置は、小成爻は、初爻、一番下、元に置き、順に二爻、三爻と積み上げる。
大成卦は、初爻、二爻、三爻、四爻、五爻、上爻と積み上げる。

爻には、陰陽の定位がある。
すなわち初爻は陽。二爻は、陰。三爻は、陽。四爻は、陰。五爻は、陽。上爻は陰。
例えば、出は陽、入りは陰だから陽に関わる指標は出を意味し。費用、資産、支出、投資などは陽となる。
入に関わる指標、売上、借入などは陰になる。
また、爻の配列には天人地の順がある。
地は、物理的な事。人は、人事。天は、貨幣価値に換算された事。
地の利、人はの和、天の時とも。
地は地理、人は組織、天は環境とも。
地は国内、人は自分、天は国外。

基本は、上から天人地の配列になる。

同じ型、同じ性格のデータにまとめる。

小成卦では、初爻が地、二爻、人、三爻が天。
大成卦では、初爻、二爻が地。三爻、四爻が人。五爻、上爻が天に応じる。

時間は、初爻から上爻の方向に流れる。
例えば、年齢は初爻が若年で上爻に向かって年を重ねる。

これらは位置に関わる事だが、初爻の配置はむしろ、働きと関係を重視した方がいい。

易では、ニ爻と五爻を重視する。
基本は五爻を頂点とする。
組織では、中心、頂点を五爻(王、大統領、社長等)におく。
段階では、最盛期は五爻に置く。
これを中心の中爻という。

次に、相対する爻を配置する。
相対する爻は、初爻と四爻、二爻と五爻、三爻と四爻。
相対する爻の値が、陽と陽、陰と陰なら応じるとし。
相対する爻の値が、陽と陰、陰と陽なら不応とする。

基本、応じる事を吉とし、不応の事を凶とするが、中爻には例外もある。

そして、ニ爻を内卦、下卦の中心、代表とし。
五爻を外卦、上卦の中心、代表とし。
中爻を全体に中心とする。

小成卦、大成卦を構成する爻には一連の関わりのある指標、あるいは、基盤になり指標を選ぶ。

先ずベースを決める。

自然科学に時空間があるように、経済科学にも時空間がある。
経済には、縦、横、前後、時間軸がある。
縦軸は、売買と貸借によって作られ、横軸は、市場によって作られ、前後軸は、部門によって作られる。
そして、時間軸は、生産、分配、消費によって作られる。

「お金」の流れる方向の垂直方向に同額の債権と債務が生じる。
売り買いによって、同じ価値の財が反対に流れる。
部門間の取引は置き換わる。

貨幣経済では経済の働きは、貨幣の流れから生じる。
経済の働きは対象や局面などによって違っているが、同じ流れによって生じる。
故に、等価である。
貨幣価値は交換価値であり、交換を前提としているから、働きは必ず双方向な働きになる。
一方向の働きは成立しない。
双方向な働きだから均衡するのである。
即ち、双方向で等価な働きを前提としている。

経済には、縦、横、前後、時間軸があるから、経済を構成する要素には縦横の働きが生じる。

縦軸は、売買と貸借によって作られ、横軸は、市場によって作られ、前後軸は、部門によって作られる。
そして、時間軸は、生産、分配、消費によって作られる。

故に、経済を構成する要素の働き、影響を考える場合それぞれの座標軸に与える影響を包括的にとらえる必要がある。

金利自体の働きは、
一つ、金利は費用である。
一つ、金利は、負債から生じる。
一つ、負債は、返済が生じる。支出。
一つ、負債は、債務である。債務は対極債権を生じる。借り手の債務は貸し手の債権(資産)となる。
一つ、負債は、資産に転じる。借金は負債であると同時に現金という資産でもある。現金は設備や土地に投資する事によって資産になる。
一つ、資産は、投資である。投資は収入の基(資本)である。
一つ、資産は、収益の元である。また、借金の返済の原資となる。

