日本人の自由なんて、家畜の自由にすぎないさ。
家畜なんて、安全は保障されているように見えて、一部の種牛を除いて去勢され。
与えられた餌を食べさせら。
妻子だって守れない。
ぬくぬくと肥ればいつ食卓に供せられかもわからない。
自分を見る目は、うまそうだなとしか。
かといって、家畜は野生では生きられない。
自分で生きる術を持たないから。
自分で自分を守る意志を持たないから。
自分も自分の家族も、自分の同胞も自分の力で守る意志がなければ、本当の自由なんて手に入れられない。

飼い馴らされてさ。
囲いの中でブーブー喚いたところで、家畜は家畜。
自由にはなるない。
籠の鳥さ。
飼いならされてはいけないよ。
大切なのは、自分の無垢な目をもつ事さ。

もっと獰猛に、もっと猛々しく。
野生の魂を持たなければ。
肥った豚になるより、痩せた狼になれ。

目標は自分で持て。
人から、目標を与えられるの待つな。
人から目標を与えられるの待つようでは、野生の魂は、養えない。
真の目標は自分の心に秘めるもの。
それを野望という。

逆境だの、挫折だの、嫌がらせ、迫害、失敗だの、災難だの、いつだって、いくらだってあるよ。
でも、逆境や嫌がらせ、挫折、失敗、災難を言い訳にして逃げ出したり、投げ出したりしたら、自分が許せなくなる。
大切なのは、その時、自分がどう行動したか、振舞ったかでさ。
為すべき事をしないで放り出して逃げたら、人でなしになるからな。
その時こそ、人としての覚悟、本性が問われるのさ。

自分の安心立命の境地が得たければ、シッカリとした、大地に根をはらなければ。
錨を下ろさないと。
根をはる場所、錨を下ろすところは自分のうちにはない。
根とか、錨とは、信じ、尽くす事。
つまり、信仰と忠誠。
戦い敗れて、日本人は、その二つの対象を見失った。
それから、半世紀以上たったのにいまだに見いだせず、日本人は、彷徨い続けている。
今の日本人は、浮草、根無し草。
心もとなく、あっちへふらふら、こっちへふらふら、酔っぱらいの様に正体もなくさまよう。

信じるべき対象は、志を同じくする同志だ。
忠誠を誓うのは、志にである。
日本人は、本当の国を理解していない。
欧米人の言う国の源は、都市さ。
都市には市民と異邦人と奴隷しかいない。
市民は、志をもって政治に参加する者いう。
だから、三色旗の意味は、自由、平等、同志愛。
日本人は、同志愛を博愛なんて訳すから、意味不明になる。

自由になりたかったら、同じ志を持つ仲間をもって。
そして、仲間に忠誠を誓え。

会社も、志をもって経営に参画する者としない者がいる。
本当に、会社を思い、経営に参画しようとする者が社員で、後は、雇われ人か、使用人。
自由を与えられるのは、社員。
社員となるか、雇われ人となるか、使用人となるかは自分で決める。
ただ、社員を選べば権利だけでなく義務も生じる。
一番大切な義務は危急存亡の秋、会社を共に守る義務。

覚醒せよ。目を醒ませ。
目を醒まさないと、邪教に誑かされ、或いは、悪人に誑かされ、友や国を売る事になるぞ。
そして、何もかも失うぞ。
自由にもなれない。

我々が、求めるのは野生の自由。
自分の力でしっかりと大地に起立する事。