料理の作り方をオーナーやユーザーに聞かなければわからない料理人は、料理人として失格。
それは、自分が無能ですと言ってるようなもの。
仕事も同じ。
家を設計するのは設計師であり、建てるのは大工の仕事。
オーナーやユーザーの話を最初に聞くのは当然だけど。
オーナーやユーザーが細かい指図しないと苦情を言うのは本末転倒。
オーナーやユーザーが細かい作業まで、指示しなければ、設計も、組み立てもできないのでは、プロとは言えない。
家の建て方を教えられるのは、大工だろうし、設計の仕方を教えられるのは、設計の専門家。
ユーザーやオーナーに設計の仕方や家の建て方を聞くのはお門違い。
それを、餅は餅屋と教わった。
システムを設計するのも、プログラムをするのも、開発するのも、、オーナーや、ユーザーではない。
オーナーや、ユーザーの、オーダーやミッションに従って仕事、作業仕様を作るのは、請け負った側の仕事。
だから、指示や発注を受けたら、直後に、指示内容、発注内容を項目ごとに一旦整理して、仕事の構想を立てそtれを、焼死、オーナー、ユーザーに報告し、了承を得てから作業仕様の作成に着手する。
オーナー、ユーザーの話を聞いたからと言って、勝手に家を断っていいと言うわけではない。
家の設計は、ユーザーと設計師が共同して作るもので、どちらか一方が欠けっても成立しない。

注意しなければならないのは仕事は一歩いっぽ進めるので、最初に一歩を踏み出さないと始まらない。
最初の一歩は、歩幅の範囲。五メートル先の話でも十メートル先の話でもない。
況や、一キロ先なんてとんでもない。
まず足元を固める事から着手する。

春には、春にする話を。一月には一月の話を、春に、秋にしなければならないしてもしかがないし。
一月に八月にする話をしても仕方がない。
無論、八月までにやる仕事、予定、目標について話すのはいいけど。
受験する前から入学手続きに悩むのは、早い。
捕らぬ狸の皮算用になる。
序盤には、序盤の指し手を考える。序盤に詰め手を考えるのは早計。
一手いって、一歩一歩。
焦らづに。
歩く速度で考える。
ローマへの道も一歩から。

料理の作り方は教えられるけど、料理を作るのは料理人。
家の建て方は教えられるけれど、家を建てるのは大工。
定石は教えられたも指し手は教えられない。
絵のかき方を教えられても絵を描くのは絵描き。
なぜなら、指し手も、どんな絵を描くかも、指し手、書き手のセンスだから。

仕事は、アートにつながる。

なぜ、考え方や、方針が大切なのか。
それは、他の項目に影響をする、指針、基準となるから。
例えば、旅行計画を立てる際。なるべく、安上がりにしようと言う考えに立てば、宿や食事、交通などの項目に影響する。
同様に、ゴージャスにと言う考え方に立てば宿や食事、交通に影響する。
温泉に拘れば、当然、行き先や宿に影響する。だから、考え方や方針が重要だし、先に決めておく必要がある。
考え価や方針が曖昧だと、計画全体が取り留めなく、まとめようがなくなる。

先ずチーム作り、誰に何を分担させるかを決める。
そうしないと一人働きになる。
リーダーは、自分一人わかっていると言うのではだめ。
というより、自分一人だけわかっていてあとは、誰も、解っていないと言うのは最悪の状態。
先ずいかに、自分の考えを部下に浸透させるか。
その為には、部下に役割を与え、一緒に仕事をする事で理解させる。
そうしないと、組織的な仕事はできない。
一方的に自分の考えをまくしたてても、相手は理解できない。
仕事をやらせないと。
勉強しないと。

下拵え、地作り、土台固め、お膳だって、根回しをしないで、料理を作っても、野菜を植えても、家を建っても、実りは望めない。面倒くさいと言ってる限り、成果は望めない。手遅れになる。

指示命令や、報告書などの確認の際、曖昧な点や、わからない事があったら基本的の空欄にしておくのが原則。
同じ事でも解釈が相違すれば、まったく異なった結論になる事があるからで。
勝手な解釈、憶測推測で話を進めない。
その上で確認をする。確認をしたうえで返答する。
事実誤認や思い違いを放置したまま、仕事を進めると重大な過失を生む原因となる。
また、取り返しのつかない、間違いを犯す危険性がある。
確認は、正否、善悪を問うのではなく、事実確認を目的としていて、事実に基づいているかいないかが、決定的なのである。

プロジェクトなら、大項目としては調査、企画、組織、予算、方針考え方、中項目として市場調査、現状調査、商品企画、販売企画とか。
教育なら、方針、基本的考え方、目的、主旨、組織、予算と言った項目を上げ。担当を決め一つひとつ詰めていく。
先ずチーム作り、誰に何を分担させるかを決める。
そうしないと一人働きになる。
リーダーは、自分一人わかっていると言うのではだめ。
というより、自分一人だけわかっていてあとは、誰も、解っていないと言うのは最悪の状態。
先ずいかに、自分の考えを部下に浸透させるか。
その為には、部下に役割を与え、一緒に仕事をする事で理解させる。
そうしないと、組織的な仕事はできない。
一方的に自分の考えをまくしたてても、相手は理解できない。
仕事をやらせないと。
勉強しないと。

下拵え、地作り、土台固め、お膳だって、根回しをしないで、料理を作っても、野菜を植えても、家を建っても、実りは望めない。面倒くさいと言ってる限り、成果は望めない。手遅れになる。

何故、最初に、項目を上げるのか。
最初は、何も決まっていないから。
決まっていないと言っても、仕事の、枠組みを作らなければならない。
例えば、場所を決めなければならないけど、最初は、何も決まっていない。
だから、場所と項目を上げておく。
項目を上げて、場所を決めるための責任者、段取りを手順に、先に決めていく。
その為に最初に項目を上げる。
ただ、最初は項目だけで後は空欄にしておくのが基本。
なぜなら、最初は何も決まっていないから。
ただ、方針、目的は、項目上げた後、なるべく早い時期に埋めるのが原則。
なぜなら、方針が定まらないと他の項目が埋まらないから。

項目を上げて、役割分担をして、作業を洗い出いすことではじめて共同作業、組織的な作業ができる。
逆に、項目を上げないと共同作業や組織的な仕事はやりにくい。
共同作業は、全員が一つの事に集中させる必要があるからである。
だから、自分たちが若い頃は、指示された直後、取り敢えず、項目だけ上げといてとか、自分お考えを紙に書いて俺の机の上に置いておいてと指示されたもの。
それが仕事始め。

定石は教えられても、指し手は教えられないのだけど。
多くの人は、定石を教えると、定石以外の手を指す。
それでは上達は望めない。