何でもかんでも、勝った負けたで判断する人がいる。
負けん気の強い事は、必ずしも悪い事とは思わないが。
何が何でも、相手に、勝たないと気が済まない。
自分の言う事より、相手の言っている方が正しい。
自分の案より、相手の案の方が優れているとなったら、負けたと事になると。
こういう人は、簡単に相手の意見を受け入れようとしない。
「何が何でも、自分の方が正しいと認めろ」と迫る。その先は、単なる感情である。
「お前の言う事は正しい。だけど認めない」とか。
「何が何でも、俺の案を採用しろ」と。
だから、日本人の決め事は玉虫色になったり、折衷案になたり、みんなの顔を立てたものになったり。
「何が気に入らない」と言ったら、「お前の案だから」と訳の分からない事を言い出す。
中には、女性だから、黒人だから、年下だからといった差別まで。
そんなことで最善の案が否決されたら。
「お前の言う事は分かる。でも、認めない。」
「なぜ」、と聞いたら、「お前に負けるのが嫌だ」と。
こういうのを天邪鬼という。
天邪鬼はどこにでもいる。
簡単な事は、簡単だからやらない。簡単だから先送りする。
こういう天邪鬼がいる。
簡単だからやらない。いう事を聞かない。
聞きたくない。
わかるから。
でもそれで、問題が起きたら、障害になったら、事故になったら。
簡単な事だから認めようとせず、違う原因を求める。
簡単な事だから、認めない、認めたくなう。
わかっているけど、認めない。
好きとか、嫌いとかで判断されたら。
それが原因でうまくいかないとしたら。
「誰が認めるもんか。意地でも。」
今の日本の政策も、玉虫色で、何が何だかわからない事が多すぎる。
野党の顔を立ててとか、それで重要案件が骨抜きにされる。
後回しにする人は、何もかも先送りにして、何も着手できない。
決めるべき時に決めなければ、時を失う。
なぜと聞けば他愛無い事を。
面倒くさかったとか。
気に入らない。
忙しい。
つい忘れたと。
そんな理由通るものか。
通らないからしらばくれる。
しかし、その時に決めなければ、伝えなければ、前提条件も、環境も、考え方も、何もかも変わる。
そして決められなくなる。
だから、「その日に片づける事はその日に片づけろ。明日に持ち越すな。先送りするな。」
先送りすると決められなくなるぞ。
明日と今日とでは、話が違ってくる。
だから今決めろと。
守るべき筋は、筋として、通すべき説は説として、安易に妥協すべきではない。
相手の意見のほうが優ったからと言いて負けたことにはならない。
勝った負けたで、我を通そうとするのは、単なる私情に過ぎない、大人げない。