縦方向の働きは。損益と貸借に象徴される。そして、利益によってはかられている。

横軸の象には、以下の事がある。
金利は為替に作用する。
金利と物価に作用する。

金利は設備投資に影響する。
金利は地価に影響する。
景気を抑制する働きがある。
為替に影響する。

上記の事を通じて金利は物価に影響を与える。

前後では、
金利には預金金利と貸付金利がある。
預金金利は金融機関の入口に作用し、貸付金利は出口に作用する。
預金金利は消費に、貸付金利は生産に影響する。

金利の元は、借入金、負債である。
負債は、「お金」の長期的働きである。故に、先ず長期的な働きに影響が出る。
長期的影響としては、設備投資や地価が抑制する事である。
それによって金融取引が抑制され、市場に対する資金供給が細る。

即、物価に影響するとは限らないが、売上や所得を通じて徐々に市場を停滞させる方向に働く。
景気の過熱した時に有効な手段とされるが、効果が出るまでに時間がかかり、時機を間違ったり、逸すると逆効果になる事がある。

短期的影響は、金利の上昇によって為替、物価、景気に影響が出る事である。

貨幣経済では、「お金」の流れによって空間が形成される。
「お金」の流れによって作られる空間を貨幣空間と名付ける。
貨幣空間は、独立した空間である。
貨幣空間が成立することで、貨幣価値値は、位置と運動(働き)と関係が生じる。

経済で重要なのは現象でなく、仕組み、構造である。

空間は場を作っていく。

場は、一定の性格を持ってからに満たされた空間で。
空間全体はいくつかの独立した場が重なり合って成立している。
その場を結びつけているのが物質で、物質は、いわゆる粒子ではなく、運動、働きだとするのが僕の言う重層場理論で。
物質の運動も、物の運動というより空間の歪みとしてもらえれば。
空間方程式として表す事が可能だ。これが重層場理論。

経済構造にも重層場がある。
重層的場は、人、物、金を介して相互作用をすると私は考える。
物理的空間、場と同じで、それぞれの場は独立している。
物は物理的場で働き、「お金」は、貨幣空間で働く。
物理的場と貨幣空間を人が繋いでいると考える。
場を繋ぐのが人の役割。

人の関係によって作られるのが社会構造。
社会を「お金」が循環する事で経済は成り立っている。

循環が上下動、周期運動、波動を生む。
為替の上下動も「お金」の循環運動によって生じる。

経済の空間は「お金」に流れによって作られるから。
流れであるから「入」があれば「出」があり、「出」があれば「入」があり、これが二つの作用を生む。
これは一元的か、二元的かの問題ではなく、働きの問題である。
一つの流れから、二つの働きが生じる。それを、陰陽とする。

このようにして作られる空間には対称性と均衡性がある。
経済の運動は、均衡性と対称性によって成り立っている。

復は亨るとは、剛反るなり。
動きて順をもって行く。
来復するは、天行なり。

経済は、「お金」を循環させて生産、分配、消費を実現する仕組みであって。
その仕組みを成り立たせる目的で「お金」の性格も定められていく。
局面や部分だけ見ても群盲、象を撫でる状態になる。

太極は回転であり。回転から正負、上下、入出、陰陽を生じる。

陰陽は、回転、循環、周期、波動運動である。

回転、循環、周期、波動の動きは、前後、上下、左右、寒暖、内向外向として現れる。
動きには、位置と方向がある。
回転、循環、周期、波動の働きには、強弱、増減、高低等がある。
その他の働きには、速度等がある。

回転は、押す力と引く力に転じる。
押す力と引く力から上下運動が生じる。

経済は大回転、大車輪である。

陰窮まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転じる。

一陽来復。

万物は流転し、変化し続ける。
諸行無常。
一が二となり三となる。
色即是空
空即是色
総ては一からで出てゼロとなる。空。
変易、不易、簡易。
万物は留まるところ知らず、故に、実体は働きに転じる。

