言いなりなれなんて言わないけど。
素直になれと言いたいんだ。
素直に自分の限界を認め。
相手の、実力を尊重しろと言いたいんだ。

人間はね。万能には、なれないのさ。
優れているところもあれば、劣っているところもある。

お互いに相手の優れたところ認め、自分の劣っているところをわきまえて。
補い合い、助け合うから組織は力を発揮できる。
相手を認め、受け入れることができなければ、潰しあうことになり、却って、重荷になる。

若い頃は、未熟だし。
歳をとると衰える。
自分の未熟、衰えを悟れば、人を虚心に見る目が、おのずと養われる。
家柄だの、性別だの、人種だの、学歴だのにとらわれず。
素直になれれば、相手の優れたところが見えてくる。

人を見る目を養う。
相手の本当の姿を見極める事。
それは、自分を知ること。
礼節の、本質をわきまえる事。
自分を直視し、己の至らないところを知り。相手の優れたところを尊び敬う。
真の相手の実力を知らなければとるべき礼もわからない。
礼の本質は、人を見る目。
浩然の気を養え。
どんなに、みすぼらしい相手でも、相手の名誉を傷つけたら怖れる。
誇りを守る為なら、敵は、幾万ありとても、吾、一人行かん。
それこそが礼の根本。

虚心に見る。
心を空にして接する。
心に何も持たずに聞く。
目を曇らせず、ますっぐに相手を見る。
その人の素を見る。
何ものにも囚われず、その人そのものを、見極める。

力のない者は、つい虚勢を張って、力のある者を見くびる。
力のある者は、力を誇示したり、虚勢を張ったりはしない。
なぜなら、実力があるから。
力がある者は、謙虚で控えめだ。
だから、見誤る。
力のある者は、無力に見え。
力のない者は、強大に見せる。

力がない者が、力のある者を、強引に、抑えようとするから強権的となる。
力が劣るものが、実力のある者を力ずくで、抑え込もうとすると、組織が転倒し、内側に、潰れていく。
力が劣ることが、悪いのではない。
無理に抑え込もうとするのが、間違いなのだ。

力のある者が、力のない者に合わせる事は出来ても、力のない者が、力のある者に合わせる事はできない。
だから、力がある者が、力のない者に合わせられるように、組み立てるのが組織の原則。
簡単なようで、これが難しい。

適材適所。
それぞれの能力や適性に応じて、人を配置しないと組織は均衡が保てなくなる。

組織には、立場もあるし、役割もある。
それぞれの力に応じて配置する必要がある。
人をまとめる力があっても、個々の力が劣るのは、普通だし。
年をとると力も衰える。
過去の栄光に囚われると、今の実力を見間違う。
それに、人間は、感情の動物だから。
力のない人間が、力のある人間を指導したり、合わせようとしたら、土台無理が生じる。
力のない者は、力のある者に合わせてもらう、指導してもらうしかない。
しかし、その為には、力のない者は、自分が、相手より劣る事を認め、相手に伝えておく必要があるからね。全てにおいて劣っているのと言っているのではないよ。
ただ、相手の優れたところを認め、受け入れ、それを相手にわかるようにしておかないとね。
自分が、相手より劣っている所を、認め受け入れるというのは、特に歳をとってくると難しくなる。
年齢だの、性別だの、人種だの、学歴だの、家柄なんて言うのにこだわっていたらさ。
相手の優れている所を、受け入れるなんてできやしない。できるはずがない。
そんなつまらない事、さらりと捨ててね。
真っ新な目で、素の相手を見る事さ。
素直に、相手が自分より優れていたら、感動する事だよ。

問題なのは、力のない人が、力のある人を自分の言いなりにしようとする事。
別に役割が違うんだからさ。
相手の力を認めたところで、自分の沽券にかかわるという事はないんだよ。
野球は、一人ではできないんだよ。ピッチャーもキャッチャーも三塁手も、皆、一人でやりたいと言っても無理なんだよ。
自分が、一番、自分の能力を発揮できる守備位置を与えられるが一番さ。
主役だけで舞台は、成り立ているわけではないさ。
脇役も必要なんだよ。
もう、六十にもなって四番打ちたいなんて強情はるなよ。
見苦しいと言われるだけだよ。
自分の限界を認め、仲間を尊重するからチームが組めるんだよ。
下らんことで、人を見下そうとするから。
言いなりにしようとするから、仲間が見つからないんだよ。

残念ながら、歳をとると力が衰えてくる。仕方ないじゃあないか。
なのに、自分の力の衰えを認めようとしないでさ。
若い時と同じように、若者と同じように、振舞おうとするから、駄目なんだよ。
そりゃ、単純に、駆けっこしたら、若い者にかなう訳ないじゃあないか。
そんな事、考えるから最初から敗けるんだよ。
譲るべき事は譲ったっていいじゃあない。
そんな事、自分の人間性にはかかわらない事さ。
そこで、妙に突っ張るから人間性が疑われる。
もう若くはないんだよ。

自分の力の衰えを認めようよ。だからと言って自分が必要とされなくなるわけではないんだからね。
要は、邪魔になるからいけないんだよ。
邪魔をするからいけないんだよ。
できもしない事を、できると言い張ったり、わかりもしないことを、知ったかぶるから。
できない事はできない。解らない事はわからないそれでいいんだよ。
できもしない事できるなんて言うから邪魔になる。

最初は、わかったつもりになっても、いざ実際にやろういう段になると、どうしたらいいのかわからない事が多い。それが普通だけどね。
でも、わかりましたと言った手前、聞き返す事もできない。
でも、そういう時は、聞き返すんだな。
曖昧な記憶で仕事をした方が怖い。大概、甘く考えるなと相手は怒るけれど。
そういう時は怒られておけと親父。
仕事は、確認せず、間違った仕事をする方が怖いし、言った言わないという議論になったら、上司や客が強いに決まっている。
記録を残さなかったり、確認しなかったお前が悪い。
大体、解らないな、おかしいなと思うところに確信が隠されている。
だから、曖昧にして誤魔化したり、意図的に隠したり、言わなかったりする。
そこで詰めなければ、確認する事も、聞き返す事さえできなくなる。ずるいんだからね。
任せるなんて言うけど、結局、責任逃れに過ぎない。
簡単でもいいから、メモを取っておけば、確認もとりやすいし、証拠にもなる。
メモを取っておけば、確認をとるにしても、相手に対して口実にもなる。
だから、メモを取る癖をつけろ。
軍隊では、靴に足を合わせろと言われたが、ぶん殴られても足に合った靴にしてもらった。
そうしないと生き残れないと親父。生き残るためならなりふり構わうな。

友達との間では、くどい奴、しつこい奴、粘る奴、細かい奴は嫌われる。しかし、仕事では美徳。何故なら、仕事は間違いなく確実にやることが求められるから。

仕事で、一番面倒くさいのは、起点と繋ぎの部分。
いざ仕事を始めようすると、必ず、わからない事、聞き落した事の一つ、二つは見つかる。
そういう時は、確認する。わからなくなったらすぐ確認する。甘く考えるな。
親父や先輩に、そう言われ続けた。
何かあったら、すぐに確認したか聞き返された。
いい加減な受け答えしたら、確認してこいと怒鳴られた。
親父は、戦場で確認しないで、全滅していった部隊をいくつも、知っていると呟いていた。
簡単に、確認と言うが、戦友の命がかかっているんだともね。
確認しろ。詰めろ。詰めろ。詰めろ。
詰めは厳しく。