意外と、打ち合わせの意味や目的を正しく、理解している人が少ない。
その為に、打ち合わせが打ち合わせの目的を達成できず。
話の話に終わったり、討論会みたいになって収拾がつかなくなる。
打ち合わせの目的は、段取りを付けたり、進捗状況を確認し、次回の打ち合わせまでに各自がやってくる事を決める事。
だから、各自、自分の所属する部門に戻ったら、次回は、いつで、それまでにやってくる事を報告する。報告できない者は、何を打ち合わせてきたんだと叱責された。
故に、打ち合わせの手順は、前回、決まった事を確認し、今回までにやってくる事がどうなったかを聞き取り、修正、変更、作業の組み換えがあれば、調節し、次回までにやってくることを決め。結論を確認し散開する。
自分の都合で約束を延長した場合は、必ず、後の約束、日程と、それまでにやってくることを責任をもって提案する。
打ち合わせというのは、段取りとやる事を打ち合わせる。だから、打ち合わせである。
目的をどうするかと言われたら、いきなり結論、「目的とは、✕✕」とやったら、打ち合わせにならない。
こういう人は、打ち合わせの意味が分かっていない。
そんな事をしようものなら「今、そんな事言ってどうするんだ。どうやって目的を決めるかを聞いてんだ。」と。
弁当をどうしようかと聞いている時に、「どこどこの弁当はどうたらこうたら」言ってもはじまらない。
準備不足で、提案が通らなかった。提案が間に合わなかったらどうするか。
次までの段取りの承認を受ける。
自分の都合で、先伸ばしした場合は、必ず、いつまでに間に合わせるかを、責任をもって提案する。
初回と、打ち合わせ、終回の打ち合わせを入念に行い、つなぎつなぎの打ち合わせには、時間をかけない。
繋ぎの打ち合わせは、時間を短く、頻度を多くする。
指示や結果が出たら速やかに、打ち合わせを開き、正式な初回の打ち合わせを、いつするかを決める。
これは、即刻。遅くとも即日か翌日まで。
やる事が決まったら、関係者を集めて。宣言する。第一声は、開始宣言でいい。
例えば、「十月に展示会をする事になった。」「キックオフをする事になった、ついては、我々の部署が担当する事になったから、そのつもりで言てくれ。担当は○○とする。」
出来れば続いて、主要メンバーを集めて、初回の打ち合わせを間髪を入れず開く。
仕事の手順は、工作仕事や大工仕事が典型。
先ず、最終形を思いえがく。
ただこの段階では、詳細のまでは立ち入らない。
仕事の概要、全体像、構想がたてばいい。
打ち合わせは、手順、段取りを打ち合わせる、日程を提案する。そうしないと他の関係者が予定を組めなくなる。
ある程度、目処が立ったら、仕事の段取り、枠組みに話を移す。
ここが肝心。話を打ち合わせに切り替えるのである。
始めから詳細の話はせづに、ある程度全体像、ゴールが見える程度に留める。それがコツだと。
要は、仕事の全体像が掴めればいい。
そこを勘違いしない。
最初に宣言する人、最初の打ち合わせは、頭になる。
ここを欠くと頭のない組織、頭のない仕事になる。
要は、頭を作るのである。
だから速やかにやる。
何も始まってない時にやる。
正式にスタートする前に、着手すると、着手した部分の変更が難しくなり。
制約される。だから、なるべく、何も手を着けない段階、せいぜい担当を誰にするか程度に留める。
だから、第一声を誰が出すか、初回の打ち合わせをどうするかが重要になる。
試合に負けたのは、相手が勝たせてくれなかったみたいな言い訳は、みっともないだけ。
それは、黙って通してくれるだろうと甘えているだけ。
目的も、単に決めればいいのではなく。それを浸透させる。
その為には何度も何度も口に出しって言わせる。
メモとか書類を見ないでも言えるようになるまで。
それも、単に暗記すればいいのではなくて。
自分のものにするには、何度も何度も口に出して言う。言わせる。血肉になるまで。
「お前ら、わかってないよとよく叱られた。」