何事もすべては無分別で、一。
最初は自他の分別から。
ただはじめは自分を知らない。
分別は、自分の側にある。

見よ。生病老死を。
今、この時を見て。自分に忠実たれ。

今、自分は、どこにいて、何をなすべきか。
自分の縁(えにし)は何か。

向こうに見えるのは明日の我が姿。

天地人の調和を求める。それが易の本義である。

この世界は天地人の別がある。
天は、名目、金、分配。
人は人、消費。
地は実体、物、生産。
天地人の分別によって個々の要素を位置づける。

天地人は三つ巴、ジャンケンの関係にある。
名目は、実体に基づき。
実体は人に操られ。
人は名目に囚われる。

名目に囚われたくなければ、地に足をつける。

個々の要素は、天は、金を根に。
人は、人を根に。
地は、物を根に。

天は、国を作り。
人は、家を建て。
地は、物を育てる。

天は、分かち。(分配)
人は、費やし。(消費)
地は、生む。(生産)

天は、均衡し。
人は、必要とし。
地は、供給し。

天は、恵み。
人は、働き。
地は、場を作る。

金は、天下の周り物。
働くのは、人。
果実は、地から生じる。

財政は、天により。
家計は、人により。
企業は、地による。

天地人、相和して、この世を回す。
天地人が相克するとこの世は乱れる。

本源は天地人、金物人の調和均衡にある。 

二者択一的な判定によって形成されるユニットには八つのパターンがある。

パターンには表裏、対称な関係にある対になるユニットがある。

八つのパターンを人、物、金、情報の流れによってストーリーを作成し、そのストーリに沿って各要素を関係づけ位置づける。
三つの要素を選択するのだから自ずと三要素が考えられる。
指標には、天地人がある。
また、人・物・金。生産・分配・消費。
上部構造・中間構造・下部構造。
前衛・本体・後衛。
過去・現在・未来。準備・実施・後始末。
序盤・中盤・終盤。序破急。
作戦・情報・兵站。
兆し、現実、反省。

経済分析のためのユニットを構成する指標の候補には以下の指標が考えられる。
物価、金利、為替、株価、人口、所得、成長率、失業率、石油価格。地価。

これにオブジェクト指向を絡めると一つの体系ができる。

倫理というのは、命題にあるのではなく、働きにある。
倫理は、内的規範であり、自分の内に向けた命令。

仁義礼智忠信孝悌とは、例えば仁とは、仁という働きを言う。

仁とは、人と人の関係、つながり強化する働き。
義とは、人の行動を律し、社会全体を統制制御する働き。
礼とは、人と人の関係を円滑にし、秩序を保とうとする形による働き。
智とは、与えられた情報を整理、体系化しただし判断ができるようにする働き。
忠とは、忠実、自分の行動を律し、自己実現を促す働き。
信とは、社会全体の人間関係を保証し、維持するための働き。
孝とは、自分の出自を尊び、人としての尊厳を守ろうとする働き。
梯とは、人と人の絆を大切に保持し、志を同じくする者の結束を強くする働き。

嘘をついてはならないというのは絶対命題だけれど。その命題を現実に適用させようとすると種々の条件や前提によって嘘の解釈や定義が変わってしまう。
結局、嘘か否かは言葉の働きによる。故に、倫理の本質は、言葉で表された命題でなく、働きなのである。
この点を理解していないと、中国人の価値基準である徳の意味を理解することはできない。

物事には、順序,序列がある。
仁義礼智忠信孝悌の働きによって序列を定める。

働きは、役割を生じる。
役割によって序列ができる。
序列によって、役割は位置付けられる。
元亨利貞を四徳とする。

元は万物の始。春で仁にあたる。初めに志を断て。
亨は万物の長。夏で礼にあたる。威儀を正し。
利は万物の生育。秋で義にあたる。修行、修身、鍛錬を怠らず。
貞は万物の成就。冬で知にあたる。学問をして知を磨く。

元亨利貞の意味も分からない。

根本は働きにある。
個人情報の取り扱いがいい例で、例えば、医療の個人情報法を医学の進歩や患者の治療に役立てるのと、脅迫やゆすりの種にしたり、政治的に利用するのとで、まったく意味が違う。

