潰れっこない。今まで何とかなったんだから、これからだって何とかなる。
最後は、誰かが助けてくれる。
そういう考えになるから、働くなる。
そんな考えに染まったら、結局、堕ちるところまで堕ちるしかない。

杞憂だ杞憂だと安閑としているうちに、何も考えられなくなり、馬鹿になる。
本当の危機に落ちいた時に、ただ傍観するしかなくなる。

確かに、十中八、九は、杞憂で終わる。
何とかなるものだ。
しかし、残された、一、二の時に、東日本大震災のような事が起こり、総てを失うだけでなく深い傷を残す事になる。
だから、杞憂に終わった時こそ大切なんだ。
その時、どれくらいの教訓を得ることができるかが、命運を分ける。

安きに居りて。危うきを思う。
大事は皆小事より起こる。
(貞観政要)

仕事はプラモデルみたいなもの。
出来上がりを想定し、設計図に基づいてパーツを組み立てる。

会議は、仕事や組織の断面である。
仕事の断面は、会議の出席者の構成に現れる。

何回くらい打ち合わせや会議を予定するか。
それによって仕事の段取りをつける。

会議と打ち合わせをつなぎ合わせる事で仕事を構築する。
プラモデルを作る時の様に。

非常時に、状況だけ聞いて指示を出さなければかえって弊害なる。
大変ですと聞いただけだけ、何の指示も出さず、大変な事が起こりましたと報告するだけでは、責任が果たせない。
それでどうするという事が肝心なので。

リーダーは自分が考えられるようにする。決断できるようにする。
その為に、必要な情報は何か、どのように報告してほしいのか、次の打ち合わせまでに準備する。
準備させる。出だしは、次の会議、打ち合わせの準備のために指示をする。
その時間がとれるかどうかが鍵になる。
時間がたっぷりあればいいとは限らない。
決断は、必要最小限情報に絞った方が間違えないからである。

いずれにしても、責任者を集め、手分けして、状況を調べ、応急的指示を出し、再度集まって、方針を決めて指示を出す。
この間どれくらいの打ち合わせ会議があるか。それによって、成否は分かれる。
緊急時には、長時間の長談義は避ける。
時間を短く頻度を多く設定する。
野球でも、毎回、円陣を組むのは、打ち合わせをするためである。

リーダーは、決断をする時は、自分はフリーハンドにしておく。
パーツを受け持つと全体が見えなくなる。
この事は、リーダーだけでなく、メンバーも心得ておく。
忙しくてもリーダーが、フリーハンドになるのは、別に楽をするとか、偉そうにするためではない。
基本的に、リーダーの役割は決断であって、パーツを受け持つと全体が見えなくなる、あるいは、非常時、緊急時の備えがなくなり、適正な判断ができなくなるからである。
トップに運転手をつけるのは、トップは常に、冷静な判断が求められているのであり。
仮に自分が運転していて事故を起こした時、例セナ判断が下せなくなる恐れがある。
また、頑丈な高級車に乗るのは、身の安全を計る為である。
別に自分の地位を誇示する為ではない。ただ、結果的に、自分の地位を象徴するようになるだけの事。

緊急急を要する指示は、直に口頭で指示する。
指示を確実に伝達する事が肝心。 
直に、口頭で伝達する事で確認する手間も省ける。
緊急時は手続きは省く(自分が全責任を持って決断する)。記録だけは残す。
審判は、ストライク、アウトの審判をする時、一々協議はしない。

口頭で指示を出し伝える時、常に状況を判断し、結論を出さなければならなくなる。
誰と最初に打ち合わせるか、何を決めなければならないのか。
それは打ち合わせの指示を出す時に当然考えなければsならない。
センタデー打ち合わせて決められた事に従って指示を出す時、センターの指示に従って現場が指示を出す時、その場面、その局面のリーダーは、自分で考えて結論を出さなければならなくなる。
このような指示の連鎖があって、組織は生き生きと活動するのである。

「一回の表、一番がヒットを打って、二番で送り、三番で帰す。最終的に三対一で勝つ」などといくら読んでも意味がない。
そんな事ばかり考えて連取をしなければ、絵に描いた餅、捕らぬ狸の皮算用になる。
今、やらなければならないのは練習で、考えるべきなのは練習の事。
結果はやってみなければわからない。
考えるべきなのは、結果ではなくて、やる事である。
結果ではなく練習を考える。

結果なんて、やらなければわからないだからといって、何もしないわけにはいかない。
何もしない言い訳にはならない。
どうせ勝てはしないと練習をさぼるのは、最初から、勝負を投げている。
そんな考え方は、自分の人生を堕落させる。
自分の怠慢を、他人の性にするのは卑怯だ。

