家計に責任を持っているのは、親だけではないよ。
昔は、成人に達したら、働いて家に仕送りしたものだよ。
会社の経営に責任を負っているのは、社長や専務だけではないよ。
社員全員が責任を負てっている。
それを理解できなければ自立した社会人とは言えない。
言いたいことを無責任に言うことは、簡単なんだよ。
会社にしてみれば賃金を払った段階で責任ははしている。
その後は、賃金を受け取った者が、報酬に見合う働きをしているかが、問われる。
責任は、一方的なものではない。
だから、自分たちで予算を立ってて、自分たちの働きが経営に対してどのような影響をあたえ、自分たちがどのように責任を負っているか自覚する。
それが、大人の分別だろ。
自分の言った事に責任を持たなければね。
要求するだけでなく。
自分も要求にこたえないとね。

市場の働きは、双方向の働き。
双方向な働きで市場は、成り立っている。
一方向の働きだけでは市場は成り立たない。
その物が持つ働きと対価が見合っているか、どうか、等価であるかが問題なのである。

お小遣いを、貰うのと同じ感覚で、給料をもらっているとしたら子供だよね。
会社は、給料を支払った段階で皆に対する最低限の責任は果たしている。
忘れないで欲しいな。
現実的には、皆は会社の経営者から給料をもらっているということをね。
経営者は、皆に、給料が払えるようにするために、悪戦苦闘して、自分の責任を果たそうとしている。
その点は理解しておかないとね。
だとしたら、経営者が皆に何を期待しているかが基準なんじゃあない。
経営者の期待に応えたら、給料に見合う働きをしたと言えるけどね。
自分勝手に功績をひけらかしても、経営者の期待に応えていないなら、評価されなくても、仕方ないんじゃあない。
それが、大人の分別だよ。

家族も含めると、社員数の四倍の生活を、養っていると思えと、僕らは、子供の頃から言われ続けて、育っているんだよ。
その責任の重さは、経営に携わった者にしかわからない。
責任の重さに、押し潰された経営者を、何人も、知ってるけどね。
同情はしない。
明日は我が身だからね。

マネジャーは、マネジャーの仕事をして会社の利益を確保する。
それが仕事だよ。
他人の力に縋るのではなく、自分の力を頼って生きるというのは、そういう事でしょ。

家計のやり繰りを母さんにだけ任せて、親父と子供がやりたい放題してたら、生活なんかすぐに破綻してしまう。
子供の教育費にかけるか、自分の趣味にお金を回すか、老後資金を蓄えに回すか。
それは、家族、皆で考えること。
家計のことで母さんに協力しなかったら家族といえる。
言えないから家族が崩壊したんじゃあない。

昔は家族は一体だった。
家族全員が一致協力して家計を支えてきた。
子供であろうと家計に対する責任の一端を持たされた。
子供も働き手の一人だった。
家計に責任を持たされたから家族に一員としての自覚も持てた。
関係ないといわれるのは、一見楽に思えるかもしれないけど、疎外感が生まれる原因になる。
当然だよな。
家族の一番重要なことに関係ななんて言われたらね。

皆が協力しなければ家計が成り立たない。
家族も成立しない。
家計に責任を持っているのは、母さんだけではない。
母さんに何もかも任せていて言いたいこと言いたい放題、やりたい放題していたら、母さんが家を出て行っても仕方ないでしょ。

経済は、双方向の働きで成り立っている。
だから、複式簿記によって経済の働きは表される。

昔は家族は一体だった。
家族全員が一致協力して家計を支えてきた。
子供であろうと家計に対する責任の一端を持たされた。
子供も働き手の一人だった。
家計に責任を持たされたから、家族に一員としての自覚も持てた。
関係ないといわれるのは、一見楽に思えるかもしれないけど、疎外感が生まれる原因になる。
当然だよな。
家族の一番重要なことに、関係ななんて言われたらね。

会社は学校とは違う。
ギブ・アンド・テイクの世界だ。
次に、求められるのは、皆が支払われた給料に見合う成果を上げたかどうかだよね。
学校なら、皆勤したとか、一生懸命勉強したとかで大目に見られるかもしれないが、会社は期待した結果を出してくれなければ倒産してしまう。

生活がかかっているんだ。

それに会社に求められるのは、どれだけ、社会に貢献できるかだ。
そういう事を複合的に考えるのが予算だよ。

予算は、その年その年の利益を考えるだけではない。
投資も重大なこと。
何に対して投資するか。
それも予算。

予算は、資金と資源、人、物、金の配分を考える事でもある。
人件費は、会社にとって最大の投資だということ忘れないでね。
何に投資することが、皆の将来にとっていいのか。
だから、予算を皆で作成するのは、自分たちの未来を決める事にもなる。

国の未来を決める事だから、国会で一番大事な仕事でもある。

だからこそ、予算は、第一戦で働いている、将来のある若者にこそ、責任を持たせて、立てさせるべきものなのである。