基本ができていない癖に、基本的を教えようとすると、馬鹿にするなと怒り出す。
だから、いつまでたっても基本が身につかない。
その事に気が付けば、人は成長する。
気が付かなければ、成長は止まる。
本当のプロは、いつも基本を、大切にしているし。
迷った時は、基本に戻る。基本に戻れる。
でも、素人は、いつまでたっても基本を知らない。
ゴルフの練習でも、ただ、ドライバーを振り回すだけ。
年をとってから基本ができませんというのは、言い訳にならないよ。
だから、若いうちに基本を身につけろと…。
若い頃は、基本、基本と、口やかましく厭になるくらい言われた。
だから、本当に嫌になったけど、この歳になってやっと基本の大切さが身に沁みる。
早く気が付けばよかったと。
基本を馬鹿にしていたら、いつまでたっても成長できない。
だから、若いうちに基本を身につけろと。
でも、今は、若い者に、基本を、馬鹿にする事、軽視する事しか教えない。
だから、基本がいい加減、適当になる。
教える側にしても、基本を教えるのは、面倒だし。責任がもてないから。
なぜなら、自分が若い頃、基本を馬鹿にして身についていないから、教えられない。
なぜできないっかて。
基本ができていないんだよ。
なぜわからないかって。
基本がわかっていないんだよ。
そんな事、恥ずかしがっていたら、いつまでたったってできないよ。
聞くは一時の恥。聞かぬは、一生の恥。
恥はかいて知るもの。
恥をかいた事のない者は、恥知らず。
わからなければ、わかる者に聞けばいいんだよ。
相手を認めてね。相手を受け入れて聞けばいいんだよ。
年をとってもね、できない事はできないし。
わからない事はわからない。
ただね。
残念な事に、年をとったり偉くなると、恥をかきたくなくなるんだよね。
当人が気が付かなければ、学べない。
いつまでたっても、入り口にもたどり着けない。
やらなければ、気が付かない。
気が付かなければ、学べない。
学ばなければ、身につかない。
学ぶのは自分。
基本が出来なくて苦しむのは、自分。
自分の苦しみは、他人にはわからない。
苦しみの種は、自分の内にあるから。
自分が、できないから苦しい。
基本は、自分で学ばなければ、身につかない。
基本ができていないから、できないんだと気が付かなければ…。
基本を身につけたいと気が付かない限り、人は成長しないし、教えられない。
気が付くか、気が付かないかの問題で。
気が付くのが、早ければ早いほど、成長するし、可能性が開ける。
自分から進んで教えを請わないと教えられない。
学べない。教育ではなく、学びなのだ。
教えてでは、駄目で。
学びたいと思わない限り、教われない。
学問と教育は違う。
百人の人間が一日、八時間働いているとして、作業を一時間単位で換算すると、一日だけで、単純に考えても八百の部品がある。
一年の稼働日を二百としたら、十六万の部品がある。
一時間の仕事を、更に、分解し、作業レベル、動作レベルまで突き詰めると分秒単位になる。
だから、個々の仕事を定型化し、標準化する。
一定の時間がたつと日常性の中に埋没して意識されなくなるが、人が変わったたり、環境の変化にそぐわなくなると忽然と、その作業の塊が現れる。
基本ができていれば、作業を組み替えられるが、基本がわからない者は、パニックに陥て、怒り出す。
兎に角、謙虚になって基本を学ぶ事である。
基本を身につかずに、応用ばかり教わろうとしても無駄。
学問に王道はない。
仕事の基本にも王道はない。
帳票や伝票は、必要最小限の情報を集約した書類だと考えていい。
帳票も伝票もかけない、読めないで、分析などできない。
報告書や、企画書、提案書、上申書、稟議書、届け出、リストの形の違いが判らなければ、段取りは組めない。仕事の基本は、形にある。基本は、形で身につける。
確かアインシュタインだと思う。
科学は、複雑な事を、単純化する事だ。
ところが、科学を知らない人は、科学の名のもとに単純な事を複雑にしてしまう。