結果がわからないからこそ、やるべきことをやるのだ。

何でもかんでも、指示書とかメールを出しましたというのはやめるように。
指示書とかメールは公式、基本的指示しか出せないので、実際的、詳細の指示には向いていない。

指示された相手は皆違う。置かれている状況も違う。
相手や相手の置かれている状況に合わせて、詳細を詰める。

特に現場に対する指示は口頭で、相手がわかるよう、また現実の条件合わせて出すよ。
どうとでも取れる指示は指示としての役割を果たしていない。
実際的指示は、実行可能な指示でなければならない。
相手が行動にうつすための要件を満たしていなければならない。
即ち、いつまでに何を誰が、どのようにするのか。
その結果をいつまでに誰に報告をしなければならないのか。
指示、命令は確実に実行されないと、指示、命令の効力を発揮できない。
また、必ず結果を出さなければならないし、報告できることでなければならない。
その為に、指示された側も、指示されたことを確認できる状態でなければならない。
メールや指示書、通知書だけだと確実に相手に伝わったかどうか確証が得られない。
このような指示はただ出したというアリバイ作りに過ぎない。
指示は確実に実施され、その結果が報告できることでなければ意味がない。
いい加減な指示を出し続けると、誰も指示に従わなくなる。

次どうする。繋げる。
仕事は。つなぎ繋ぎにやっていく。

誰に、何を、どう繋ぐかを見れば、方向と体制、筋が見えてくる。

作業は、なるべく前倒しにしていく。
そうしないと波に乗れない。
後回しにするときっかけがつかめなくなる。
「今、やろうと思ってたのに」は、単純な言い訳。
「やろうと思ったらやれ」と。
「やろうと思った時が、その時」

聞かれたら、すぐに答えられるようにしておけ。
それは、常に次何をするかを考えておけという意味で。
聞かれてから、考えているようでは遅いし、そういう人間はやる気がないと。
だから、会議や打合せが終わった時、「それでどうする」と聞かれて即答できないのはやる気のない証拠と。

敵が攻めてきた時。(親父たちには現実。)
「みんな集まってくれ、今、敵が攻めてきたから、反撃しないと。」
「なぜ、敵は攻めて来たんですか」なんて話し合っていたら全滅してしまう。
敵が攻めてきたら「敵襲」と叫ぶ。
黙っていても、全滅する。
「敵襲」と叫んだ、次の瞬間、総員配置に着けるようにしておかないと、大川小学校のようになる。

また、いつでも、一人は話の分かる人間を置いておけと。
話が分かるようにしておけとも。

打ち合わせは、一回ではないから。
打合せというと、一回やれば済むと錯覚している人がいる。
打合せは一回やればいいというわけではない。
必要に応じ、条件や環境が変われば、何度でも開かなければならない。
条件が変われば同じ事でも、人も変われば、やる事も、内容も違ってくる。

打合せは、一回ではない。いくつかの組み合わせが組み合わさって、一つの作業を設定している。
その場限りの打ち合わせはしない。

よく「いつ打ち合わせた」と聞くと、「打ち合わせました」と答える人間居るけど、打ち合わせは一回ではないから。
どの時点での打ち合わせを指しているのかわからない。
それより、先を読んで、次の打ち合わせに頭を切り替え、次の打ち合わせの事を聞かれていると思うように努める。
結局そうしないと場当たり的な打ち合わせになる。

仕事というのは、一連の流れの中でとらえる。
だから、完結しない限り、終わりはない。
「やってあります」とか。「やってあります」
ほとんど、言い訳にしかならない。
多くの場合、聞き手はどこまでやって合って、次はどうするのかを聞きたいだけ。

そういう時に、笑って誤魔化そうとしたり、おどけて見たり、癇癪を起すのは、見苦しいだけ。
わかてがみているという事を忘れないよう。

笑ってごまかすのはやめろ。

よく、親父に、家族も含めると社員かける四倍の人間の生活が懸かっているんだ。
おざなりな仕事はするなと。
真剣に、まじめにやれと怒られた。

会議や打ち合わせが終わったら、次いつ、誰と、何をやるかを決める。
そして、それまでにやっておく事、用意する物を指示する。
何も、やる事がないという事はない。

先を、つなぎつなぎ読み、個々の局面で、何をするのか。それまでに何をするのか。
その先に、何をしに行くのか。
何を持っていくのか。

○○は、いつ、××と打ち合わせるの。
××は、いつ、会長と打合せるのというように繋いで、繋いで繋いでいく。
そして、会長のところにいつ、誰が、何をしに行くのか、その際、用意する物は何か。

潰れっこない。今まで何とかなったんだから、これからだって何とかなる。
最後は、誰かが助けてくれる。
そんな時代は終わろうとしている。
続くはずがない。
何もしない方がいい。
キジも鳴かずば撃たれまい。
事なかれ主義の、日和見主義。
一番、怖いのは、思考力が停止していることだ。

「何の目的で。」
「親睦ではないんですか。」
臆面もなく言ってのける。

目の前に、津波が迫っていても、現実を直視できずに、茫然と立ちすくんでいる。
逃げる事さえ忘れて。

もう時代が変わったのですよ。