志だと思うのです。
志は、若者だけの特権ではなく、むしろ年寄りこそ志を持たないと。
私は、枯れはしません。
私は、「今の若者は」と言いたくないのです。
今の若者を育てたのは、私たちだったのですから。
「今の若者は」という前に、自分は彼らに何ができるかを問いたいのです。
わが身を省みて、自分たちが何をしてきたか。
それを思うと今の政治家の姿は哀しく。
僕はそれでも血の一滴まで日本男児でありたい。
かくすればかくなると知りながらやむにやまれぬ大和魂ですね。
年寄りこそ志しが必要なのだ。
若い頃は、純真で無垢。
純真無垢な若者も、歳を重ねるに従って過ちや失敗、挫折を積み上げていく。
正しい行いや、成功より、失敗や過ちの方が心に重く残る。
だから、年を取ると穢れると。
一定の年齢を境に力も衰えていく。
若者にすぐに、追いつかれ、追い越されていく。
記憶力も衰え、新しい事についていけなくなる。
気力も、根気もなくなる。
それだからこそ、年寄りには志が必要なのだ。
年をとると、夢も、希望も持てなくなり、可能性だって限られてくる。
だからこそ、志しが必要なのだ。
老いて、志がなければ、堕落するしか道は残されていない。
自分すら保てなくなる。
保身に走り、献身的な努力を忘れる。
有能な若者の芽を摘んでしまう。
老い先短い者が、将来のある若者の、希望の芽を摘むなんて許されるはずがない。
金や財産を墓の中まで持っていけるわけでもない。
老い先短いからこそ、金や財産や財産が虚しくなるから、捨て身になって働ける。
年をとって金の亡者になって何になる。
臆してどうする。
年寄りだからこそ、何もかもかなぐり捨てられるのだ。
万骨枯れて、腐植土とならん。
年功序列を絶対化する為には、人は、未来永劫、成長し続けなければならなくなる。
しかし、人は残念ながら衰える。
人は、一定の年齢を超えると衰え始める。
志を失えば老い衰え、老いぼれていく。
年を取ったら、できない事やわからない事が増えていく。
それがどうした。そんな事、嘆いていたら、お先真っ暗だ。
だからこそ、歳をとればとるほど、人は志を必要とする。
社員教育の本を読んでいたら。
若い者には、負けたくないとか。
後輩や部下に追い越されたくないと。
何を言っているのだろうと思ったね。
年を取れば、若いのにかなわなくなるのは当たり前でしょ。
後輩が自分を追い越していくのは嬉しい事じゃない。
それで自分を卑下する事なんて何もない。
若い者に負けたくないなんて、そんな事、口に出した時、既に負けているんだ。
リーダーは、自分より優秀なメンバーをどれくらい集められるかで評価される。
そういうものでしょ。
自分が一番だなんて、馬鹿なことを。
自慢にもならない。それは、兵隊・奴の誉れ。
カナダの大学に通う息子の話を聞いてね。
何が欧米の大学と日本の大学が違うのかと考えた。
要するにさ。
日本大学は教授なんだよ。
常に自分は教える立場を譲りたくない。
ところが、欧米の大学では、生徒から学ぶ。
最後は生徒に授業させてそれを喜んで受けるのね。
先生が生徒から間違いを指摘されることもある。
それを、先生は、喜んですらいる。
先生は越えられない存在でなくて。
越えていく存在なんだな。
ここが、日本の大学と決定的に違う。
だから、生徒は、一生、先生を先生として尊敬できる。
年を取ると、指導的立場に立たされることが多くなる。
自分が教えていることが理解されないと癇癪を起こす。
教えてるんだと思えば腹が立つけど、教わっているんだと思えば腹が立つよりありがたく思う。
でも、この年をしてね、教わるのが下手だなっていつも反省してるよ。
年を取ると、教わって、学ぶのが鬱陶しくなる。駄目だよな。
息子はいろいろと教えてくれる。
でもね、親父は親父なんだよな。
大体、歳をとると、人から学ぶ、教わるのが下手になる。
特に、若者から。
だから、ドンドン枯れていく。
実際は、年を取ると若者から学ぶことがたくさん増えてくる。
