数学について一緒に考えてくれますか。
先ず、数ですね。一について。
一は二つの意味がある。

一つは、全体を表す一で唯一の一ですね。
これは割合を考える時、元となる一ですね。

その他に単位を表す一がある。
単位を表す一二は数を表す一と、量を表す一があり、数を数える為の一と。
量を測るための一で、量を測るための一は、位置があり、幅、距離を表し、幾何の基となる。
それに対して数を数える一は、経済の基礎となる。

単位の一は、単一ではなりったたない、つまり、二がないと、そして三が派生する。
一が、二となり、三となる。数える数というのは物から数を抽出する事だ成り立ち。
一というのは対象の性質を特定する。
石を基準に考える。いくつかの石を一列並べる、その対極に同じ数の林檎を並べて、石と一対一に対応させる。そして、一番端の石に一と名づく、隣の石を二と名付ける。
こうして次々に三、四と名付けていく。一、二、三と順に並べて、位置づけをする。
こんな感じですかね。

数字は究極的抽象、象徴なんです。

数や量というのは究極的抽象なので、その背後にある実体がわからないと、本当の意味は掴めない。

この点は常に注意する必要がある。

一と言っても、一人の人間なのか、一個のリンゴなのか、一群の馬なのか。

それで、日本人は数字の後ろに数詞をつけて区分していた。

一個のリンゴとか、一艘の舟とか一隻の船とか。
一名とか。 だから、基本は、何らかの実体を指し示して、一とするという定義がされてないと。

ユークリッドの定義では、点は部分を持たない。
線は幅のない長さとされるけど、現実にこのような点と線があるかというと疑問。
定義とはそういう事で、所詮、了解可能性がでしかない。

自明もしかり。
自明な事は自明とするので、厳密に言えば、了解可能かどうかが問題。

逆に、その背後にある実体は、不可知であり、直感的に認識するしか、手段はない。

それが唯一絶対なる存在。

数の体系も認識の手段であり、相対的だということ。
初期設定によってまったく違った体系になるということを前提とします。 また、
用いる目的や対象によって閉じた体系とする場合のあるし、開かれた体系とする場合もある。
量は、数直線となり、空間を構成する。
空間は、位置と運動と関係を数学的に取り扱う事を可能とする。
また、時間軸を加える。 変化を数学的に表す事が可能となる。
一定の物理的距離、時間的距離を単位とする事で座標軸を構成することができる。

座標軸と原点ですね。任意な事ですから、何々とするでいいんですけれど。
三つの座標軸を原点を中心に、垂直に交差すると三次元区間が形成される。
位置と運動と関係が構成されるとベクトルが形成される。

空間は、位置と運動と関係を明らかにする。
また、時間軸を加える。
変化を表す。

ガウスとクロネッカーの負の数に対する議論ですね。
要は負の数を近年まで認めなかった。負と借金を結びつけたり。

無限にも二つの考えがあり。
一つは外に向かって無限と、もう一つは内に向かって無限。
前者は発散、後者は収束。
後者、いわゆる、全体を一としたら。
何が問題となるかというと人と物は有限、閉じているにお金の価値は上に開いていて無限。
そして、経済は複利だから幾何級数的に拡大する。
つまり、お金の価値の頭にキャップいかにつけるか。

数の概念というのがどのようにして生まれたかは諸説あるみたいですね。
でも相当長い時間がかかった事だけは確かですね。

演算は最初から論理的になされたわけではなさそうです。
数の数え方ですね、そこに文化の違いが。指を折るというのが基本みたいですね。
税とか軍が絡んでいたとも。でも、おもしろいですよ。

近代まで、先進国でも、数を数えられなかったという人がいますね。
未開地の人間は今でも数の概念がどくとくと聞きます。
まず、数える事。それと、測る事。土地の測量。
常に数学は目的があって発達してきた。
だから、数学を学ぶときはどのような目的があったかを理解しないと本当は理解できない。
まさに数学は歴史なんですよ。

「お金」の数の体系を調べるとなかなか面白い。
江戸時代は日本は四進法が混ざっていたし、つい最近まで、イギリスでは十二進法、つまり、十進法が絶対ではなかった。

それとアラビア数字になる以前、ローマ数字の時代、ゼロの概念がないために桁取りができなかった。

いろいろな体系が時間をかけて統一されてきた典型ですね。
だから、数学の発展は、論理的というより統計的。
演繹的というより帰納的。

ヨーロッパの数学は特異な発展をしてきた。その原点がユークリッドの幾何原論。つまり測る数学ですね。幾何原論は、近代科学を知る上では必須ですね。近代は逆に非ユークリド幾何から始まるとも言われてるんですね。

つまり、近代数学には二つの源流がある。一つは、数える数を源流にした数学。もう一つは測る量を源流とした数学。

問題は、本来は、目的に応じて数学の体系も使い分ける必要があるのに、無理に一つの体系に組み込もうとしている。数学教みたいな、数学も手段、道具なんですよ、絶対なのは数学ではない存在なんですね、ここにも転倒がある。

