山を登りたいと、山を登ろうと思ったり、決めても、それだけでは山は登れない。
お腹が空いた、何か食べたいと感じても、それだけでは、お腹は満たされない。
温泉に行きたいね、この間、テレビで箱根の温泉の話してたよ、温泉行ったら楽しいねといくら話しても、温泉にはいけない。
仕事にしなければ、始まらない。
仕事も同じ。
調査せよと指示されても、仕事にできなければ、何も始まらない。
計画をせよとか、プロジェックと立ち上げろと言うだけでは、仕事にはならない。
仕事にするのは、指示された側の仕事。
料理の仕方は、料理をする者が考える。
山の登り方は、山を登るものが、考え、或いは、習得する。
山にのぼり始めてから、準備してません、用意してませんは許されない。
料理を始めてから、料理できませんも許されない。
運転してるときに免許を持ってませんも許されない。
だから、自分が、仕事が仕事にできるように食いつく、食らいつく、つまり確認する。
親父たちは指示された直後に食らいついていかないちと、お前やる気あるのかどやした。
聞かないで、仕事にできるかってね。
待っていては駄目。仕事にしなければ、責任が果たせないし、始まらない。
聞かれた内容で、その人間の技能を親父たちは見抜いた。
質問の途中で、相手の技能に応じて指示の内容を微妙に変えた。
それが言われなくてもやれと言う意味。
細かい指示をしなければ出来なければ無能と言う事。
また、何も、しないで一定期間過ぎたら。全責任は担当した者が負うことになる。
それで、何も聞いてこない奴が一番困るとぼやいていたよ。
わからなかった速やかに聞け。
憶測、推測で応えるな。
知ったかぶりはするな。
嘘つくな。
やってない事はやってないと言え。
事実だけを言え。
聞かれた事だけに応えろ。
言い訳はするな。時間の無駄。
仕事にすると言うのは、具体的に作業におとす事だけど、闇雲に落とせばいいという訳ではない。
先ず、要件を項目ごとに整理した上で、手順段取りに沿って計画的、組織的に実行していく。
基本、定石はあるけれど、基本、定石にとらわれすぎると、状況、環境、条件の変化に対応しきれなくなる。
決められた時、指示された時から始まるので、終わりではない。
定石は教えられたも、指し方を教える事はできない。
教えられるのは、基本的な事。
藤井名人に将棋を教えられるかというけれど。
藤井名人だって、最初から、将棋の指し方がわかっていたわけではない。
つまりは、藤井名人に、将棋の指し方、定石を教えた者がいる。
初歩的な将棋の指し方を指導した人は、何も、名人、達人とは限らない。
むしろ、ド素人の可能性の方が高い。
藤井名人が今あるのは、早い時期に、素直に将棋の基礎を学んだから。
基本を学ばなければ、今の藤井名人はいない。
なのに、いい年をして基本ができていないのに、基本を学ぼうともしない者がいかに多い事か。
学ぼうとしないどころか、基本ができていないのに、教えようとする。
それでは、人を育てるどころか、駄目にする。
マニュアルがあるのと、ないのとでは。
実際の崖を登るのと壁を登るのとの違いぐらいあるのね。
室内の壁を登る場合は、ある程度最初から設計されていて、しかも、天候の影響を受けないけど、実際の崖はそういうわけにはいかないじゃない。
実際の崖は、自分で構想を立て、しかも、環境状況の変化を自分で判断していかなければならない。
マニュアルというのは一定の定められた範囲で判断していけばいいけど。
マニュアルでなく、自分の判断に任されたら、定められた範囲だけ考えればいいと言うわけにはいかない。
部分だけでなく全体を見て判断する事が求められる。
要は、水槽の中でいきていくのではなく。
大海を泳がなければ生きていけないのね。
指示命令や、報告書などの確認の際、曖昧な点や、わからない事があったら基本的の空欄にしておくのが原則。
同じ事でも解釈が相違すれば、まったく異なった結論になる事があるからで。
勝手な解釈、憶測推測で話を進めない。
その上で確認をする。確認をしたうえで返答する。
事実誤認や思い違いを放置したまま、仕事を進めると重大な過失を生む原因となる。
また、取り返しのつかない、間違いを犯す危険性がある。
確認は、正否、善悪を問うのではなく、事実確認を目的としていて、事実に基づいているかいないかが、決定的なのである。
会議は、決める事を決めないで、散会すると質が悪いよ。
何故なら、出席者全員の了承を個別に得ないと何も決められなくなるから。
せめて、次回いつ開くかぐらい決めておかないと、事務方は動けなくなる。
事務方には事務方の仕事があるからね。
その場で決められなければ、事務方にその場で指示して権限をあてえておく。
多頭ば、次回いつ開くか、出席者の都合を聞いて決めて、教授に報告するようにという具合に。
これは、仕事のイロハ、テニオハだからね。
決められる事から決めていく。
その時、決められる事を決める。
決められる人が決める。
決められない事は決められない。
決められない人は、決められない。
最終的に何をやるかは決められなくても、次いつやるかは決められる。
その時決められる事を決めなければ、何も決められなくなる。
決める事には、決めれれる時と、状況、人がある。
時至らなければ決められない。
条件がそろわなければ決められない。
その時に、何が、誰に決められるかを見抜く。それが洞察力。
俗に、天の時、地の利、人の和。
始めに方針は決められても、最終結論は出せない。
試験を受ける前に、入学するかしないかは決められないけど、どこを受験するかは決められる。
どこを受験するかを決められるの受験生で、本来、親でも、教師でもない。
勉強は当人がするので、いくら、親が勉強しても、当人にやる気がなければ、勉強はできない。