礼も形式論的にとらえていたら理解できない。
礼は、形によって定義された徳であり、倫理である。
無論、礼の裏にある思想、哲学の正当性の問題はある。
礼の下地、基礎にある思想が封建主義であれば、封建的な例となり、独裁主義ならば独裁主義的な例になるが、民主主義ならば、民主主義的な礼になる。
民主主義は理念主義的体制だから、民主主義にとって礼は重要な働きをしている。

体制が変わって根底の思想が変われば礼も変わるが、だからと言って礼そのものを否定するのは道徳を否定する事に通じる。

人間は、経済をも自分の思い通りに操れると思い込んでいるかもしれない。
かつて、科学技術によって自然を支配したと思い込んだ時のように。
それは、天を、神を恐れぬ、侮る事で、その報いは直ぐに現れた。
自然保護など思いあがった事だ。自然は一度たりとも人に保護された事はない。
人は常に自然に保護されてきたのだ。
それを忘れた時、人は、自然界から保護されなくなる。それが摂理で。

神の力を手に入れたとしても神になれるはずもなく、いわんや神を超えられるわけでもない。
力を制御できる心がなければ、手に入れたはずの力によって自滅するだけだ。
汝、自らを恐れよ。

人は、幸せな時、神を侮り。
不幸になると神を罵る。

しかし、神は、神だ。
神を、必要としているのは、人間であり、
神は、人間を必要としていない。

神は何も語らない。ただ指し示すのみ。神を信じるか、信じないかは、人の問題。

物価は、人物金の不均衡と時間価値によって変動する。
収支は、個々の主体から見ると増減、正負として現れるが、全体では置き換えになる。
通過の総量は、通貨発行量と回転数。
故に、経済は個々の主体の増減、正負、過不足と全体の配分、偏りの二つの観点から見る必要がある。
物価は需給によって変動する。
基本は物の過不足。
「お金」が不足した時は、国が国民から借金、即ち、国債を発行して供給する。

国債の内、銀行券、通貨に変換されない部分は、中央銀行の当座預金にプールされる。
生産と消費の均衡がとれている時は、通貨の流通量は決定的な影響は与えないが人と物の均衡が崩れると物価の暴走を制御できなくなる危険性があります。
フローとストック、投資と貯蓄、長期と短期、資産と負債。これらの均衡が保てなくなるからです。

原経済量は、生産と消費にある。金額ではない。
金額は取引量である。
ただ、経済量は直接測れないから、取引量を用いるのである。

景気対策の公共投資と言ってもただ、投資すればいいというのではない。
経済的価値が伴っていなければならない。
景気対策とか、失業対策というだけで無目的だけで、実質されるべきではない。
その意味で、バブル期の公共投資は、旧来の考え方、ケインズ的な思想で、投資のための旧来の投資だったと言える。
その為に結果的にバブルを後押し、バブル崩壊後は、不良債権を増やすことになる。
その結果、多くのゼネコンが倒産清算される事になる。また、国費の多くが建設業界の後始末に費やされることとなる。
公共投資は、国家構想に基づき計画的に実施する必要がある。
経済基礎に関わる事業である。
その意味で国防費や防災は、より慎重に、国家戦略に基づく必要がある。

投機や投資でも、関税でも、株価でも、保険でも、当初の目的と働きが一致しない事が問題の根底にある。
その全てが悪い訳では無いが、過度になると当初の目的が置き忘れられたり、達成できなくなる場合が生じる。
好例が投機的な取引によって地価が高騰し、本当に住むことを目的とした人が、家を買えなくなるといった例である。

むろん、最初から目的を誤る場合もある。それは、働きを正しく理解していないことによる。

生産や人の問題が変わらないのに、物価が高騰したり、不況になったりするのは貨幣的現象、「お金」の問題。「お金」が変なところにたまったり、「お金」の流れが淀んだり。
そうすると分配に支障がでる。
だから、「お金」の問題ではないが、「お金」の問題。
「お金」の流れを整えて分配が円滑にいくようにするのが、経済を司る者の務めである。