数学を教える時は、どの数体系を用いるかを明らかにする必要があるが,今の教科書には、決定的にそれが欠けている。

つまり、目的や前提条件などの初期設定がされていない。

いきなり、むき出しに、純粋数学の話がされるから、
子供たちに数学本来の役割や働きが伝わらない。

経済でも、分析には、実数を用います。

現在発展してきているのが情報数学ですけど、これも、既存の体系では修まらなくなってきているというのに。

情報数学は二進法や論理数、行列と言った概念ですね。それと関数や写像に対する考え方が今までの数学と異質な事ですね

でも、やっぱり数学は、単に演算、計算ばかりでなく発展段階に沿ってですねマスターするのが先決かと。
今の小学校の教育は純粋数学に偏っていて数学本来のリアリティーというか、実用性が無視されて子供にはわかりにくい。もともと、数学の原点は読み書きそろばん、それに土地の測量みたいな現実的な目的ですから。
高等数学は弁証法的に形成されてきましたから、最新の数学から遡って学習しようとすると底なし沼にはまるような状態に陥りますから。

家計とかね。旅行の費用とか。お金の割り振りとか、小遣いの使い方とかね。

いくら因数分解できても、それで、数学を理解したとは言えない。
「車で出かけてたら、東京には何時ころにつくかしら」とか。
「明日、みんなで食事をしたいのだけど予算はどれくらいがいいか」とか。
「家を買うんだけど。頭金はどれくらいで、住宅ローンの支払いはどうしたらいいか。金利は。」とか。

数学を数学とと教えるから。
もっと切実的なところで足し算引き算、掛け算、割り算もね。割り算というのは本当は難しいんですよ。

数学は本来、技術や経済、科学に思考パターンの基盤を与えるものであるのに、現実から分離したものになってしまっている。

数学は、統計的に捉えれば。
下手に論理的になろうなんてする必要はない。
数学は合目的的な道具なんですから。

あたかもね、数学は一つの完成した体形が出来上がっているかの如く。数学こそ認識の手段ですから相対的で未完成な部分を常に持つことが運命づけられている。
数学を絶対普遍とするのは、神に対する挑戦です。

だから道具と割り切り、目的に応じて数の体系とかベイズを使うか記述統計を使うか前提条件、初期設定として片付ければいい。

割り算は難しいですよ。割り算は分数ですから、数学の入り口みたいな部分があります。

分数の演算というのは便法みたいなところがあって、モル計算のときの分数の足し算なんて典型ですよ。

実際の計算と結果を検証する事ですね。利益なんて典型。利益の計算は目的や前提条件、立ち位置によって全く違うものになりますから。

数の体系は、目的に応じて使われる道具であり、それ自体に真理があるわけではありません。数は言語の一種であり、言葉が真理を伝える手段であっても、言葉そのものに真理があるわけではないのと同様に、数にもそのような性質はありません。
また、「お金」についても同様で、お金は数を具現化したものであり、その本質はその値にあります。お金自体が価値を持つのではなく、それが表す価値や交換の手段としての役割が重要です。
このように、数やお金は人間の活動や社会の中で特定の目的を果たすための道具であり、その本質や価値はそれらがどのように使われるかに依存しています。過度に数や言葉、お金に意味を持たせることは、言霊信仰の一例であり、誤解や迷信を生むことがあります。

また、「お金」についても同様で、お金は数を具現化したものであり、その本質はその値にあります。お金自体が価値を持つのではなく、それが表す価値や交換の手段としての役割が重要です。

このように、数やお金は人間の活動や社会の中で特定の目的を果たすための道具であり、その本質や価値はそれらがどのように使われるかに依存しています。過度に数や言葉、お金に意味を持たせることは、言霊信仰の一例であり、誤解や迷信を生むことがあります。

経済の数学について勉強したいと思います。

先ず、自然科学で用いる数学と経済で用いる数学とは数の体系が違うという事。
経済は数える数をベースにしている。

また、法人企業、金融、海外部門、財政、家計は、計算基準が別だという事。

家計と財政、海外部門は、現金主義。
企業法人、金融機関は期間損益主義。

現金主義は、住宅ローンの返済も家賃も、支出には変わりない。
だから、住宅ローンの返済も、家計では毎時計算して帳尻を合わせなければならな。

市場経済において単価の算出の公平性を担保するため、法人企業は損益主義。
単年で決済される取引と効用が長期働く資産に対する支出を一括的に処理しようとすると一品当たりの費用対効果の測定が難しい。
それで、長期にわたって効用を発揮する、資産は別会計で処理する事にした。
ただそれだと資産の計上したものの経済効果が反映できないので。減価償却費として分割計上するのだけど、土地の様に、効用が減価しない物は費用計上しない。
ただ、実際の収支では「お金」の不足が生じるので、それは負債と資本で埋める。
問題なのは負債の返済と減価償却などの費用が、結びつけられていない。
だから、利益と収支とは直接的なつながりがない。