「目的はな。決める事は簡単だよ。目的は決めてからが難しいんだ」と。
五十人いたら、五十人に目的を理解させなければ、目的の意味はない。
暗記させるだけでは駄目。
だから、それを、絶えずチェックされた、どうするんだ、どうするとね。
五十人を、目的地に連れていくような事。
目的地を伝えずにいたら、目的地に着いた時、誰もついてこなかったと言う事になれかねない。
支店長にだけ伝えたら支店長しかいなかったとか。
目的地、言っておいたかと聞くと自分達がわかっていればいいと。錯覚している。
先ず、目的を口に出して言う。言わせる。
紙に書いて読ませるだけでは伝わらない。
それから、他の人に伝えさせる。
次に、相互に確認する、そうすると理解度の違いが見えてくる。
目的が決まったと言っても、細目まで決まっているわけではない。
仕事を進めながら、肉付けをしていく。
肉付けをしていく過程で魂を込めていく。
何度も何度も繰り返して目的を言わせる。
人を代えて言う、場所を変えて言う。聞く。
ある意味回数である。
一回、聞いてわかるとか。
何回も言わされてくどいなんて言っていたら目的を自分のものにはできない。
足元を固めたければ、側近に言わせる。
浸透させた刈れば、一番わかていなそうな者に言わせる。
責任を持たせる。
そうやって、目的をチーム全体に浸透させる。
それがチームビルディングの基本。
鍵を握るのはチームワーク。
何故、監督によってチームが変わるのか。
それは、チーム編成力の違い。
目的は決めてからが大仕事なのだ。
打ち合わせは、今回で止めては駄目。
次がなくなるから。
「次回いつやる。」「次回までに、何をしてきたらいいの。」と、つないでいく。
打ち合わせは、繋ぎつなぎなのだ。
問題はどこにつなぐか。繋いでいくか。
次につなげなければ、仕事は止まる。
中断する。
一度、止めると再起動するのが難しくなる。
下手をすると、つながらなくなる。
「あ、わかりました」と、次に、繋げなければ。
次がなくなる。
だから、わかっていないと。
次につなげなければ。
作業と作業の間に隙間が出来、一貫性がなくなる。
最初の目的や方針とつながらなくなる。
仕事がズタズタになる。
頭とつながらなくなる。
頭がなくなる。
目標が見失われ、当初の目標とは違う方向に走りだす。暴走する。
しかも意図しないところで。だから始末が悪い。
仕事の脈略が失われ、制御がつかなくなる。
指示命令系統が割れる。
原因も掴めずにバラバラに解体していく。
処で、私は次回までに何したらいいんですか。
それが、結論。落としどころ。
方針を決めると決めたら、方針を決めるために何が必要か、何をやっておくべきか、何を調べておくのかが特定できる。
そうして、はじめて、次回までやる作業が明らかになり、段取りが組める。
実際のところ、方針を決める事より、方針を決める為に、どんな情報が必要なのか。
何を知らべたらいいのか、誰の意見を聞いたらいいのかを明らかにする方が難しい。
大体、最初に言うのは、仮説か、予測。
それを結論にしてしまおうとするから、おかしくなる。
大体、来年も今年並みの利益が出せるんじゃないのと。
それは、仮説、予測。根拠ないね。
強いて言えば、勘と経験と度胸。
勘と経験と度胸で仮説、予測を立てるのはいいけど、その裏付けをしなければならい。
それで予算を作る。予算の作成にはそれなりの時間と労力がかかる。
故に、調べたり、話を聞いたり、分析したり、まとめたりするために、どれくらい時間がかかるか。
それが予定であり、見積もりである。それで計画が立てられる。
次に何やるかが定まったら、先ず、次回まで、具体的に何をやるか(作業)をかんがえる。
次の打ち合わせ、次の会議まで、どこまでやるのか。どこまでできるか。
前者は必要性であり、後者は、可能性。
仕事は、できる範囲でやれ。できるところからやれが、原則。
次の会議までに、どこまでできるか。どこまでやるかを見切る、見極める。
