財政について語るためには、その前に、国家の役割について明らかにする必要がある。
しかし、我々が、生まれてからずっと、存在するのが当たり前、所与の存在だと思い込んでいる国家という概念は、比較的新しい概念である。
現代言われている国は一般に国民国家を指して言う。

国民国家の起源は、アメリカ独立戦争やフランス革命にあるとされる。
十七世紀か十八世紀、せいぜい、三百年前か二百年前に確立された概念で、当然、国民という概念も同時期に確立された。
それ以前は、今で言う国民ではなく主権は、領主にあり、家臣が、下僕、臣民、農奴だった。
当時の、財政は、宮廷官房であって、家政、今の、財政財務とは、考え方も目的も全く違ったものであったが、現在も、国民国家が成立する以前の思想の影響を色濃く受けている。
国民国家が成立する以前の財政は、主として、軍事、治安、宮廷官房、外交。
つまり、国を支配するためのコストであり、税も国債も国を支配する目的のための手段に過ぎなかった。

国民国家の働きには、
第一に、立法。
第二に、司法。
第三に、国防。
第四に、治安。
第五に、防災。消防や防災のための投資。
第六に、外交。
第七に、教育。
第八に、所得の再配分、
第九に、社会資本の構築と整備。
第十に、貨幣制度の維持・管理。
第十一に、興産、産業の育成と充実。
第十二に、経済の安定。
第十三に、市場の管理と整備。
第十四に、労働環境の保全、労働者の権利の保護。
第十五に、戸籍管理。
第十六に、社会保険、年金、失業保険。
第十七に、福利厚生、高齢者介護制度、生活保護、災害者保護。
第十八に、医療制度の確立と保全。
第十九に、環境保全。生活環境の保全。
第二十に、国家財産の管理。

国民国家以前は、立法、司法、国防、治安、防災、外交、以外の働きは、国民国家以前では重視されていない。

国民国家の財政は、国民が主権者であるから、国民の為、国民の権利と義務、国家の独立、国民の生命と財産を守ることを目的とする。
この事を忘れると、主のない、まとまりのない財政となり、終いには、破綻してしまう。

この事を、国民は心に留めておく必要がある。

特に、所得の再分配、社会資本の構築と整備は国民国家の礎である。

国民国家における財政の役割には、一つ、金融機関と協力して、「お金」を生産し、市場に供給する事。
一つ、国家の役割を資金的に支える事(金融的に)。
一つ、「お金」を市場に循環させ、制御する事。
一つ、所得再配分し、所得の歪みや偏りを是正する事。年金、地域格差の是正等。
一つ、所得の再分配の為の制度の整備。介護制度等。
一つ、働くことができないで所得が獲得できない人に給付する事。
すべての国民が生活できるようにすること。失業保険や、生活保護。
一つ、市場の歪みを是正する事。失業対策など。
一つ、産業を育成し、雇用を安定させる事。
一つ、海外との交易のための制度をと整える事。為替制度など。
一つ、景気対策、物価の安定を図る事。
一つ、生活に必要な資源を確保する事。
一つ、災害に備えて備蓄する事。
一つ、国民の厚生のための制度を運営する。社会保険など。
一つ、直接、市場で、消費者から資金が調達でない、仕事に資金を供給する事。社会資本の強化。
一つ、経済犯罪を取り締まるための制度を整える事。
一つ、商法や証券取締法などの制度を整える事。
一つ、建国の理念(防衛費、教育、研究、警察、防災など)を実現するための経費を賄う。
一つ、行政府を運営する為の費用がある。
そして、これらの役割を果たすための手段が、税や公共投資、行政サービスなのである。

財政上、収入とされるのは税だけでなく、事業収益や借入金、預かり金などがある。
支出は、建国の理念を実現する事を目的としている。根本は憲法にある。
支出の項目には、給付金、補助金、公共投資、行政費(防衛費、教育、研究、警察、防災などを含む)等がある。

重要なのは、所得の再配分で、国家の目的を実現するために欠くことのできない働きである。
つまり、国民生活をどのようにするのかを具現化する事である。
所得の再配分は、税と給付のあり方によってさだまる。
課税対象と、税の使い方、給付の仕方こそ、国家理念を明らかにする。

税は、国民の状態を反映する。故に、国民の置かれた環境に適合できる柔軟な体制にする必要がある。
国家百年の計、社会資本は、国家構想に基づいた計画的されなければならない。
公共投資は、既得権、利権化しやすい。
しかし、公共投資が既得権、利権化すると、財政や経済を硬直化させる。

徴税には多額の費用がかかる。
また、税の効果は、使い方によって大きく変わる。

忘れてはならないのは、所得の再配分は、分配の歪み、偏り、不公平を修正するのが目的だという事である。
単に、税収を増やすといった目的で安易に税制を変更するとかえって財政を歪めることになる。

財政と民間企業では、経営の経済的効果を評価するための、目的、原則、基準、考え方が根本的に違うという事を忘れてはならない。
同じ基準では比較できないのである。
この点に十分に留意して、財政の政策は考える必要がある。

税とは、直接、家計の消費には、結びつかないが、社会全般の効用に役立つ仕事に対する対価である。
会計とは、経営の経済量を計測する手段。

財政は、第一に、現金主義、第二に、単年度均衡主義、第三に予算法定主義である。
民間企業は、第一に会計主義(発生主義)、第二に長期均衡所義、第三に、収益主義である。

