何故、皆は、ここに集い、ここにいるのか。
自分達が信じる事を、志を実現するために。
そして、日本人が忘れかけた、失いつつある魂を、誇りを、次の世代に引き継ぐために。
だから、周囲の目を怖れて臆病にならないで。
自分が思う事、自分が信じる事を、仲間にぶつけるんだ。
始める前から、諦めてはいけない。
例え、会社が潰れたとしても、皆の志が強固なら、何度でも、蘇る事はできる。
魂が荒廃した、老いさらばえ、無残に老醜を晒すだけ。
魂を失えば、生ける屍になるだけ。
醜く朽ち果てるだけ。
何故、怒らない。
自分達に妥協を求め、隷属を求める者に。
何故、戦おうとしない。
世の不正や、不条理に。
自分達を侮辱し、誇りを傷つける者に。
一戦も交えずに膝を屈しはしない。
坐して死を持つくらいなら、進んで道を切り開こう。
子供たちのために。
若さは、年齢ではない。
向上心、志、誇りを失った時から老いは始まる。
夾雑物を焼き尽くし。
純なる魂を取り戻すのだ。
最初から妥協するなら、死んだほうがまし。
とことん、社長と話せ。
遠慮はするな。
そして、誓え、契れ。
社長と共に戦い生きぬことを。
日本人の魂を誇りを取り戻すため。
そして、次の世代に、日本人の魂を、志を、誇りを引き継ぐのだ。
何故、ここに集い、何故、ここにいるのか。
誰が、皆をここに呼び、集めたのか。目覚めよ。
英霊たちよ、見守りください。
あなた方が、誰の為に、何のために、戦い、犠牲となったか。
その志を、次の世代に引き継ぐために。
皆、大切なのは、皆の心、皆が信じるところ。
自分を取り戻せばいい。
なぜなら、皆は、日本人なのだから。
正々堂々と誰、憚ることなく、自分を主張すればいい。
初祈祷について誤解している人がいるみたいだから。
初祈祷の集まりを会社は、一度も強制した事はない。
もともと、有志が集まった事だからね。
親父は、東京が本拠地だったから、正月の行事は東京でしていて。
だから、仕事はじめも静岡は後回しにされ、当時、総務の責任者も、親父が来ないんではと、仕事はじめも一日ずらし。
留守を守るという気概が希薄だったんだろうね。
そんなこんだで、組合ができて、私が、こちらに来て。
それまで、初祈祷を、こちらの幹部が代参していたのが、一緒に行きませんかと。
それを聞いた、それなら自分達も一緒にと何人かの社員が申し出て。
それが始まり。
彼等にしてみれば、自分たちの拠点はこちらだという意地があったんだろうね。
それから、親父がこちらに拠点を移したら、我も我もと、いつの間にかとふえていき。
最初は、親父の自宅でやっていたのだけれど、それでは手狭なうえに、母が、世話をしていたから、それでは、大変だと。
会社でやるようになり。
むろん当時は、幹部の奥さんが総出で手伝いはしてくれたけどね。
それかいろいろあって、面倒なならいいよと言ったのだけど。
それでは、自分たちの気が済まないと。
その時その時、引き継ぐ者がでって今日にいたった。
社員には社員の意地があったんだよね。
自分達の会社は、自分たちで引き継いいでいくという。
だから、どうでもいいし、やりたくないというのならば、止めてもいいんだよ。
いやいや、しぶしぶやってもかえって弊害になるもの。
心無い、心のこもらない、ただ、惰性でやっていたら。
特に仕切る人間がね。
初祈祷は、この会社を引き継ぐ志ある者が集って。
念頭、神前で、社長に対する誓いを新たにする会だからね。
この会社を、守り抜く、引き継いでいくというものが現れて、引き継がれてきたんだ。
どでもいい、面倒くさいというのならやめればいい。
催し物もね。
気を籠めれば、心となり。
心になれば、命が宿る。
命が宿れば神となる。
皆を、親父を喜ばせたいという気持ちで、時々の幹事が工夫を凝らした。
大切なのはその気持ちだよ。
その気持ちが失われたら辛いだけだよね。
ただ、去年もやったからという気持ちではね。
皆を喜ばせたいという気があるからね。
皆も感謝する。
感謝をしたら、素直に喜べばいい。
人の好意を素直に喜べなくなったらおしまいだね、
だって、感謝できないもの。
感謝って、喜ぶ事だよ。
素直に喜べば、相手に感謝している事が通じるさ。
だから、喜べばいいのに、喜びをうまく表現できない。
素直に喜び気になれない。喜べない。
何故。
素直に喜べないのは、卑屈だよ。
自分が負けているからさ。
負け犬根性は捨てようよ。
親父達はね。
心のこもらない、気のない仕事、心無い仕事はするなと。
むろん、仕事は、金儲けの為さ。
でも、心無い仕事は仕事ではないと、お金なんてもらえないってね。
お金をもらってやる仕事だからこそ心を籠めるんだ。
最後まで気を抜くなと。
包装をしないと心が籠らないだろ。
剥き出しだと。
体裁を整えろと。
戦争に敗けてね。
日本人は、儀式や、イベントは、心無いものだと教え込まれた。
親父達は、儀式やイベントに心を籠めるのは、自分達だよと。
心無いのは、自分であって、儀式や、イベントが心無いのではない。
会社をよくしようとする気のない者が主催したらそれは、気のない儀式になるさ。
親父達は、仕事を始める時、自分なりの儀式をして、仕事に、気を籠め、心を籠め、命の息吹を吹き込んだ。
魂のない仕事は、危ない。大けがをすると。
日本人は、騙されている。
儀式なんて、形骸、無意味でと吹き込んだ連中、共産主義者も、民主主義国も、軍隊だって、教会だって、儀式を重んじ。最大限に利用している。
儀式をしなければ、やる気を凝縮し、同じ方向に向ける事はできない。
何故、新年初祈祷をするのか。
必要だと思う人間だけでやればいい。
初祈祷とか、初詣にどんな意義があると思う。
初祈祷も、初詣も、年始、年初の行事。
つまり、歳のはじめの行事さ。
何事にも、始まりがあって。
次にチーム編成。
組織は、成長する。
そして、枠組みをする。
枠組みにも、人、作業、時間、物の別がある。
始まりは、宣言みたいな事。
ちゃんと自分の考えを伝えないと。
自分が何をしようしているのか。
皆に何をしてほしいのかを伝えないと仕事は、始まらないよ。
それが、仕事始めさ。
自分だけがわかっていても、しようがないの。
ただあれをやれ。これをやれと言ったって、始まらない。
どうしたいのかがわからないと。
指示された者はしようがないの。
青春の詩 サミエル ウルマン
青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うときに初めて老いが来る。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる、人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる、希望ある限り若く 、失望と共に老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを堅くとざすに至れば、この時にこそ人は全く に老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。