最初から、できない、無理だと言うのがわかっている事をやるのは、最初から、失敗するのがわかってやる事、やる気がないと、判断された。
だから、どこまでやるのかを見極める。
五分後に東京駅で待ってなんて、始めから無理。それがわかって、わかりましたと言うのは、欺瞞。
それでも、東京駅に行けと言うのなら、東京駅に行くのに最低どれくらいかかるか。速やかに調べて、上申する。
やる事と期日が決まれば、仕事を見極め、見切るが出来る。
仕事が見極められたら、枠組みをする。
何故、枠組みが必要なのか。そtれは、弁当を箱で説明された。
弁当箱に住切りがなければ、泣か荷が、ぐちゃぐちゃになり。偏るだろ。
汁物と乾き物一緒に盛ったら、ぐしゃぐしゃになるだろ。
仕事も同じ、枠組みをしないと、偏るしぐしゃぐしゃになり、後先もわからなくなり、分担もなくなる、目処が立たないまま先送りされる。
結局、期日間際に、仕事が圧縮され、やっつけ仕事になる。
大枠を決めて、仕事を割り振り、それに基づいって、仕事を割り振る。
次回までにやる事が決まって、作業を組み立てて、どうしても間に合わない事が分かったら、手抜きをする。
手抜きをするなというのは、手抜きをしてはいけない事、手抜きができない処、手抜きをしてはいけない時に手抜きをするからで。
本当に仕事のできる人は、手抜きをしていい処、できるところ、いい時をわきまえている。
期日にどうしても間に合わない時は手抜きを考える。ただし、了解の元。
勝手に手抜きをしたら叱られるよ。
予定を先送りする場合は、後の日程の了解をする。
「すいません、これ後回しにしていいですか」では済まされない。
「すみません。今回にはどうしても間に合わないので、明日、改めてご報告すればいいですか。」
「次回までには、必ずやっておきますので、次回後帆国すればいいですか」とか。
必ず、対案を示し了解をとるのが最低限の礼議。
「やっておきます」は無礼。
予定をなぜ立てるのか。
明日の予約は難しいけど、三か月先の予約は、とり易い。
だから、予定を立てる。
ゴールデンウィークの予約は、三か月前ならとり易いし、選択肢も多い。
それに対し、三日前には予約がとりにくし、選択肢も少ない。
計画を立てる為に必要な行程は、ほぼ同じだけど。
調べたり、予約するために費やす労力は三倍以上かかる。
予測がつかないと言っても、現実には、やる事ほとんど変わらないし。
早く予約しておけば、その分、変更も修正もしやすい。
要は目先の仕事が面倒くさいと先送りしているだけ。
自分達が予定を立てれば社長も予定を立てられる。
社長の予定に合わせようとしても無理。
結果的に、社長の予定に割り込まざるを得なくなる。
一か月先の会議の前後の予定はとり易い。
会議の二日前に、打ち合わせの予約をとろうとすれば、最初から無茶苦茶、無礼。
なぜ、一か月前に、予約をしてなかったと叱責される。
次回、報告する事がわかっていたら、次回の前後に予約入れておく。
当たり前に、何を打ち合わせするかは直前でなければわからないけど、打ち合わせなければならないのはわかっているから。
大体、自分の予定が立たなければ、相手は予定を立てられない。
自分が予定を立てるの礼儀。
なぜ、手続きをとるのか、それは、一つひとつの決めごとをロックする為。
例えば、目的や、方針をロックしておかないと、簡単に変えられてしまう。
一番、方針や、目的を変える事がしやすいのはトップだけど。
ロックしていないと、トップだけでなく誰でも買えられる状態に放置される。
ロックされていなければ、担当者でも、方針を変えられる。
そうなったら、組織の統制は失われる。
ロックされても、変えあられないわけではない。
ただ、その場合は、ロックを解除しなければならない。
変えられるけれど、簡単に変えられないようにするそれが手続きである。
どうしたいの、何がしたいの、何が言いたいんだ。
そこが、頭にくるんです。
頭にくると言うのは、腹が立つと言うわけではないですよ。
そこが核心だと言う事で。
