本当に言った事をやらないよな。
頑なに、言われた事は、意地でもやらない。
自分の面子、沽券にかかわると思っているのか。
口では、わかっていますと言うけどね。
でも、部下は見てるよ。
そういうあなたをね。

自分の思いは、自分ひとり思っているだけでは伝わらない。
目的、わかってるよね。
なぜわかってくれないのと、伝えもしないで、一方的に決めつけていないか。
口に出して言わなければ、相手には伝わらない。
人に伝えようと思ったら、自分の考えを整理しなければならなくなる。
それで自分の考えも整理ができ、自分も理解できるようになる。

余程自分達は天才だと。神の如く、超能力者のように思っているのに相違ない。
自分が心に念じれば、全員に伝わるとでも思っているのか。
自分の常識が、普遍的の事、絶対真理ですべての人が同じ常識だと。
当たり前な事だから、口の出すのは失礼。
暴力は悪くて。すべての人は等しいと。
言わなくてもわかるはず。
だから言っては失礼。
言わなくても何でもわかっている。
自分の事だって、全て完璧、最初から完全無欠。
わからない人が悪い。
大体自分が言ってる事は、矛盾なく完璧で、全て承知している。

組織は人の集まりだ。
だから、人に伝わるようにしなければ、動かない。
それも、公式に、正式に。
非公式、内々では組織には伝わらない。

会議で決められた事は、会議に出席した者しか知らない。
公式に自分が指示を出しセレモニーをもって関係者を特定し伝えないかぎり、
発効しないんだよ。
自分一人納得しただけでは。
その手はずを整えるのが事務方の仕事。
だから、事務方は速やかに伝達の仕方、範囲、経路を特定しないと。

正式に指示を出すから、正式にスタートを段階的に切るよう。
先ず、トップの構想、方針等。会議で決められた事を浸透させ。
イベント、セレモニーをもって統制のある行動をとらないと。
きちんと組織を起動させろ。責任を持って。

個別、非公式に伝えるのと正式に伝えるのは違うの。
適当に伝えるのと、正式に伝えることも違う。
内々にお願いするのと、正式に指示するのとも違う。

言葉で言っただけでは伝わらないから、儀式やイベントにするのである。

形、例えば、旗や服装、照明、音楽と言ったシンボルで伝える。
人は形を見て理解し、納得する。

支店長の留守中に朝礼を仕切った者がいれば、その者を留守中の支店長代行と見なす。
そのつもりで、留守中の朝礼を仕切らせているか。

やくざだって、手打ち式を重視する。
形、儀式にしないと身内を納得させる事が出来ない。
抑えられないのである。
終戦も形がある。
形を整えなければいつまでも、ダラダラと争いが続く。
人は形を見る。

ゼレンスキー大統領は、ロシアが侵攻してきた際に。地下に潜って姿を消しただろうか。
アメリカ議会で、ゼレンスキー大統領の服装が問題となった。
それは、服装が思想を表しているからだ。
問題となっても、ゼレンスキー大統領は服装を変えはしない。
それが、彼のスタイルであり、思想だからである。

要は、スタイルの違いなのである。
いつ、どこで、誰が、どの様なスタイルで、どのように、どのような手段で伝えたかであり。
その形を見て人は判断する。
形で思想を表すので、言葉は、その一手段。翻って言えば、言葉だけでは伝わらない。

ロシアだって、セレモニーを活用している。
当然である。

イベントの役割がその組織の形を象徴する。
立ち位置、誰が仕切って、誰が補佐するか、誰が、何を発言するか。
それが、組織を象徴する。
トップが、雑用をし、下座に立てば、見た者はそのように理解する。
人も動物なのである。

今回のKDDIの対応も今の日本人のセレモニーを象徴している。
要は、トップに謝罪させる。
兎に角、公衆の面前でトップに土下座、謝らせる。
戦後、謝罪する事が、日本人のセレモニーとされてきた。
日本は戦争に敗けてのである。
日本人は、骨の髄まだ謝罪する事が滲みついた。

