何を守るかを教えなければならない。
今の学校の一番の問題は、守ることを教えない事である。
生き物が、生まれて真先に覚える大切な事は、自分の身を守る事である。
自分の身をいかに外敵から守るか。
どんな生き物でも外敵から身を守る事は、食べる事と同じくらい大切なこと。
自然界では自分を守る術を身につけなければ生きていけない。
だから、すべての生き物は、食べる事を学ぶ以前に自分を守る事を学ぶ。
つまり学習の根本は、身を守る事から始まる。
自分が守るべきことを教えられなければ、自分が何のために生きているのか。
何を、生きていく上で、守らなけれべならないのかを、自覚できなきなければ、生きる目的とか生き甲斐を知ることができない。
自分が守るべきことを知らなければ、生きる事の意義を体得する事ができない。
自分を守る事を教えられない教育は、根本を間違う。
自分を守ろ事は、自分の根源を知る事で、自分の延長線上にあって守るべき事。
守るべき事は、自分の存在基盤。
自分。
愛する人。
家族。
国。
それは自分の身をまもるべき事と同じなのである。
人として守らなければならないことを教えられない。
人として守らなければならないこと学ばないと人として生きていけない。
人として社会に生きられるようにするのは保護者、大人の責任である。
道徳。
約束。
誓い。
法。
道理。
ルール。
仲間。
規則。
これらの事は、人として守らなければならない事。
自分が自分であるために守るべきことを知らなければ、自分の人生を歩むことができない。
自分が守るべきことを知る事は自分を知りる事である。
自分が、守るべきことは誇り。
信条。
愛。
友情。
信仰。
志。
人は一人では生きられない。
先ず、人は一人では生きていけないという事を学ばなければならない。
次に、誰と生きていくのかを学ぶ。
誰と生きていくかを学んだら、その人といかにして信頼関係を結ぶかを学ぶ。
人は徒党を組む。
人は、一人では生きられない。
生きられない以上、集団を作って生きていかなければならなくなる。
一番小さな集団は、夫婦、子供が生まれたら、家族に発展する。
だから家族を守る事を覚える。
集団になれば、掟、規則が生じる。
掟、規則が定まれば集団は組織に発展する。
だから、掟や規則の意味を学ぶ。
問題となるのは掟、規則の正当性である。
その点に誤解がある。
かつて、多くの組織は専制的、独裁的だった。
一人のリーダーに率いられ、一方的、強権的な組織だった。
長い時間がたって民主主義的な体制が生まれた。
民主主義的体制は双方向で会う。
民主主義的体制は、組織の仕組みが独裁的体制と違う。
独裁的体制は、守る者と守られる者が分離している。
それに対して、民主義的体制は、守られる者と守る者が一体である。
だから国民国家では、守る事を教えなければならない。
国民は、守ることを学ばなければならない。
それが、権利と義務を生んだ。
権利と義務は一体である。
権利は義務であり。義務は権利である。
権利と義務の根本は、「守る事」である。
その上で、組織を学ばなければならない。
学校は組織の運用を教えなければならない。
例えば掟、法の決め方。
組織の仕組み。
話し合いの仕方。
組織の守り方。
権利と義務。
役割。
組織の意義。目的。
何のために国はあるのか。
誰のための国か。
教えなければならない。
学ばなければならない。
それが国民国家の大鉄則。
自分が守る事を知るという事は、自分が守る事を学ぶという事で。
守る事を学ぶというのは、何を守るかを知る事でもある。
守るべき事と知るというのは、自分が何を必要としているか、見だすことである。
自分が必要なことを知り。
自分が必要とされている事を知った時、人は、自分の生きる意義を知る。
守るのは、自分が必要としているからだ。
守るのは、自分が必要とされている事を知っているからだ。
赤ん坊は、保護者の助けがなければ生きていけない。
一人では生きていけない。
親は、子供は自分が必要であることを身をもって思い知らされる。
それは、人間だけでなく。小鳥だって、蟻だって同じ。
だから、小鳥は雛が巣立つまで命がけで守る。
守る事を知らない人は、人でなしになる。
動物園では、子供を守り育てる事を忘れる親になるという。
それは自分が生きていること実感できなくなるからで。
守られて育った家畜は自分を守る術すら知らない。
人は、守られ育つ過程で自分が親を必要としていることを学ぶ。
親は、子が自分を必要としている事を子を育てる事によって学ぶ。
それが教育の原点である。
人は一人では生きられない事を学ぶ。
人は年老いるとまた人の世話にならなければならなくなる。
その時、人は何を学ぶのか。
人はその時、自分が何を必要としているかを学ぶことになる。
そして、社会に出てから困らないように、人としての常識を教えなければならない。
まなばなければならない。
人と人との付き合い方。
挨拶の仕方。
礼儀作法。
口の利き方。
親との接し方。
子供に対する躾。
身だしなみ。
友達の作り方。
恋人の作り方。
守らなければならない事。
約束の仕方。
信じあう事。
愛し合う事。
思いやり。
助け合う事。
役割。
責任の持ち方。責任の取り方。
学び方。教え方。
生き方。
人生について学ばなければならない。
教えなければならない。
何を守らなければならないのかを、教えなければならない。
学ばなければならない。
助け合い、愛し合う事を教えなければならない。
なぜなら、自分を守る事さえできなくなるからだ。
人は一人では生きられない。
一人で生きられない事を学ばせなければならない。
働く喜びを教えなければならない。
何故なら、働く事は、他の人の役になる事だから。
他の人に必要とされるようになるからだ。
世の中の役に立てるからだ。
個人崇拝に基づく教育も不健全である。
なぜなら、国民教育の根本は、自立した国民、個人の育成にあるからである。
大切なのは、建国の理念であり、他国への憎悪、怨恨を煽ることで愛国心を鼓舞する教育は、不健全である。
どんな理由でも憎しみを学ばせてはならない。
憎しみを教えるのは、神に意志に反するからだ。
人は、一人では生きていけない。
助け合わなければ生きていけない。
いさかいを終わらせたければ。
愛し合い、助け合うことを学ばせる。
幸せに生きるための術を教えるのが教育だ。
慈しみ合い、労り合い、慰め合うことを学ばなければならない。
総ての人は、神の祝福をもって生を受ける。
神が、不幸になる事を望むと思うか。
助け合い、信じあい、愛し合わなければ生きていけないのなら、
助け合い、信じあい、愛し合うのが神の意志だ。
総ての人は、幸せになる権利を神から与えられているのだ。
常識を試験すべきなのである。
試験すべきなのは、一人前の社会人として、経済的の、政治的に、自立できるかである。
健全に育ったかどうかを試験すべきなのである。
専門的な事を学びたければ、志こそ問うべきなのである。