ところが、現実の経済主体は現金の収支で動いている。
つまり残高主義。
残高がマイナスしてはならない。
残高が不足すると経済主体は機能を停止する。
それが破産。

このような構図を理解しておかないと経済データを分析する事はできない。

経済数学における利益の認識と内部取引の重要性

経済数学において、簿記の基本概念として、借方が出、実体、外であり、貸方が入、名目、内であることが挙げられます。借りと貸しが均衡してゼロ和になるという点は、経済数学における基本的な概念です。取引が認識上に成り立っているため、認識の作用反作用が働きます。

多くの人が利益は外部取引で生じると錯覚していますが、実際には利益は内部取引の認識から生じます。経済主体内部では取引を均衡させようとする圧力が常に存在し、その圧力が外部に影響を与えることで市場が機能します。この内部圧力が価格の決定要因となり、コストパフォーマンスや費用対効果に影響を与えます。

さらに、費用は分配の手段であり、人件費がその大部分を占めます。人件費以外の費用も最終的には人件費に還元されるため、企業の全ての費用は最終的に人件費に集約されます。例えば、運送費は運転手の人件費、車の費用は工員の人件費、材料費は鉱員の人件費に還元されます。

このように、企業内部での効率的な資源配分とコスト管理が、外部市場での価格設定に大きな影響を与えます。費用が他の項目に化けていることを理解することで、費用が分配の手段であることが明確になります。

経済を分析する時は、データ分析に徹する。
基本的に原データ、生データを基にする。
そうすれば、経済も科学の仲間に入れる。

エネルギーだと設備投資が何にどれくらいされたとか、在庫がどれくらいされたとか、事故とか災害がなかったとか。法改正がなかったとか。人口の変化はとかね。

定性と言ってもね、経済は学説に囚われる事はないよ。
データ重視で(笑)
データ分析だけだとなかなか納得させるのは難しいから。

外に出すとき、経済理論を引用する。

問題は、データの質になる。データの根拠である。

経済は数学。
軍学も数学。

軍事戦力と言っても大軍は一朝一夕で動かせるわけではなく最低でも一か月や二か月はかかる。
軍の戦略は、作戦、情報、兵站で日本では作戦が重視されるが、欧米では情報と兵站が重視される。

兵員や物資の動きに戦略は現れるのであり、また作戦は配置からうかがわれる。
経済も同様でお金の背後にある人や物の裏付けを見る。
人口の推移が経済にどのような影響を当てるか。
石油、石炭、LNGの需給とか電力消費量の動きとか。
大きな変化が起こるとき、なんらかの数字的前兆が現れる。
異常値に注目する。

パナマのガツン湖の水位がプロパンガスの価格に影響する。

最近の経済統計では、因果関係より、相関関係か重視される。

因果関係ではなく相関関係、命題の一対一ではなく、構図の一対一分析、パーターン分析なんだよ。

それは、経済は、原因と結果が一対一に結ばれているのではなく。
複数の要因が複雑に絡まった結果。

だから、構造的で。
相関関係と前提条件から背後にある構造をあぶり出すしかない。
たがら、相関関係から統計的に分析する。

パターン認識、パターン分析ですね。
つまり、ベクトル、行列。
相互作用を解明する。

要するに複数の要素を組み合わせて最適解を求める。
代数的な手法より行列的な手法が主流になってきた、だからディープランニングだし。

人と物は直線運動。
「お金」は回転運動。

経済は基本的に余り残ですね。
余りを残高として処理する。複式計算ですね、貸し借り、売り買いみたいに。

簿記では加算的減算が原則となる。
簿記では、加算と減算は別々に記入し、後で清算する方式が採られる。

これも数学の一つのあり方である。

純額と総額の関係を見る。
つまり数字の中身、構成を見る。
経済を構成する要素は、断片の集まり。
何をベース、基準とし、どの断片と比較するかがカギとなる。

確率の肝は誤差。
誤差から発展した。

経済は、パターン分析が有効なのでけど。
じゃあ、変化の形をいかにパターン化するか。
そこで僕が注目したのが、易。
易は、陰陽、つまり二進法で、変化をパターン化している。
つまり、八卦、六十四卦で変化を分類し、占っている。
占いを予測と考えらばいい。
卦を鵜呑みにすることはないが、易の分類法で変化を解析すれば、何らかの法則が見えてきてもおかしくない。 つまり、陰陽、下上、入出、インとアウトの様に置き換えれば。

赤字黒字、損益、勝ち負けの様に二分化できるデータねこれは何でも易の対象にできる。
つまり、単純化ね。易で言う不易、変異、簡易の関係ね。
こういう易の考え方が。
易で重要なのは均衡なんだ。

また、易は部分や全体の形も分析できる。
どの部分が陰で、全体は陽かみたいな。
その構成も八卦、六十四卦で分類できる。
すごい分析法だよ。中国が捨てているのはもったいないね。

大体、陰陽それぞれを働きとしてとらえ、さらに、占う相手の性別や年齢でも区分できるようになってる。易では、賢者は占わずとまで言っている。
要するに、昔のコンピューターみたいなもの。
易の構造を分析する事さ。