世の中も大きく変化し、また、これからも激動する時代を迎えつつある。
時代の変化に併せてルールも新しいものに変えていく必要がある。
ルール作りは、議論して決める事ではない。リーダーが最終的に判断して決める事である。
なぜならばルールは一つでなければならないから。
皆がテンデンバラバラ自分勝手なルールに従っていたら組織の統一性が失われ、分裂、分解してしまう。組織の統一性を保つ為には、ルールは、一つ。
野球だって、サッカーたって、麻雀だってルールがいくつもあったらゲームは成立しなくなる。
ルールは、合意に基づく。
但し、いつまでもルールが決まらなくなるとゲームは始まらなくなるから、最終的に誰が決めるかを、最初に明らかにしておく。
これも、ルール。誰がどのように決めるかを最初に決めておけば、意見は、自由に述べていい。
しかし、決定が出たら、全員、これに服す。これも道理。
ルールを守る、統制に従う事、仲間の信認、立場によって、発言権や参政権に差が生じるのは当然。
なぜならば、組織の方針、ルールを理解せず、従わない人間には発言権はないから。
大切なのは、信頼関係だ。信頼を裏切る行為は、禁じ手だ。
筋を通さないのは、信認を裏切る行為。背信行為。
組織統制に責任を持たない人間に発言権はない。何事も正々堂々とする。
ルールが決まったら、ルールを守らせるのは、皆の責任。統制をとるのは、マネージャの仕事。
ルールは、多岐にわたるから、全てを一致させたり、合意する事は、難しいから、ジャッジは誰がするかを決める。
これは、指導者が兼務するより、第三者に任せるのが筋。
勝手な解釈は、ルール違反。
ルールは先決め。
麻雀のレートやルールを後決めされたり、ゲームの最中に変更するのは、ルール以前の話。
ゲームが終わって後で、レートを決められるのは、相手が誰であろうと理不尽だと感じるだろうし、試合中にルールを変更するのは、横暴だよね。
それは、上であろうと下であろうと同じ。
こういうことは、ルール以前の話だからね。
筋の通らない事はやめようね。
だから、ルールは、守ろう。ルールで揉めるのはなるべくやめて、ルールを変えるのは試合が終わってからにして、ルールは早く決め、従おう。
そうしないと仕事が始まらないからね。
コロナの性でね。仕事に四季を感じなくなってきた。これって結構怖い事なんだよね。
四季を感じないというのは、時間の経過とか過程とか、年月がわからなくなるという事なんだよね。
最悪は、夜と昼との区別を感じなくなる。
僕らは、四季のない仕事はするなと躾けられてきた。
四季を感じなくなったら、仕事の段取りが組めなくなるよって。
正月には、新たな年の抱負を誓い。
ひな祭りや端午の節句で子供の健やかな成長を祝い。
春は、雪解け、入学、入園、入社の季節。新たな門出を迎える時。
梅の香で桜の季節を予感し、桜の花が咲いたら、志を新たにする。
夏は、夏で夏休み。蝉しぐれ。入道雲。夏祭り。蝉しぐれ。
ひぐらしやツクツクホーシの声を聴いて夏の終わりを感じ、鈴虫の声を聴いて秋の訪れをしる。
秋は、収穫の季節であると同時に、冬支度の季節。
季節の変わり目には衣替え。
七五三で子供の健やかな成長を祝い。
還暦ともなれば、人生の秋を悟る。
米寿、卒寿で長命を寿ぐ。
日常生活の中に埋没して時間の経過、変化を忘れ。惰性で生きてしまう。
季節、季節の催しや祭礼は、我々に諸行無常を思い出させる。
行事、催し物、儀式、式典、祭礼、仕来り、イベントで一年、人生のリズムを作る。それは文化の素であり、世の中のルールを形作る。
今年は、コロナの性でクリスマスも正月もなくなった。
時間が異様に早く過ぎ、何の準備も心構えもできないうちにどんどん年だけを取っていく。
人生の彩もなくなり。
子供たちの成長も見守れない。成人式もなく。卒業式もなく。入社式も、入学式もなく。
誰から祝福する事もなく、送られる事もなく人生の大切な時が過ぎ去っていく。
我々の祖先は、毎月毎月、祭儀を定め、四季を楽しみ、仕事を愛で、過行く時を、時の移ろいを楽しむ心のゆとりがあったというのに、いつの間にか、忙しい時に追われて自分を振り返る事さえ忘れてしまった。
時が無意味に過ぎ去っていくの馴れてしまおうとしている。
吉田松陰は、切腹する前夜、人生には四季があると語った。
どんなに短い人生にも長い人生にも四季があると。
朝に生まれて夕べに死んでいく子にも四季がある。長寿を全うした人にも四季がある。
だから、人生の四季を楽しもうと。
四季を感じなくなったらお終いだと思うね。
仕事にはリズムがある。
季節の変化がある。季節の変化にけじめをつけていく。
周期、波がある。変化の周期や波を整える。
変化をどう受け止め、どう伝えていくか。
これもルールなんだよね。
四季の変化は、仕事のルールを決める上での礎でもある。