「お金」ばかり見ているから「お金」の問題は解決できないので。財政ばかり見ているから財政が片付かない。財政の問題は同時に家計の問題であり、企業の問題であり、金融の問題であり、交易の問題です。

絶対的に確保しなければならないのは、数量であって金額ではない。
その点を錯覚しない事である。

今の日本は、物にあふれている。
しかし、八十年前は、物が不足し、餓死する人さえいた。

それは戦争の原因にもなる。
国民が生活に物資を確保する。それが絶対的要件である。

総消費量、消費水準に対して余力のある総生産量、生産水準を維持する事。
ただ、大量に生産すればいいという時代は物不足の社会である。
最低消費の保証。これは分配の問題である。

均衡のとれた分配を実現する為には、国民の消費傾向に合わせてバランスの取れた生産を促す必要がある。

そして必需品が重要。しかし、必需品はコモディティー化して放置すると利益が上げられなくなる。

以上の点を前提として経済の在り方を検討する。
「お金」ありきだと、経済本来の在り方が見えなくなる。
豊かさの意味も。

年金問題ばかり見ていても、年金問題は解決できない。
大体年金問題を制度や設備、「お金」の問題としか考えられなくなってきている。
年金介護問題の背後には、親子関係、家族制度、人としての倫理観、地域コミュニティの問題、隣人との関係、つまりは、人としていかに生きるべきかという根本的問題が隠されている。単に、制度や設備、金の問題と片づけられない。

いくら高級な施設を作っても孤独にするなら。牢獄に入れるのと変わりない。人としていかにあるべきかを忘れて。道徳を忘れたところで議論している。

何のための、誰のための公共投資なのかわ忘れれば簡単に財政は破綻する。
業者や政治家や役人の為、失業対策で公共投資をするのでは、国家百年の計。
国家構想、都市計画がなければ。

経済の基本は、人と物の問題。
生産量が増えて人が減れば、取り分が増えるはず。

経済の基本は「お金」の問題ではないが、最終的には「お金」の問題になる。
それは、「お金」が分配の手段だかで。

一方で、家が余っているのに、他方で住む家ない人が溢れていたり。
一方で、多くの残飯が捨てられているのに、他方で食べる物がなくて困っている人がいたら、それは、分配の問題。
つまりは、「お金」の問題。

一番重要な点は、経済を動かしているのは「お金」の流れだという事で。
流れというのは出入りがある。
出入りというの出し手と受け手がいる。
つまり、経済取引は独りではできない、必ず、相手がいる。
そして、流れというのは、前後がある。
いつも出し手という訳にはいかない、出した分、どこからか調達しなければならない。

「お金」の流れはどこから出て、どこに流れていったか。
もう一つ重要なのは、流れる量は出しても受けても同じ。
つまり不足した分、「お金」が余っている。
全体で過不足は相殺される。財政が資金不足なら、同じだけ資金余剰の部門がある。
これが鍵です。

財政不足を補うなら資金余剰主体のから資金を転移させる。

だから民間投資。投機でなくて、民間投資の中の、設備投資と住宅投資。
民間投資には、設備投資と住宅投資、在庫投資がある。

「お金」は天下の周り物。

貨幣制度は、「お金」を循環させることで、生産、分配、消費を促す仕組みであって。
その為に「お金」は消費されないで、繰り返し使いまわされる。
「お金」は、表面を流れるだけでなく、裏で還流されることで機能している。
表の取引が売り買いであり、裏の取引が、貸し借りであるから、売り買いと貸し借りの量は等しくなる。
「お金」は循環しなければ機能しなくなるので、一方方向の流れは避けなければならない。
例えば、不足し続けたり、過剰になり続けるような働きである。
それが、為替や収支に、上下動となる。
陰窮まれば陽となり、陽窮まれば陰となるという運動である。
故に、作用反作用の法則、常に、反対方向の作用が働いているように仕組むのである。
回転運動や、周期運動、波動になるような仕組みにする。
正がいいとか、負は悪いとかというのではなく。
回転運動による状態としてとらえ。その状態が適切かどうかで判定するのである。
それが損益と貸借の関係である。