何かというと、謝れ、謝れの大合唱である。
そのうち、プーチン大統領にも謝れと言い出しかねない。
それが、今の日本人の根性である。

日本人は、プロパガンダは悪い事の様に刷り込まれている。
プロパガンダを悪いとするのは、敵対する勢力で。
どの陣営でも、当たり前にプロパガンダはする。
要するに、共産主義者から見て、自由主義者のプロパガンダは悪で。
キリスト教徒に、共産主義のプロパガンダは許せない。
ウクライナにとってロシアのプロパガンダは、偽であり。
ウクライナのプロパガンダは真である。
プロパガンダそのものを悪だと真に受けているのは日本人だけだ。
だから、日本人は世界で孤立する。

反権力、反権威、反体制、全盛時代だった。
だから、反権力、反権威、反体制の本質がわかる。

反権力主義者、反権威主義者、反体制主義者は、マキャベリの教え通り、その国の、儀式、セレモニー、象徴、イベントを徹底的に否定し、破壊した。
なぜなら、彼らは、儀式やセレモニー、象徴、イベント、式典の重要性を熟知しているからである。

叛逆、反抗、反乱、抵抗は美徳。
ピカレスク浪漫。
社畜になるな。兎に角、何でも反抗しろ。
言いなりになるな。
権力は敵だ。
そういった教授まで、学園紛争では、つるし上げ。
ありとあらゆる、権威に抵抗。
親父やお袋、恋人まで憎むべき敵と。

しかし、そうそそのかした連中は、権威も権力も大切と。
社会主義国を見ればわかる。
自由義国のアメリカも、フランスも、イギリスも、セレモニーを重んじ。
なんなんだ。騙されている。

権威や、権力の力がなければ虚勢をはるしかなくなる。
しかし、虚勢は虚勢なのである。
権威や、権力の裏付けがなければ、何を偉そうにと。
つまり個人の力に頼る事になる。
そうなると、トップの力だってしれている。
だから、暴力的になり。
暴力に支配される。
そうすると、反体制、反対勢力、革命分子はしめたと。
権威や権力を失えば従わない。
権力を失った皇帝や独裁者がどれほど哀れか。
例え、従う者がいたとしても、哀れみでしかない。

KDDIは、大企業で手続きはしっかりしてただろうに、それでも、不祥事を起こせば、事前の対応の悪さが指摘される。

設備をメンテナンスする際の事前準備や障害発生後の対応、利用者への周知、二十一年のNTTドコモの通信障害の教訓が十分に生かされていたかといった観点を総務省があげた。
ただ、後の祭りなのである。

事前にきちんと、儀式や、セレモニーで考えを徹底できないからだ。
儀式や、典礼、セレモニーを悪だと。
最近の若い女性は、結婚式もしたくないと。
面倒だ。金がかかる。人前に出るのが恥ずかしい。
人が集まらない。友達がいない。知らせたい人がいない。
意味ない。
それが理由。
卒業式も、入学式もいらない。
権威の象徴と。
ここまで来たか。
戦後教育の成果も。

権力も、権威も、体制も、意味もなく頭から否定するから、全てが悪になる。
その上、儀式も、セレモニーも、シンボルも空疎になる。
なぜなら、神も、仏も、思想も哲学も、命や科学も権威の賜物だからである。
神聖だから、権威が生じる。
祭りに神輿は神聖だからこそ実がある。
命だって、国だって権威があるから守ろうとする。
神輿に権威がなくなれば、ただの木の箱に過ぎない。
日本人は、なぜ、権威や権力を認めようとしなくなったのか。
それは、戦争に敗けたからだ。
それが日本人が認めようとしない根本原因だ。
そして、骨の髄、魂の根源まで負け犬根性に侵されようとしている。

最初から、言い訳をするような仕事はしたくないね。
かと言いて失敗を恐れて何も決められなくなるのも。
ある意味で、トップは、責任を負うためにいるようなもので。
だから、日本のサムライは、元服する時、切腹の仕方を教えられたのである。

誰も、僕の志を伝えようとはしてくれないけれど。
僕は、負け犬だけはなりたくない。
負け犬根性だけは、次の世代に引き継ぎたくはない。
なぜなら、何も守れなくなるからだ。何を神聖なものとするのか。
あれだけ多くの日本人が命をとして守ろうとした魂。
そうとしか言いようがないではないか。
日本人としての独立不羈。浩然の気。
だから、一本の草になればとそう志すしかないのだ。

草 私は草になりたい。 (k-keiichiro.jp)