振り返ってみれば。
何が正しくて、何が、悪いかではなく。
その時、その時を、全力で生きてきたとしか言いようがなく。
大体、今、良くても、明日もいいとは限らない。
いい時もあったけど、うまくいかずに、眠れなかった夜もある。
思い起こせば冷や汗が出る。
反省なんてしたくない。
出来れば、失敗は、隠したい。だから譲れない。
でも、それは未練。私情。
正さなければならないのなら、今正すしかない。
未熟だから任せられないのではなく。
未熟だから任せるので。
自分ができるから、任せないのではなく。
自分にできないから任せられない。
自分がやりたいから任せられない。
だから、任せられないのは、自分に未練があるから。
最初は、自分も未熟だったし。
最初からできたわけでもないし。
今でも、納得がいくかと聞かれれば、まだまだと答えるしかないけど。
自分にできないからと言って、他の人もできないなんて思いあがりも甚だしい。
まだまだなんて言っているうちに芽を摘んでしまう。
後は、自分の覚悟次第。
若者を信じようよ。
引き際が大切さ。
いい時は、いい事で、悪い時は、悪い事で、まだまだと、引き下がれなくなる。
自分より後の人の事を優先しよう。
さもなくば、後の人が皆、立ち枯れてしまう。
年寄りには、年寄りの意地がある。
次の世代に引き継がせねばならない事がある。
どうしょうもない事で、いつまでも、ウジウジ、考えていても、仕方ないじゃあない。
だから、一言、未練と片付けてきたけど。
それでも、たくさんやり残したこと。
できなかった事、バカにされた事、失敗した事、悔しかったことがあるさ。
今だって皆、俺より優秀に思えて情けなくなる。
今、ここで、俺が、まだ若い、まだ早い、、お前は未熟だと我をはれば、若者の芽を摘む事になる。
二十も、三十も、若いもの、否、子供からも学べたら、きっと、新しい境地が開ける。
自分がやり遂げなかったから任せられないのではなく。
自分がやり遂げられなかったからこそ、功を後の人に譲る気持ちが大切なんだ。
後は任せると。
昔は、自分より年上の人は、自分より優れていると、単純に従えばいいと思ってきたが。
今は、若い者にかなうわけもなく、若者に、素直に学べば立つ瀬もある。
時は、残酷なもので、四十を過ぎれば否応なく衰えていく。
それまで、できていた事が出来なくなる。
けれど、衰えていくのがわかっていても、気持ちだけは追いつかない。
衰えた事を認める事が出来ずに、まだまだ、できるつもりでいる。
未熟な事を認められないよりも、衰えを受け入れられない事の方が怖い。
なぜなら、自分はできるつもりでいても、実際はできないからで。
未熟な事は、成長すれば、克服できるけど、衰えは、時とともに昂進する。
でもね。それでも、人は、生きていくしかないんだ。
時の流れに身をゆだね、前向きになれらば、経験が多い分、望みも持てるが。
時の流れに逆らえば、老いは、必ず報復する。
時の流れを楽しむ心のゆとりがあれば、老いもまた、人生を豊かにすることもできる。
だからこそ初志が大切なのだ。
昔は、子供が多くてピラミッドが成り立ったけど。
今は、少子高齢、年寄りが、自分の衰えを認め、道を譲らなければ、若者たちに重くのしかかる。
因果応報。これも、我々が担わなければならない、宿命。
友は、いつまでも、若いつもりでいるけど。
もう、若くはないと俺は忠告するさ。
若い頃は、一日、二日、休んでも取り戻せるけど。
歳を取ると、若い頃の何倍も努力しないと。
だから、日々新たに。
若い頃の、二倍も三倍も勉強をして。
絶対にあきらめはしない。
そうすれば、若い頃に見えなかった世界も見えてくる。
ただ、前進あるのみ。
惨めにするのは、自分の心だからね。