現代の経済は、貨幣制度を土台にして成り立っている。
故に、「お金」の性格に制約されている。特
に紙幣の性格に制約されている部分が大きい。

「お金」の働きや性格は、局面によって変わる。

第一に、「お金」は交換(購入、支払)の手段である。「お金」は、譲渡できる。「お金」は、物を購入する為の手段である。
第二に、「お金」は、生産(投資)の手段である。
第三に、「お金」は、分配の手段である。
第四に、「お金」は、支出の手段である。
第五に、「お金」は、貯蓄・価値保存(支払準備)の手段である。「お金」は、保有、所有できる。
第六に、「お金」は、決済の手段である。決済とは、取引を終了させることを意味する。
第七に、「お金」は、評価の手段である。「お金」は、働きを評価する手段である。
第八に、「お金」は、価値を測る手段(基準、尺度)である。「お金」は、経済的価値を図る基準、単位である。
ただし、経済的価値そのものは、市場取り引きで定まる相対的価値である。故に、貨幣価値は絶対的価値ではなく相対的価値である。
「お金」の基準は、分配の為の基準である。問題となるのは、貨幣価値は上に開いているという事で、測る対象となる物と測る主体となる人も有限である。分配の基準となる「お金」が上に開いていると都合が悪い。際限がなくなる危険性があるからで、上にキャップをかぶせる必要がある。つまり、何らかの形(形式的、制度的等)で制限を設けるのである。かつては金をかぶせていた。それが金本位制度である。
制限を持たせておかないと、均衡が保てなくなり。暴走する危険性がある。
第九に、「お金」は、計算手段。
「お金」は、価値を数値化する働きがある。貨幣価値は、離散数であり。自然数である。
貨幣価値の計算は、加法的減産を基本とし、余り算を基本とし、残高主義である。
「お金」は、価値を一元化する働きがある。
第十に、「お金」は、貸し借りの手段である。
第十一に、「お金」は、匿名性がある。
「お金」は、拾っても、盗んでも、奪った金でも見分けはつかない。
「お金」は、匿名性をもつ。
第十二に、「お金」は、移動が可能だという事である。
第十三に、「お金」は、所有できる。所有できるという事は、所有権を転移できる事を意味する。
第十四に、「お金」は、使い道、使い方で働きが変わる。
「お金」の働きには、売買の決済、賃貸料、労働に対する対価、金利、貸付金、借金の返済、サービス料、謝礼、祝、香典、会費、税金、投資、貯金などがある。
第十五に、「お金」は、流れる事で効用を発揮する。流動性。
第十六に、「お金」は、所有するだけで価値を持つ。
第十七に、「お金」は、消費できない。消費されずに価値を保存する。劣化しない。
第十八に、「お金」は、数値情報である。
第十九に、「お金」は、認証、公証され、公的機関(国家等)によって価値を保証されなければならい。
第二十に、「お金」は、公的な物であって、私的なものではない。紙幣は、国家によって保証された証書である。

大前提は、「お金」は、「お金」としてすべての人に認証され、なおかつ、国家によって保証されていなければ効用を発揮できないという事であり。これが、「お金」を制約、制限している一番の要件であり。それは貨幣が情報化し、記号、信号化しても不可欠な要件となる。逆に、何によって、どの様に、貨幣価値を担保し、証明するかがカギとなる。

このように「お金」は多くの性格と働きを持つ。
投資と貯金の関係や、財政問題等を考え、対策を立てようとした時、「お金」は使い道によって働きを変えるという事が重要な要素となる。

