今の日本人は、軍隊は、侵略的、攻撃的な機関だと決めつけている。
だから、真面目に、国防の話ができないのだ。
国防、防人というように、国を守ることが、本来、軍の最優先事項なのである。
他国を侵略するための軍というのは、基本的に稀である。
国を護るとはどういうことか。
自分の国が侵略される理由を考えてみるとわかる。
自分の国が攻められる理由は、自国にあるわけではない攻める国の都合である。
自国が攻められる理由を考えてみる。
交戦国間の間に位置する。
国内に戦略的な重要拠点がある。
食料やエネルギー等の重要な資源がある。
敵対されると困る。敵国と手を結ぶ危険性がある。
将来、脅威になる恐れがある。
領土的野心。
飢え。
そもそも経済的になりたっていない。
内憂外患。国内に問題がある時は他国を攻めって目を外に向けさせる。
自分の国が乱れたことを原因にして攻めてこられるのでは堪ったものではない。
しかし、十字軍など過去の歴史を紐解くと、結構、国の乱れが戦争の呼び水になる事がる。
中には政治的失敗を他国の性にして攻めてくる事も。
内をまとめたければ外に共通の敵を作れは、古来、政治の常道とされる。
覇権主義、帝国主義、植民他主義などの政治思想による。
攻めてくるのは、自国の都合で、翻って、言えば、自国が攻められる理由の多くは相手国の都合による。
だから、いくら、自分たちは平和を望み、相手国の攻撃をかわそうとしても、戦いからは逃れられない場合が多い。
戦う気がないと言いたからといって見逃してくれる敵はいない。
民族の攻防の中でどれくらいの民族が滅亡したか。
つまり、軍のあるなしは、相手国が侵略する意図と別なのである。
ただ、軍がある事は、相手国が侵略しようとする意志を抑止できる。
相手国は、相手国の弱味に付け込み、自分の国にない資源を狙って奪いにくるのである。
かつては女性でも、食料でも不足すれば、暴力的に奪っていった。
余程の覚悟なくして国なんて守れない。
近代以前、多くの国は、奴隷制を公式に持ち、また、植民地を持つのは当たり前とされてきた。
奴隷になるのも、植民地になるのも、弱いからと一笑にされた。
敗者には大義は認められない、勝者の憐憫に縋るだけ。
それは現代社会でも変わらない。
だからこそ、ウクライナでも、パレスチナでも、命がけで国民は戦うので、ただ、軍だけが戦っているわけではない。
犠牲者は民間人にも出る。
軍だけが国を護っているわけではい。
商人だって、政治家だって、職人だって、役人だって、農民だって、みんなそれぞれ、国のために働いている、戦っているのだ。
自衛隊を支えるのはこの国の人々だ。だから、彼らは命がけで働ている。
自衛隊員は戦争マニヤでも、戦争オタクでもない。勝手に日々体を鍛えているわけでもない。
彼等は人々の平和な暮らしを守るために働いているので。
今でこそ、民間人に対する攻撃は、虐殺とされるが、それでは、東京大空襲は、広島、長崎への原爆の投下は、何だったのか。
戦時中の若者は、洗脳された無知な愚か者でも、狂信者でもない。
敗戦を予期していたものもいた。
大学在籍の学徒も多く出陣した。
彼等がなぜ、何のために戦ったのか、その動機も見ずにただ、侵略者のレッテルを張るのは間違いである。
彼等の尊い犠牲の上に今日の日本の繁栄がある事を忘れるべきではない。
ウクライナにしても、イスラエルにしても、自国が望んで戦(いくさ)をしたわけではない。
軍があるから攻撃されたわけではない。
病気になるのは医者の性ではない。
警察があるから法を犯す人間がいるわけではない。
誰も病気になりたくて病気になるわけではない。
しかし、一度、戦争が始まったら勝敗だけが問題となり、そもそもの発端が何だったのかは、忘れ去られる。
病気が治らないと医者が悪いとされ、治安が悪くなると、警察は何をしているのかと。
