昭和二十八年生まれの俺達世代は、何でも、端境期(はざかいき)。
俺達は、いわゆる団塊の世代に末端であり、三無主義世代の先端。
団塊の世代は紛争世代、何でもかんでかん古いものは悪いとぶち壊し。
それを見て辟易とした、次の世代は三無主義、無気力、無関心、無責任に堕ちった。
どっちにしても無責任。
途中で中途半端に投げ出して、最後までやりとさなかった。
親父は、始める事は簡単、誰にでもできる。
難しいのは、成功させる事と手仕舞う事さ。
中でも、始末をつけるのが一番難しい。
上手くいかないからと言って途中で投げ出したり、逃げ出したら、江戸子の風上にも置けない奴と、汚名を残すことになるからな。
なんだって、お天道様の下を歩けないようになるな。
大道を歩けと。
道の真ん中を歩けと。
親父は、小学校しか出ていないが、親父の言う事が一番まともだから、以来、学歴なんて天から信じなくなった。
出来なからってなんだ。
わからないからてなんだ。
日本中の人間が無責任だからと言って、自分が無責任なる口実にはならない。
人の性にして、自分がなすことしなければ、自分も、自分が批判している同類になってしまう。
俺は違う。
ならば我が道を行くだけ。
わからない事、出来ない事を認めようとしないから、苦しくなる。辛くなる。
わからない事、出来ない事を隠そうとするから無責任になるのさ。
一度、始めてしまうとやり直せないことがある。
出来もしないのに安請け合いしあがって。尻拭いさせられるこっちの身にもなってくれ。
言ったらやれよ。
引き受けたら、最後まで責任を持ってやりぬけ。
途中で投げ出すくらいなら、最初から引き受けるなと叱られた。
出来なければ、できる人を探せばいい。
わからない事はわからないと認めて、わかる人の教えを乞う。
いい結果であろうと、悪い結果であろうと。
最後まで責任を持ってやり抜く。
結果は素直に受け入れる。
日本中の人間が無責任だから、なんだと言うのだ。
大人たちの無責任さを見てら、子供たちは誰も信じられなくなってしまう。
誰かが責任を持ってやり抜けば、少しは希望が持てるだろう。
俺一人ぐらいという捨て鉢な気持ちが結局は、この国を救いようなくしてる。
日本中の人間が無責任だからと言って、日本人である事をやめられるわけではないし。
だったら、一人くらい愚直に日本人を通す人間がいてもいいだろう。
変わろうと足搔いている日本人を信じてやる馬鹿がさ。
そうしなければ日本人としての一分が立たなくなってしまう。
自分で考え。
自分で決めて。
自分で最後までやり通す。
ただそれだけさ。
逃げたりはしない。
いざという時に何も決めれらない者は、周囲のの者に縋ってくる。
自分のない者は、周りをも巻き添いにする。
自分が無責任だからと、周囲も責任のとれないようにしてしまう。
自分がしっかりしていれば、何とか防げるけれど。
自分がなければ、自分も巻き添えになる。
誰も決められないからと言って、自分まで決められないと言うのは、自分がない証拠でしかない。
我は我である。我が道を行く。
駄目な者に同調する必要はない。
僕は、血の一滴まで日本男児なんですよ。
そう言うと皆、笑いますけどね。
僕は、血の一滴まで日本男児なんですよ。
だから恩義、信義の為なら命をかける。
馬鹿に見えるのでしょうね。
だけど、私は、日本人なら恩を忘れるな、命に代えても信義を守れと。
きつく、親父たちに躾けられた。
綺麗に生きよ。汚いまねはするな。
潔く。未練は捨てろそれが大和魂だと。
あなたがたからすれば御それが大和魂だと。
僕は今でもこの国のために生贄になった一兵卒のですね魂を、背負っている。
この国の信義を裏切れば、その時は命を懸ける。
先の戦争で逝った。
今の日本人から見たら、馬鹿な一兵卒の魂に、僕はいつでも殉じる覚悟があります。
笑いなさい。
純粋に国を思う気持ちなんて愚か者の戯言なんですかね。
ビジネスはビジネス。政治は政治ですよ。
でも根本に国を純粋に思う心がなかったら、何をやっても薄汚くなる。
愛国心は、自分の行為を正当化はしませんが、でも精神は浄化してくれる。
やっぱり僕は、この国のために死んでいった一兵卒の志を大切にしたい。
馬鹿ですかね。
選挙演説を聞いても、心を打つような演説がなくて。
何が何でもと自分の姿勢を貫く志が感じられない。
日和見主義的ですね。
だから、本格的な討論にならない。
改憲是非だって。
憲法を変える事がいいか悪いかではなくて。
国防とか国家の独立、主権とか。
大体、憲法とそういうもので聖典ではない。
過去にも、憲法に対して頓珍漢な事をいった国会議長がいますけど。
民主主義の危機というけど空疎ですよ。
何が民主主義の危機なのか。
暴力反対と民主主義を一緒くたにして反対しているのでは。
アメリカは銃社会で、民主主義だから、銃を所持するのは権利だと言ってるのにですよ。
安倍元総理の暗殺だって。
犯人は、政治的信条に恨みがないと言ってるが。
政治的背景なしに暗殺されたとしたら、それこそが危機ですよ。
選挙演説は、その政党も、どの政治家も空疎ですね。
演説になっていない。
政策もないし、いわんや、思想なんて。
隣の親父の茶飲み話みたい。
親父は、今の政治家は、政治家でなく。政治屋だってさ。
後は、意味もなく覚悟とか、信じてくれとか。
覚悟なんて言葉だけでなく、いざという時の姿勢ですよ
行動が伴っているから言葉に重みがである。
ディベートにもならない。
格調とか、品性とか。厳かとかですね。
聞くだけで魂の震えるような。
今は、エンターテイメントですね。
でも本来は、哲学であり、神聖な事。
国を動かす。
言霊と言いますがね。
言葉尻ばかり捉えて本質を理解しようとしないから。
今は、思想とか国家戦略なんて、祟りとか忌事でしかない。
今、必要なのは、志であり。
本気の覚悟なのに。
我々は間違っていた。
団塊の世代も。三無主義世代も、間違ってていた。
その事を誰も認めようとしない。
しないで誤魔化したり、正当化しよとばかりしている。
若者たちは、そんな欺瞞、とうの昔に見抜いている。
だから、大人、我々を信用しない。
何を言っても聞く耳を持たない。
だけど、本当の事を教えてもらえないと、自信を持って生きていく事が出来ない。
だから、若者たちは、迷走している。
間違いの大本は、自分の根源、よって立っているところを見失った事だ。
自分とは、なにものなのかを忘れた事だ。
自分達が守るべきことを忘れた事だ。
我々が、自分たちに過ちに気がつき、認めない限り。
一歩も前に進めない。
我々が自分たちの間違いを認め。
率直に自分の意見を言って、出直さない限り、この国はよくならない。
笑わば笑え。我が道を行く。