なぜ、販売店会を始めたのか。
それがわかっていないと、販売店会政策など立てようがない。
絵に描いた餅になるだけ。

簡単に考えすぎ。

勝手に、親睦会のように錯覚しているだけで、本来は、重要な役割があった。

今でこそ、ユーザー会は、あたりまえにあり、ユーザー会がない方が珍しい。
ユーザー会も今や、第二世代、第三世代と、代替わりし、マンネリ化、形骸化し、本来の意味も失われてしまった。
現在は、あるのが当たり前に見えるユーザー会も当初は少からず抵抗があった。
第一にユーザーといっても、競争関係にあり、商売敵の関係にある。
逆に、自分たちの手の内が読まれる。結託される。
系列店ばかりでない等など。

じゃあ、なぜ、販売店会を設定したのか。
一つ、啓蒙。創業期は、素人が多く、商品知識、保安、価格設定、法令などなど初歩的、基本的な事から指導する必要があった。
一つ、福利厚生。個人事業は、福利厚生が不十分。
社会保険、共済活動。
一つ、情報。どうしても、情報不足になりがち。
情報発信を図っていく。情報発信を補う意味で。プロパンガスの効用を正しく世間にしらせる。
一つ、系列化、ブランド化。囲い込み。
フランチャイズ化の原型。
一つ、販売支援。カタログや広告。
一つ、販売協力。例えば、展示会の共同開催。キャンペーンへの参加。共同購買、
一つ、従業員教育。
一つ、会社の経営方針や政策の発表。
一つ、小売業者のネットワーク化。
一つ、コミュニケーションをとる。親睦。
時代が進むにつれて、親睦的要素以外の要素が薄れ、旅行会のようになってしまった。

何よりも、プロパンガスの性格による。
プロパンガスは、危険物だということ。保安に特有の資格や技術、知識が求められる。
配管や工事なども、販売店だけで賄うことが難しかった。
その上、厳しく法令により規制されている。
価格の設定一つとっても専門的知識が必要だった。
家庭用エネルギーとして国民生活に不可欠な必需品だということ。

どんな事業でも、仕事を始める時には、志すところがある。
それが、目先の利益を追っているうちに、次第に薄れ、やがて 忘れられていく。
志しは、綺麗事ではない。現実で、志すところがないと事業を続けられないから。

単なる金儲けでは割り切れないからである。

プロパンは、ローカルの家庭用エネルギーを変革したのである。
それは、それまで薪炭が主力だた家庭用のエネルギーをプロパンに変えた事である。

今でこそ、日本の里山は、緑が覆われているが、戦前の日本の多くの里山ははげ山だった事は、あまり知られていない。
それは、プロパンガス等の石油系エネルギーが現れる以前は、燃料にされたのは、薪炭だったからで。
山の木を伐採して薪にし、それこそ柴まで刈った。
昔話に、爺さんは山に芝刈りにとあるように。
それで江戸時代には、里山ははげ山に、明治になると、産業革命がそれに拍車をかけ。
日本の山は、はげ山になった。
今でこそ、石化エネルギーは、環境破壊の元凶のように言われるが、かつては、環境破壊への有効な対策の一つとされた。
全国の山をはげ山になるのを防いだのである。
創業期のガス屋には、森林を守るとか、生活の近代化を図ろうという志があった。

今は、ガスも、電気も、水道もあるのが当たり前になり。ありがたみがなくなってしまったが、東日本大震災や能登半島震災といった災害があるたびにすぐに生活が成り立たなくなる。
特に、プロパンガスは山間僻地、離島などでも都市ガスと違い設置が可能で、可搬性もあり、多くの被災者を救ってきた。それなのに、いつまでも、プロパンガス業者は日陰者扱い。

都会の連中は、プロパンガスを田舎のエネルギーと蔑むけれど。
山間僻地、離島で役に立つだからこそ貴重なのだ。
都会の人間の思い上がりに過ぎない。

創業者たちは、プロパンガスの認知度も低く、また、不当に低く扱われてたことにも抗いつつ、使命感を持って仕事をしていた。その努力もあって都市ガスに十分対抗できるだけのシェアを獲得した。

また、米屋やガソリンスタンド、薪炭業者でも、特約店の支援があれば、手軽に始められる事もあり、瞬く間に拡大した。

価格も当初は、都市ガスより低く設定されていた。
要は、補完的エネルギーと考えられていた。
また、都市ガスが来れない地域、山間僻地、離島を対象とした為に不当に低く見られた。
プロパンガスを扱う者の多くは、悔しくて、なんとか、プロパンの利便性をわかってもらおうと。

それでも、創業期は、プロパンガスに対する認知度が低く、自前で顧客の獲得をするには、限界があった。
また、販売店は、販売店で自前で広告するのが難しい。

また、急速に広がっていたため、自分の所だけで、拡販するには資金も人でも不足していた。

要は、フランチャイズチェーンのさきがけの様な事。
その為に啓蒙や広告、販売援助も欠かせない仕事だった。

当初は、講演会やセミナー、勉強会、キャンペーン、コンテスト、福利厚生などが主だった。
新春の会や旅行会は福利厚生の一環として始まった。

直売志向でいくか、卸を混じえるか。
弊社は当初、直売志向をとたった。

岩谷グループは、岩谷本体が産業用、セントラルが卸、日ガスが小売と棲み分けを画策したが上手くいかず、現在のような状態になった。
親父は、当初、直売志向、日ガス方式を目指した。
ただ、丸善の系列店だけを引き受けた。

そういう中で、プロパンガス販売の仲間作り。

インターネット等の技術がなかった時代でアナログな形ではあるが小売業者のネットワーク化を目指していたと言える。
また、販売店は、配送、検針、保安など単独ではやっていけない。
それを販売店会を使って補完しようとした。

わかってないから販売店会不用論が出る。

販売店会の意義などどうでもいいというか、本来の意義が失われ。

今直面する課題は、販売店数の減少、販売店主の高齢化と代替り、二代目、三代目となって仕事に対する意識が変わってきたといった事。
また、特約店も創業時代の社員がいなくなった。

販売店様とのお付き合いは、家族ぐるみみになる。
販売店様は、サラリーマンではない。商売人である。
だからこそ、商売の原点がある。

農家の人は、お米を大切にしていた。
粗末にすると、罰が当たると。
我々にとってプロパンガスは、農家にとってのお米と同じ。

同じプロパンガスを扱う者として、プロパンガスの啓蒙、普及に勤しみ、苦楽、辛酸を共にし、助けあい、励まし合ってきた。
サラリーマン化し、相手を尊敬し、志を同じくする心を失った時、相手を金儲けでしか見えなくなった時、店会はその使命を終えるのであろう。恥ずべき事だ。
今、業界は安売り業者が跋扈し、また、温暖化、脱炭素、法改正、少子高齢化と大変動の時代を迎え。
販売店さんに多くの事を指導していただければならない。
おごる心こそ、最大の敵である。
初心を忘れたら、我々に明日はないという事を忘れてはならない。