仕事というのは、もつれた糸を解き解すような事。
先ず糸口を探すこと。
上手く糸口が見つかればいいけど、そう簡単にはいかない。
だから、打合せや会議が終わった時にしっかりと糸口をつかんでおく。
糸が絡まらないうちに指示を通しておく。
組織的な仕事というのは、車を組み立てるところから始めるような事。
いきなり、エンジンをかけるのではなく。
エンジンだけが動いてもエンジンの動きが待ったの車輪に伝わらなければ、車は動かない。
エンジンばかり空ぶかしいて熱くなっているようなものでかえって危険な状態に落ちる。
エンジンも、車輪も、単体で動いているわけではなく連動している。
車軸には車軸の働きがあり、クラッチにはクラッチの働きがある。
それらが連動して動くギアが一つでもかまなくなれば車は動かなくなる。
ハンドルの動きが正確に車輪に伝わるよう車を組み立てるような事から仕事は始まる。
部分囚われると全体を見失う。
全体ばかり見ていると糸口が見つからなくなる。
なぜ、報告するのか。報告の目的とは何か。
第一に、状況を伝える。第二に、情報を共有する。第三に、自分の考えを伝える。第四に、状況や考えを整理する。第五にお互いの役割を確認する。第六に、次に何をするかを決める。第七に、指示を仰ぐ。第八に、相談する。第九に、教育。第十勉強する。十一に、問題提起。十二、状況分析。十三、警報、警告。十四、確認。十五、点検。
ただ報告すればいいというのではなく。
自分なりになぜ報告するのかを考える。
報告は一回すればいいという訳ではない。
必要に応じて何回でも繰り返す。
人を変えて繰り返す。
誰が誰に報告するか。
誰からいつ報告させるか。
報告内容よりその方が大事な事もある。
報告された者はどうするか。
報告した者は報告した後どうするのか。
報告は報告したら終わりという訳ではないからなとよく注意された。
報告した後が肝心なんだ。
なんでも放しにするな。
報告し放し。聞き話にするな。
報告した後どうする、聞いた後どうするかだ。
報告する者は、報告する前に、報告内容を整理して来い。
何がいいたいかわからない報告はするな。
報告には相手がいる。
相手に応じて報告内容を変えろ。ただし本質、本筋を変えてはならない。
相手がわかるように報告しろ。
手前勝手な報告はするな。
報告するたびに報告内容が整理され自分のものなってくる。
報告するたびに情報が共有されていく。
報告を面倒くさがったり、鬱陶しと思っていたら仕事にならない。
報告には相手がいる。相手の時間を使っているという事を忘れない。
故に、報告は簡潔明瞭、余計なことは言わない。
時には、声に出して報告する事も大切。
自分たちは何度も報告させられた。
もとい。復唱と。
今の日本人の多くはだめな事はだめという論点で始める。
なぜ駄目なのか、どうしてという事が抜けている。
哲学が欠如している。
答えばかり求めて過程がない。
根本の考え方はどうでもいいけど、駄目な事は駄目。
それでは、納得がいかないし。 考えること自体否定されてしまう。
何を根拠としているのかをあいまいにしたままだとね。
科学は、自明な事実を言ういつの根拠とする。
ところが人為的な社会、組織は、そういうことにはいかない。
報告は自分の為にする。
納得がいくまで何度でも。
同じ報告を繰り返し。
きちんとできるまで何度でもやらされた。
また、一人に報告するのではなくて、報告する者を変え、報告する相手を変えて何度でも繰り返す。
報告すればするほど自分の頭に入ってくる。
何度でも、同じように、言えるようになるまで、同じ報告を繰り返しやらされた。
そして報告がしっかりできるようになったら、じゃどうするかと、問題を整理して仕事に着手する。
無論、それも、報告。
この度、記念式典をやる事になりました。
それで、報告終わり?
もとい、この度、記念式典やる事が役員会で決まりました。
それで報告終わり?
いえ、もとい、この度、記念式典をやる事が決まりました。
その記念式典の責任者になりました。
それで、終わりか。それで仕事ができるか?
もとい。この度、役員会で記念式典をやる事になり、自分が責任者を任せれましたが、主旨目的をまだ社長より窺ってていません。つきましては、社長の考えを窺いたく。
どのようにしたらいいかお聞かせください。
わかった、俺から社長に都合を聞いてみるよ。
おって沙汰するから一両日待ってくれ。
それまでになにを聞くか考えて、メモにして俺の机の上に置いておいてくれ。
こうやって具体的にやる事が決まるまで報告をし続ける。
報告も指示された目的によって報告の内容や項目が違ってくる。
例えば状況を報告せよ。
経過を報告せよ。
どこに問題があるか報告せよ。
結果を報告せよ。
実績を数字で報告せよ。
相手の希望を聞いて報告せよ。
危険なカ所を報告せよ。
みんなの意見を聞いて報告せよ。
状況を報告せよといっても。
相手の状況を報告せよとか。
今の状況を報告せよとか。
怪我の状況を報告せよとか。
事故の状況を報告せよ。
いろいろある。
つまり報告と言っても、いつ、誰が、どのような目的で、どのように報告するのか
要件・仕様がある。この点を、報告する側もされる側も十分注意する必要がある。
査察とか、セミナー、打合せ、会議などの出席する者は、事前に、誰に報告するかを明確にしておく必要がある。
何故なら、報告する相手によって、調べる事、聞くべきところが違ってくるからで。
漫然とセミナーや会議に出席すると自分が何を聞かなければならないのか、どこに照準を合わせたらいいのか的が絞れず、ただ所感を述べただけの小学生の感想文のようなものになるからである。
大体、報告相手もわからない査察だとかセミナー、打合せ、会議に出たら自分が何をしに出席したのかも、最初から、わからない事になる。
報告すること自体、考えていなければ、その時点で、組織人と失格である。
報告は、報告、単体で存在するわけではない。それでは報告のための報告。
報告自体が目的化してしまう。
報告はする側にもされる側にも報告された後の事を用意する必要がある。
後先を考えて報告しろ、報告を受けろと。
報告されてからどうしようなんて考えるようでは仕事が後手後手になる。
ボールをどこに投げるか、ボールを捕球してから考えているようでは。
だから、なぜ、何の目的で報告しているのか、報告させるのかを考える。
特に責任者は自分だけが報告を受ければいいというのではない。
自分だけ報告を受ければいいと考えているリーダーはリーダーとは言えない。
リーダーは組織の要で常にどこにどのよう情報、報告を流すかを明らかにする。
それは子供でも分かる道理である。