会計主義と現金主義の大きな違いは、現金主義は、借金の返済額が表記されるのに対し、会計主義は、借金の返済額は計上されない。

税は、分配の手段の一種であり、公的機関の取り分という性格がある。
それが、税を徴収する要因の一つである。
よく、政府に紙幣に発行権があるなら、何も、税を徴収する必要はないのではと主張する人がいるが、それは税と紙幣の関係を理解していないからで。
紙幣や税は、単に分配のために手段という訳ではなく、経済活動を計測し、均衡させるための手段でもあるのである。

貨幣空間は、貨幣が不換紙幣に変わった事で、独自の空間、場を形成した。
つまり、物的空間から貨幣空間が独立し、貨幣空間は負の空間を形成したのである。

税が総て金納に移行よって、貨幣空間が形成され、経済的働きを貨幣換算できることが可能となった。その事で経済のベースが転換した。その契機は、紙幣の発行にある。

物的貨幣は、交換の仲介物に過ぎなかったが、貨幣空間が分離独立した事で、貨幣は、仮想空間として働く事となったのである。
総ての経済行為を貨幣換算できるようになった事で貨幣価値が総ての経済行為を計測することが可能となった。

税が表象貨幣による金納にすべてが置き換わることで税の本質が変わった。
税は、物的制約から切り離され、経済的働きに変わったのである。

交換の手段に過ぎなかった貨幣が独自の空間を形成すると、貨幣の働きが経済を動かすようになる。
そうなると税は、貨幣の働き方によって対象や制度を設計する必要が出てくる。
たとえば、課税対象を、取引とするか、所得とするか、収穫物にするか、資産とするか、消費にするか、商品・サービスにするか、人にするか。それは、取引や所得の働きによる。

税も租庸調のような物納の時代のような、収穫の何割かという発想ではなくなった。
収益、成果、労働時間といった働きに応じた評価へと変質し、それに伴って課税対象も変化した。
それによって、大公共規模な投資が可能となった。また、軍隊の規模も装備も大きく革新された。

所得に課税する目的は、主として所得の再分配にある。

売り上げに対する税は、収穫に対して課税するような事。

江戸時代の税は年貢であり、基本は収穫物の何割かを、お上に収める事さす。
どれくらいかというと四公六民、五公五民とかいわれた。
今なら、売上の四割を差し出せというような事だが、なぜ、成り立ったかというと物納だから。
物だからで、また、家族主義だから、経費が掛からない。
生きていけるだけの物を分け与えられれば何とか生きていける。
小作人は住む家も与えられ、「お金」が必要になれば、地主の下働き、あるいは、子供を年季奉公に出せばいい。
子供を奉公に出すのは、いくばくかの現金が欲しいのと、口減らし。
当時の農村では、現金はあまり必要とされていなかった。
ところが金納になると、そういう訳にはいかない。現金が欲しくて出稼ぎに出るようになり、また農村が疲弊した。
その副次的な反応として、会計制度が導入されあらゆる経済活動が貨幣換算されて課税対象となった。
それによって国民国家の巨額の予算を賄えるようになる。

収益に課税する税は、配当のようなもの。
収益というの正しく理解している人は少ない。
収益を正しく理解するためには、現金の流れ、収支との関係を理解する必要がある
資本金とか、内部留保というと本気で現金、「お金」が余剰にあると思い込んでいる人がいる。
資本金も、内部留保も名目勘定で、働きである。資産ではない
名目勘定の働きを知るためには、負債、資本、収益の関係を収支に結び付けて働きを正しく理解する必要がある。
負債、資本、収益の関係を正しく理解した上で課税しないと、産業の資金的土台を破壊してしまう。

それがバブル崩壊後の日本経済が象徴している。

消費税は、経済活動全般課税するようなことで、取り分のようなもの。

土地でも、現金でも、物的資産は、所有しているだけでは収入を生まない。
このような物的資産に税を課せば土地を担保にして借金をして投資をして、税に相当する収入を得ようとする。
つまり、資産税は、投資活動を活発にし、過剰になればバブルを発生する。
相続税も資産税の一種である。
逆に、土地持ちには、所有しているだけで負荷がかかる事になる。

人に対する税は労働力を引き出す働きがある。

財政赤字の原因は、現金主義、単年度均衡主義、予算法定主義にあります。大体何をもって財政赤字とするのかの定義がされていない。
何のために、誰のために税を使うのか、その目的も構想もないまま無原則に支出していることが問題なのである。軍事費も、防災も、支出をする前に費用対効果を検討しておくべきなのである。

直接国民生活の消費に結びつかない軍事費の国民総生産における割合は、十分注意する必要がある。
過剰な軍事は国民生活を圧迫し、結果的に、その国を好戦的にする。
軍事大国は、最終的には自国の軍事費によって自壊する。

それもまた、神が示されている。
経済活動も倫理も根っこは同じである。

軍は自己増殖するとともに産業とも深く結びつき。既得権益、利権化する危険性がある。
だからこそ、軍人には高潔な使命感と倫理が求められるのである。
何故なら、国家の建国、存立の基盤は国防にあるからである。

表面に現れた現象に囚われると適切な答えが出せなくなります。仕組み、背景にある構造を正しく理解しておく必要があります。

今年、日本は、敗戦後、八十年の節目の年に当たる。
日本は、戦争に負けてから、自らの手で過去を清算する事なく。
アメリカという巨大な力の前になすすべもなく、裁かれ、服従させられる事から始まった。

日本人はこの点を正しく理解していない。
その為に、財政のあるべき姿が描けないでいる。