冒頭で、私なら、こうしたいから、こういう会社にしたいから、何々をするで。
頭を欠いて、何々をすると言っても、相手に、通じませんよ。
その部分が、色で。
自分がどうしたいのかで、自分の主張をする。
そこに、自分の考えが出るんですよ。
社長の考えを聞き、自分の考えを伝える、そう言うやり取りを通じて、社長の真意を理解していく。
新人教育をしたいんですけど。
どうして。どうしたいの。何がしたいの。
それが具体的な仕事として、提示された時、はじめて、教育担当者の考えや、目的がわかる。
また、社長の希望を聞いた時、社長がどん会社にしたいのか、何をしようとしているか真意が見ている。
だから、要件定義で。いつ、だれが、誰に、どこで、何を教材にして、誰を講師にして、何を教えるのか。
その意見を交わす事で、自分と相手との差や違いを理解し、歩み寄っていく。
後は、お互いにどこまで許しあえるかですね。
概念的定義、一般論では教育方針は立てられない。
自分の子供の教育方針は。両親が立てる。
それでなければ、自分の子に責任が持てない。
自分で、自分の子供教育方針は、自分がハッキリさせる。
他人がとやかく言っても従うわけでもなく。他人の責任にもできない。
どこどこの、だれだれは、こう言っていたとか。教科書にこう書いてあったではなく。
自分の子をどのような人間委育てたいのか。どうしたいのか。
そこが肝心。頭。
それ抜きに教育論なんて戦わせても不毛。
子育ては、現実。
現実に戦っている人に、教育とはみたいな、観念的な議論は意味がない。
新人教育は、トップの考え、会社の方針に従ってたんと責任者が自分の考えで責任を持ってやる。
だとしたら、トップに、自分がどうしたいか、何をしたいかを、ハッキリと伝えるのは義務。
組合は、最初から、対立を前提としているので、一緒に仕事はできない。
だから、経営から見ると外部団体。
教育を考え、実施するのは人事。
先ず、社長が何を望んでいるかがわからないと怖くて自分が出せない。
自分がなければ、教育はできませんから。
社長の意見を聞いて、じゃあ、自分はどうしたいのかをハッキリさせて、社長の了承が得られたら予算を立てる。
これは、営業だって、採用だって、考課だって、投資だって同じ。
頭を社長と共有出来なければ、頭にくる。
どういう会社にしたいの。
何に投資したいのがあって予算があるので。
予算がった、どういう会社にしたいのか、何に投資するかがあるのではない。
予算は手段、目的にはならない。
予算の枠があるから、交際費を使うのではなくて、顧客をもっと増やしたいかrら交際費が必要だと言うのならわかる。
ただ、その場合、トップや財務の責任者を、説得させなさい、納得させなさいので。
そうでなければ議論がかみ合わない。
予算がるから、教育をするのでも、イベントするのでも、投資をするのでもない。
その前にどうしたいんですかと聞かれる。
その時、わかっているでしょとか。指示されたとか、他人が言ったから、他の会社がやっているかでは、説得力がありませんよ。
指示された仕事でも、目的や考え方は、自分のものにしなければ。
社長も、他のマネージャーも説得できませんよ。
責任者が説明し、説得す与野は責務ですから。
そうしなければトップは仕事を任せられないし。
自分も責任が負えません。
出れも自分の話すの聞いてくれないなんて、とんでもない。甘ったれている。
客が、俺のところに来ないなんて嘆いているような事。
自分から、客を見つけて行かなければ、向こうからはやってこないですよ。
机の前に座ってパソコン見つめていても、客は来ないですよ。
「何がいいたいんだ。どうしたいんだ、先にそれを言えとか。」
「結論から言え」とどやされたけどね。
いつのころから、言いたい事や、やりたい事を言いにくい奮起が作られて。
いつも、肝心事がぼやかされ、
曖昧なままにして。結局うやむやにしようとしてきたから、何にも片付かないままに放置されたんじゃないか。
だから、ハッキリさせようじゃないか。