手順、段取りを間違うと、すべてやり直し。
だから、段取り八分というだろ。
世の中には、通すべき筋があるんだ。
物事には、順序というものがる。
順序や筋を違えたら、なる事もならなくなると。

最近は、順序も筋も死語になりつつあるけど。
やっぱり、筋違いな事は、うまくいかない。

甘い期待で簡単に考えて。
事態が深刻になってから慌てだす。
それを、泥縄というのだ。
泥棒を捕まえてから縄を綯う。

コロナだって、オリンピックまでには収束するだろうと、延長を躊躇っているうちに時機を逸し。
九月には、大丈夫だろうとGO TOキャンペーンを強行したけど一向に収まらない。
今年になって、大丈夫だろうとオリンピックを強行に開催したけど、コロナは、急拡大する。
甘い観測で、何もしてないから、医療がひっ迫してから慌てだす。
こういうのを、泥縄という。

先を見通して、段取りを組み手順よく、手際よくやる。
それに尽きる。
筋を取す事さ。筋を通す。
今の世の中、筋の通らない事が多すぎる。
無理が通れば、道理は引っ込む。

少なくとも、見通しくらいたてろ。
答えなんてないよ。
答えがあるとしたら、結果だよ。

物事を決めるにしても手順がある。
手順どおり決めないと、はかどらない。
うまくいかない理由が、段取り手順を、間違えたことなら。
気が付いた時に、手順を変えればいい。
ただ、深刻であればあるほど、簡単な間違えを認めようとしない。
それで、ますます、物事が拗れてしまう。

始まりは、ぼんやりとして、混沌としている。
何もわからない、薄暗い内に出発する。
だから、どうしても、結末を考える傾向がある。
失敗したらどうしようとかね。
でも結末を考えすぎると仕事に着手ができなくなる。
そうすると、仕事に着手できないままに時間がたち。
切羽詰まてから、仕事の方針や目的を、かっから導き出そうとする。
こうなると本末が転倒し、はじめが終わりとなり、終わりがはじめになる。
そして仕事が、目的から結果にでなく。結果から目的を導き出すようになる。
仕事そのもの言い訳になり。目的が後付けになる。
これでは、何が何だかわからなくなる。
人生も同じ。
若い時に、志を持たないと、わけのわからない人生になる。

計画を実行しようとする時、考えや構想を手順に仕事にしていけと教えられた。
問題は、その手順を頭に入れているかどうか。
我々は、仕事の作法として躾けられた。
茶道、剣道に作法があるように。
仕事にも作法があり。
我々の祖先は、それを芸術のレベルまで高めた。
その作法を、反逆世代がぶち壊した。
ぶち壊していながら、新たな作法を創造しなかった。
その結果が今日の日本の姿である。

簡単な指示命令にも手順がある。
早い話。競争は、
位置について。
用意。
ドン。
の手順を踏む。
いきなり、ドンではない。

なんでも、基本的に、集合、集まれ、注目と、集合・注意喚起命令から始まる。

この辺お話は、機械操作、車の運転レベルのはなしで。
車を何に使うか、目的地をどこにするかのレベルの話ではない。
それは、車を使う日地が決めればいいので。
運転中に、この車、どうやって止めるんですかって運転中に聞かれると怖いというだけ。
できれば、運転する前に確認してほしい。

僕らは、確認に始まり、報告で終わると、クドクドと躾けられた。
若いころは、その意味も分からず。
ハイハイと空返事して、その本当の意味が分かっていなかった。
大切なのは、その根本にある礼節、作法の問題である。
我々が伝えていかなければならないのは、精神である。
精神という言葉も、悪意をもって伝えられているけど。