会議だの、セミナーを受ける際、予め、報告先を設定しておいた方がいい。
報告先を設定しておけば、目的も定まるし、焦点も絞れる。
大体、漫然と会議に出ても、セミナーを受けても目的はわからないし、焦点も絞れない。
それで後から、報告せいと言われても、何を報告したらいいか、何を書いたらいいかわからない。
結局、支離滅裂、何が言いたいのかわからない、感想文のような報告書しか書けない。
よくて自分勝手、独善的のものになる。
だったら、最初からターゲット決めてセミナーなり、会議に行った方がいい。
要するに、落としどころを決めておくのである。そうすれば照準が定まる。
困るのは、報告先が判然としない事で。
その場合は、自分で報告先を作る。
子供が、学校のことを親に報告するのは、無意識に、親を報告先にしているので。
マメに、聞いてやらないと、子供に健全な自意識が育たない。
そこが、親が苦労するところで。
思春期になると親に話せない、要は、報告できない事も増えてくる。
その頃になると親に代わって友達が報告を受けるようになる。
だから、友を選べと。
ところで、何を報告するのか。
わからない。
できない。
やってない。
失敗した事。
なぜなら、この四つには後があるから。
反対に、わかった事。
できる事。
やってある事。
成功した事には後がない。
別にあらを探しているわけではなく。
協力して目標を達成する為には、お互いに、相手のできない処、やってない事。わからない事、失敗したところを補い合わなければならないから。
助けを必要としてない処は、あまり気にする必要がない。
実際、本当に困るのは、わからないのに知ったかぶりをしたり。
できないのにできると嘘つかれたり。
失敗し事を隠したり、やってないのに誤魔化したりすること。
できない事はできない。
わからない事はわからない。
失敗した事は、失敗したと、素直に、潔く認め。
それをいかに解決するかに眼を向けないと。
報告してもね。
わからない事や、できない事、失敗した事だとね。
相手は、驚き、慌て、怒り、呆れ、馬鹿にすることもある。
それはそれで、仕方ないじゃない。
そう言うもの覚悟して。
それより、相手の反応を恐れて報告できなくなる方がよくない。
報告できなくなると、情報が出る場所がなくなって、頭が、糞詰まり状態になる。
精神衛生上よくない。
終いにはおかしくなる。
私は、トップや親は、ゴミ溜めのようなものと心得ている。
ゴミのような報告をたくさん聞いて、部下の精神の安定をはかる。
精神安定剤みたいなものになれればいいと。
要するに親や、トップなんて凧の尻尾のようなもの。
一見無用に見えるが、なければ、組織のバランスがとれなくなる。
なぜチームワークがうまくいくのか。
それは、全員に長所短所があり、お互いを補い合わなければならない関係だからで。
全員が、神の如く、全知全能だったら、組織なんて最初からいらないのである。
男と女だってお互いを補い合わなければ子はできない。
そういう仕組みに神はされているので。
私が師と仰ぐ方が、かねがね、仰っていた。
「僕は、自分は何をやっても他人に劣る事に気がついた。そこで、それからは人を動かすことに徹しようと思い。これまで、実践してきた。」と。
親父も、「成功するのは、馬鹿利口じゃない。厚顔無恥だ。」と教えてくれた。
要は、己の恥をさらしても動じない心の強さ。
自分の欠点を隠したり。失敗をごまかしたりしているうちは、人を動かすことはできない。
親心とは、そういうものさ。
自分もたくさん失敗して、わからない事、できない事だらけで。
それで何となく、わかってきたのだけれど。
それでも、自分の失敗や弱点、欠点を素直をに認められるかと言われるとね。
まだまだ、修行不足ですとしか言えないね。
ただ、失敗や弱点、欠点から何も得る事がなかったら、悔しいではないか。