貯金は、金融機関に対する投資である。
何が、投資であり、貯蓄であり、売りであり、買いであり、貸しであり、借りであるかは、収入であり、支出でありかは、当事者の立ち位置、状況、前提によって変わる。働きが、立ち位置によって変わる。
そして、経済的効用が、出入りによって定まるとしたら。「お金」の効用、経済的現象を明らかにするために、一つひとつ、だれがどのような立場で、どの様な目的で評価したのかを検証する必要がある。

例えば、なぜ、バブルの時、財政が好転したのか。
なぜ、バブル崩壊後、企業の貯蓄が増え、財政は悪化したのかを明らかにし、どのようにして部門間均衡を保つのかを知るためには、「お金」の働きが部門や状況によってどう変化するのかを知る必要がある。
取引は一方向の働きでなく、双方向の働きをする。
例えば。費用は、見方を変えれば売上であり、報酬であり、対価であり、所得であり、収入であり、支出であり、分配なのである。

また、「お金」は消費されない。消費されないから蓄積する。
「お金」は、消費されないから、再利用を繰り返す。
消費されないから循環する。また、循環させることができる。
この点も正しく理解しておく必要がある。

「お金」は、数値情報である。目に見えている物としての「お金」は、「お金」の本性ではない。
「お金」の本性は数値情報である。「お金」の本性は名目的価値である。
ただ、名目的価値だけでは取り扱う事ができないから、何らかの形式、外形によって実体を持たせる。
それが貨幣である。故に、貨幣には名目的価値と、実質的価値が生じる。

貨幣は、形式、外形を持つことで所有する事が可能となる。
貨幣の重要な属性は、所有できる事で、それを、可能としているのが貨幣の形式、外形である。
貨幣は、形式、外形を持つことで、情報としての実体が持てる。
形式と外形を持つことで所有権が生じる。

貨幣と所有権の関係は切っても来てない不利不可分の関係にある。
特に私的所有権で、私的所有権が制限されている国では貨幣に効用にも限界がある。

貨幣の効能を保つためには、所有者を確認し、識別し、その上で保存可能にしておく必要がある。
誰でも勝手に貨幣が発行できるようにしてしまうと貨幣の働きを制約する事ができなきなり。貨幣の機能は失われる。
ハイパーインフレの時、タバコなどが貨幣に変わって貨幣機能を発揮するのは、貨幣が制約できなくなった証拠である。
貨幣価値は上に開いているのである。

経済は,『お金』の流れによって動いているのだから、「お金」の入りと出が重要となる。故にどこから出て、どこに入ったか、何が出し手で誰が受け手だったかを追跡する必要がある。

経済を動かしているのが「お金」の流れだから経済量が変わらなければ、個々の経済主体や部門、国家が増減、正負、過不足があったとしても、全体では、配置の置換、移動にすぎない。
経済の総量は、発行された銀行券の量と回転数で決まる。

輸入が増えると円安に振れる。輸出が増えると円高。
陰(輸入、円安)が極まれば陽(円高)に転じ、陽(輸出、円高)が極まれば陰(円安)に転じる。
金利が低い(陰)と円安(陰)。金利が相対的に高いと円高。
円高は、物価を下げる。円安は物価を上げる。
この作用によって、輸出入の動きによって均衡が保たれる。

物と「お金」の取引が交錯して、経常収支は均衡が保たれる。

個々の主体、部門、国家の収支の増減、正負、過不足の状況と全体の配分、流れ、周期、偏りを分析し、どのような方向、流れを導くべきか。
その為にはどのような手段が有効化明らかにする。
重要なのは出し手と受け手で、個々の経済主体や部門、国家間でもどこから出てどこが受けたのかを明らかにする事である。
また、「お金」の流れに歪み、滞留、澱み、偏りがないかを調べる。
その上で、個々の主体や部門、国家の特性を明らかにする。関税の働きには、内外格差の是正、脆弱な産業の保護、公正な競争の実現、為替の変動などの是正等である。

まず、在るべき状態、スタンダードな状態、正常な動きを明らかにし、その上で異常な箇所を見つけて警告をする。
均衡モデルを作る。