他国に戦争を仕掛け、攻撃をするためには大義が問われることになる。
なぜなら、相手国の国民のみならず自国民の生命財産を危険にさらすうえ、莫大な軍資金を費やすからで、少なくとも自国民を納得させられる大義がなければ、そもそも、軍を動かす事もできないからである。
戦争なって気まぐれに起こせることではない。
何から何を守るのか。
重要なのは国防思想であり、建国の理念である。
国家とは何か。
国家の定義が問われるので。
国民が守るに値する国だからこそ、国の独立や主権が保障される。
そして、それを保障するのは、軍でも、自衛隊でもない。
国民一人ひとりの意識である。
その上で、自衛隊、軍隊の健全さが保たれる。
そして国を護ろうとした時、国家の存在意義、国家の大義が明らかになる。
それが国民国家の礎である。
誰も守ろうとしない国は守り切れない。
自分の国を自分たちの力で守ろうとしない事自体、不健全なので。
自分の国民の血を、自分たちで守ろうともしない国の為に流す国はない。
それは、既に、その国を属国としているからにすぎない。
何からなにを国は守ろうとしているのか。
それこそが建国の志なのである。
古来、軍を備えるのは、侵略を目的とするのではなく、国防であることが多い。
しかし、軍は、増殖しやすく、軍自体が自律した組織になり、自制・抑制が効かなくなる傾向がある。
時には国家権力は軍に守られたり、あるいは、軍が国家権力以上に強大化する事すらある。
また、軍が必要以上に強大化すると、経済が軍隊に依存するようにもなり。
政治にも深くかかわるようになる。
このように、国家が、過度に軍に依存するようになると、国家は政治的にも経済的にも不健全になり。
国防という本来の目的が失われる。
軍事目的が国家目的にとって代わるような事態も引き起こす。
健全な国だからこそ、軍の健全さが保たれるので。
軍隊が健全でなくなる前に、国家の健全さが失われる。
戦争の責任を軍だけにおわせたら、本当の意味で平和は訪れない。
だからこそ、軍事を国防の延長線上で議論する必要がある。
軍の存在が怖いのではなく、軍の暴走が怖いのである。
軍や国防を禁忌する事の方が危険な事である。
平和は、軍人の良識、健全、名誉によって保たれる。
単純に日本人の国民性が凶暴で、侵略的。
他の国は平和的で良心的だと割り切れるほどお人よしになれるのなら、総ての武装を放棄すればいい。
割り切れないからこそ、自衛隊をおいているのである。
この点を真面目に考えないと、自衛隊に健全性や自衛隊員の名誉が失われる以前に国家の健全性、良識が失われてしまう。
どのような大義をもって、ロシアはウクライナを攻め、ウクライナは、ロシアと戦っているのか。
ハマスは戦争を仕掛け、イスラエルは戦っているのか。
中国は台湾を包囲し。
北朝鮮は核武装しようとしているのか。
今の日本の問題の一つは、この国に軍人がいなくなった事だと思う。
無論、自衛隊員はいるが。それなりの見識は持っておられる。
しかし、軍人というのは、軍を前提としているので。
軍人は政治的発言力がある。武人である。
軍人というとおまえは軍国主義者かと言われそうな環境では育ちにくい。
軍事というのは、古来、孫子やマキャベリのような思想、哲学の一分野でもあった。
軍事とは政治であり、経済であり、数学であり、哲学でもある。
この点を評価しないと、なかなか、軍学は成り立たないし、軍人は出てこない。
つまりは、平和を維持するための、軍を統制する事の出来る軍人である。
アメリカでは、軍人上がりの大統領が多くいた。
また、ナポレオンもシーザーも軍人だったのである。
軍人がいないと軍人の視点から、国際情勢。
ウクライナ問題、パレスチナ問題、台湾と中国の問題、朝鮮半島、米中問題などの分析ができない。