本日は、方針確認会議である。
予算は未完である。
二度にわたって延期され、それでも。予算は、未完である。
みっともなく無様な事である。
なぜそれでも良しとしたのか。
それは、何が何でも、この会社をよくしたい。この国をよくしたい。
その為には生まれ変わる必要がある。
この会社をよくするためには、現実を直視しないと。
予算一つ満足に立てられない自分たちの未熟、無様さを受け入れなければ、生まれ変われない。
恥も外聞もかなぐり捨て、自分をさらけ出さないと何も変わらない。
自分が変わらなければ、何も変わらない。
その熱意、志を良しとし、方針確認会議の開催を了とした。

我々は、かつて、学園紛争を経験した。
学校は、荒れに荒れ、学生たちは怒りに任せて行動した。
しかし、何も変わらなかった。
残されたのは荒廃した教育現場である。
そして、バブルとバブル崩壊を経験し、長い停滞、トンネルへと入って、未だに抜け出せないでいる。

その間、若者たちは、諦めること覚え、世に迎合し、妥協する事が賢い生き方だと思い込むようになり、怒る事さえ忘れてしまったようにすら思える。
若者は戦う事すらしようとしない。

どうせ言ったって誰も聞いてくれない。
やったて、駄目さ。
俺なんってと。

諦めた方が楽さ。
でも何も変わらない。
ただ時だけが過ぎていくだけ。

ドン・キホーテを題材にした、ミュージカルの「ラ・マンチャの男」の中にの中にセリフがある。

世間の連中は、俺が狂っていると言う。
しかし、この世の中に正常だと言い切れる人間がどれほどいるのか。
みんな狂っている。

嗚呼、人生自体が気違いじみているとしたら、では、一体、本当の狂気とは何か。
本当の狂気とは、
夢に溺れて現実を見ようとしないのも狂気かもしれない。
現実のみを追って夢を持たないのも狂気かもしれない。

だが、一番憎むべき狂気は、あるがままの人生に、ただ折り合いをつけてしまって、あるべき姿のために戦おうとしない事だ。

またこんな一節もある。
今の自分を愛するにではなく、未来の自分を愛せよ。

皆は、次があるさと。
でも、戦場を生き抜いてきた親父たちは、次なんてあてにするな。
次なんてあてにしていたら、明日はこない。
今、全力で生きているから、次が期待できるので。
今を全力で生きていないと、次なんてこない。

諦めたらお終いさ。
最後の最後まで、最後の一試合、一球まで、勝負を諦めるなと言い続けた。
それが生きる事さ。

このまま、一戦を交えずに自分の人生に白旗を掲げるのか。
こんな状態で、何の決意を誓えるのか。

親父たちは、毎日まいにち、神前に額づき生まれ変わる事を誓った。
禊さ。

方針確認会議をしても何も変わらないのでは、方針確認会議なんて意味ないよ。
単なる、形式、魂のない骸。
何が何でもこの会社をよくしたいという思いがるから、魂がこもる。
皆の思いが式典い魂世宿すのだ。
お体裁なんて考えていたら、むしろ、逆効果だよ。
日本人にとって方針確認会議は禊なんだ。神聖な所。
神に向かって嘘偽りの誓いを立てるのか。

正直にいこうぜ。
駄目な事は駄目さ。
神の前で嘘偽りの事を誓う気か。
帰って、部下にどう説明するのか。
一歩、外へ出たら、何を指示するつもりか。
今年の方針を言うよ。

坐して死を待つくらいなら、進んで道を切り拓く。
何が何でもこの会社をよくする。
その為には、恥も外聞もカナグル棄て、生まれ変わる。

それが方針だ。誓いだ。

予算は、予算を作る事が目的なのではない。
予算を作る過程で、会社の方針や経営考え方を全社員に浸透させ、理解させる。
ひいては、事業計画や利益を実現するための仕組みを作る事にある。
この点を、勘違いしないようにね。
その為には、予算を作る仕組みづくりから着手しなければ意味がない。
予算を津kる過程で実際に、経費を削減したり、商品を企画する。
あるいは、イベントを企画し、実行する。
そう言った行動、アクションに結び付かなければ、徒労に終わる。
なぜ、予算を作るのか。
予算を作成する過程で予算を管理する仕組みを作る。
そして予実績管理の下地を作る。
例えば、予算の作成過程が経費の節約や管理に結びつかなければ意味がない。
その為には、経費を実際に管理運用している人が責任を持って関われる仕組みがなければならない。
売上は、営業の一線に立つものが責任を持って立てる。
売上を責任を持って利益に結び付ける。
予算を作る過程で会社の置かれている状態を社員各自に自覚させ、各々が管理、改善できるようにする事。それが、予算作成の目的。
だから、特定の人間だけで、予算を作成しても意味がない。
予算には、不確定な要素が入り込む。
また、実務に関わりのない人間が作っても絵にかいた餅になる。
不確実な要素を補うのが予測。
だから、数字的な根拠に基づいた売り上げ計画を、現場の人間に立てさせる必要がある。
自分達が何をしなければならないのかを体得させるためにである。
予算を立てるのは、社員全員が何らかの形で利益に応分の責任を持たせることである。

お金をとして夢を語るのが予算で。
お金を絡めるから、夢も現実的になる。
夢ばかり、語っていても、実現はできない。
かといって金の事ばかり言っていた、味気なくなる。
夢と現実の懸け橋になるのが予算なんだ。

皆で、五千万円儲けようよ。これは夢だ。
五千万円儲ければ、未来に希望が持てるし。
儲けた金で新たな挑戦をしてもいい。
そう考えたら、五千万円なんてちっぽけかもしれない。
少なくとも、赤字ではね。
夢も希望もないじゃないか。
かといって、みんなで、千円なんていたら、余りに惨めだ。皆で、五千万円儲けようよ。
じゃあ、どうやって五千万円儲ける。
これは、夢を語る事だよね。
商品企画だとか、マーケッティングとか、それも大切だけど。なぜって、なぜって、なぜ売り上げを上げなければいけないのって。
それがわからなければ。
何故って、夢だからさ。
希望だから、自分たちの可能性を高めるから。
それが予算なんだよ。

五千万円儲けようよ。
そりゃあ大変かもしれないよ。
だから、面白いんじゃない。
簡単に実現したら、つまないじゃない。
予算は、挑戦や、冒険さ。
皆で一丸となって、夢に向かってさ、挑戦しようよ。
予算は、挑戦状さ。
誰に向かっての挑戦状かって。決めてるじゃない。
俺達、自分自身にさ。
逃げようとする自分。
諦めようとする自分。
妥協しようとする自分。
迎合しようとする自分。
駄目な自分。
臆病な自分。
弱い自分。
そういうさ、自分に対する挑戦状さ。
俺は、一人ひとりに問うよ。
受けて立つかと。