知識や情報には鮮度が重要で。
いつでも、新鮮な知識、情報を摂取し続けなければ、知識は淀んで腐る。
腐敗した知識に侵された年寄りが、権威を振りかざして、若者を圧し潰したら最低だ。
自分は、なぜ、歳をとると勉強ができなくなるのかと考えた。
そして、わかているつもりになって、初心、原点に戻れない事だと気が付いた。
そこで、小学校一年の算数の教科書からやり直してみた。
小学校一年の教科書からやり直した、多くの事を学ぶことができた。
年を取ったからではなく、わかったつもりで、元に戻る事を恐れていただけだ。
年をとり、力も衰え、根気も続かず、覚えも悪くなり。老いつかれる。
だから、自分を奮い立たせるには、志がなければ、気が萎える。
昔からきれいに年を取るというのは難しいとされた。
一つは諦観だという。
諦観と言っても、何もかも諦めろと言ってるわけではない。
ただ、老い衰えていくのを認め受け入れろと言っているにすぎない。
そして心静かに、涼やかに、自分を振り返れば、さわやかに生きられると。
それが年を取るという事。
年を取って、人間関係のどろどろとしたぬかるみに足を踏み込むことはないよ。
親父は、「幸不幸は晩年に決まる。」と年を取ってからよく言っていた。
人生は、自分探しの旅なのかもしれないね。
それは、これから自分で出していくしかない。
日本は、最悪な状態に陥る事を覚悟しなければならない。
パレスチナ紛争も、ロシアのウクライナ侵攻も泥沼化し。
中国は、台湾を虎視眈々狙ている。
少子高齢化は、ますます深刻となり。
国力あらわす円の価値は下がり続け。
さらなる、円安は物価を押し上げる。
それでなくとの物価上昇率は、いよいよ高止まり。
財政は最悪の状態だというのに、警告をする者もいなくなった。
そんな中、政治は、政治資金をめぐって混迷し、出口さえ見つかっていない。
政治も経済もカオスである。
このまま推移れば、世の中が淀み停滞し、逼塞状態となり、出口に見えない状態に落ちいるのは時間の問題。しかし、それを防ぐ手立ては、いまだに、見つかっていない。
しかも政治家も役人もなすすべもなく傍観しているとしか思えない。
最近は、日本の若い女性が、アメリカから売春目的で渡航すると疑われ入国を拒否され。
事実、海外売春をあっせんしたと逮捕者が出る始末。
日本に国力は、急落したというのに、日本人は自覚すらしていない。
このままでいけば、二進も三進も、もいかなくなる。
そうなると、一に、健全な若者どれくらい残せるかにかかている。
日本人の魂を引き継ぐ若者どれくらい、次の時代に引き継げるか。
何をもって、最悪とするのか。
それは危機感のなさです。
状況が悪くても、その状況を直視し、一致妥結し打開しようとすれば、希望が持てる。
最悪なのは危機にあって、危機感がない事。
これでは踏みとどまれない。
際限なく落ちていく。
破滅、自滅の道しか残らない。
それこそが国家存亡の危機です。
危機感のなさは、年寄りの諦めにも一因がある。
年寄りの投げやりな姿勢が、若者たちからやる気をなくさせる。
先がないからと保守的になって、若者の鋭気を挫く。
年寄りが諦めるのは、自分勝手だ。
先のない年寄りが諦めて、先のある若者の諦めさせるのは罪だ。
絶望的な状況にあって、それでも、何とか、正常さを取り戻そうとする若者たちに未来を託さなければならない時に、なぜに、若者のやる気をなくす。足を引っ張るのか。
年寄りが世を諦め、拗ねてどうするのですか。
年寄りが志をもって魂の一滴まで燃やし尽くす時。父祖の志は次の時代に引き継がれるのです。
だから、私は諦めない。
年寄りに諦めるなんて許されない。
年寄りであることを理由に諦めるのは無残、無念。
年をとってこそ、志を持つ。志すことが許される。
それが、サムライ魂。大和魂。
ただ、老醜をさらすのみか。
それとも。
年をとってこそ志を持て。
年寄りは未完たれ。
終わってたまるか。
未完であれば、まだ先がある。