我々は科学者だ。
科学者が忘れてはならないのは、事実であり、現実、そして、常識である。
科学は現実を超えられない。
それを忘れたら、科学は、自滅してしまう。
特に、物理は…。
人は、神を超えられない。
物理や科学は、日常的な常識から、かけ離れてしまった様に、見えるかもしれないが、実際は、現実を突き詰めたに過ぎない。
どんな優れた科学者も、哲学者も、権力者も、死という現実から逃れることはできない。
誰が、見ても、アキレスは、亀を追い越していく。
それは、子供でもわかる道理なのである。
その上で、アキレスと亀の寓話は成り立っている。
科学の上にこの世界は成り立っているのではなく。
この世界の上に科学は成り立っているのである。
あたかも、自分の力でこの世界を思い道理にできると思いあがっている者もいるが、何一つ、人間はこの世界の真理を変えられはしない。
その事を忘れた時、人は、自らの愚かしさによって滅んでいく。
神の力を手に入れても、神の心を理解できなければ、手に入れた力によって滅んでいくのだ。
真実は、核心は、神の御心であって力ではない。
科学者は、現実から目を背けてはならない。
自制心を失えばすべてを失う。
それが現実であり、事実なのである。
真理を探究するのも、天下国家を語るのも、夕べの食事で悩むのも、滑稽に思えるかもしれないが、その人が生きていくという事において、本質はかわらない。
人は、食べなければ生きていけないのである。
滑稽かもしれないが、それが、人間という生き物である。
聖人君主、何て言った、ところで、身近で接すれば普通の人とかわりはない。
おならもすれば、悪態もつく。
聖人君主と言っても、所詮は、人である。
首から、自分は、偉人だと、看板を下げているわけているわけではない。
神にとって偉人の魂もミジンコの魂もかわりないのだから、
その事で、文句を言ったところで仕方ない。
今でこそ、坂本龍馬を国民的英雄と讃えるけれど、
生前は、一介の素浪人、野良犬の様に野垂れ死んでいった。
西郷隆盛は、二度目の島流しされた時、島の年寄りに説教されたといい、
キリストは、十字架に架けられ、
ガリレオは、裁かれた。
多くの偉人が認められるの後世の事であり。
偉大な仕事を成し遂げても、多くの人達は、不遇のうちに死んでいく。
誰にも、認めらずにいる偉人も多くいる。
将軍も、名もなき一兵卒も国を思う心は同じ。
人は、自分の真実を極めるだけさ。
俺は、日本人である事を誇りに思っているし、
日本を誇りの持てる国にするために行動するしかない。
認められようが、認められまいが、そんな事どうでもいい。
名を残したところで国が亡んだら何にもならない。
ただ、一本の草になりたいだけさ。