日本人は、大勘違いしている。
自衛隊を派遣するかしないかは、日本人が決めることでそのことで、他国が感謝しようがしまいが、他国が賛成しようが、しまいが関係ない。
日本政府が国家戦略、国策をもって決することであって、根本は、国防である。
自衛隊の任務は、国防であって他国の先兵となることではない。
さもなくば、自衛隊は守れない。
我が国は属国でも、植民地でもない。
他国の思惑でアリバイ工作のごとく自衛隊を使っては、致命的な間違いを犯す。
自衛隊は、政策の具ではない。
体面の問題ではない。
国家存亡の問題である。
自衛隊員は、今も、命をかけてこの国を守っているのである。
自衛隊員の名誉と生命を守るのも国民の責務である。
丸腰で戦地に送り出すなど、するべきではない。

ウクライナの情勢を見て。
今でも、ロシアの良識、中国の良識、北朝鮮の良識を信じて武装を放棄するということが、理想的だとする人が信じられない。
理想は現実の延長線にあるもので。
現実性のない事は、理想ではなく夢想、妄想である。
本音の建前の言っているうちに、物事の本質を日本人は、見ようとしなくなった。
根本となる前提を間違っている限り、正しい、答えなんて出しようがない。
世の中は教科書通りに動いているわけではない。
平和も、戦争も、国防も現実なのです。
冷厳とした現実なのです。

始めから嘘があったら、何もかも偽りになる。
現実を直視できなければ、後は絵空事。

敗戦という事をですね。
戦争に敗けたという事をですね。
今、僕は、しみじみと思い知らされている。
そんな気がして。
戦後、最初に、嘘ついて。
誤魔化して。
その偽りの綻びがいよいよ、ごまかしきれなくなり。
偽りの繁栄ですね。
戦後の日本の文明は、砂上の楼閣。
蜃気楼みたいな。
白昼夢ですね。
化けの皮がはがれつつある。

でも、日本人は過去を背負って生きていかなければならない。
戦争に敗けたんですね。
日本は。

いざとなったら、アメリカが助けに来てくれるかだとか。
アメリカの核の傘がどうたら、こうたらという議論がまかり通ているが。

先ず、自分たちの手で自分の国を守る。
その覚悟があって他人の手を借りる事が出来る。
他国とどう手を組むかもわかる。
最初から、他国をあてにしたところで、他国は、他国の国益に基づいて行動する。
自国の国益にならない事で自国民の血を流すことなどしやしない。できやしない。
あてにしてはならない事をあてにして、逆恨みしても、自業自得と相手にされやしない。

どうやって自分の国を守るのか。
そういう話が先でしょう。
自分たちの国を自分たちで守ろうともせずに、他人頼りにしたところで、誰も助けてはくれない。

今の日本人の言葉のなんと軽い事か。
心の底から、命をふり絞り、魂を震わせるような言葉。
日本人は、言葉とともに、魂も失った。
悔しい。ただひたすら悔しい。