ウクライナのクリスマスの様子をテレビで放映していた。
ウクライナのクリスマスは、一月七日だそうだ。
それはそれは、幻想的で、おとぎの国。
子供たちの屈託のない笑顔が印象的で、幸福に満ちていた。
それが、一瞬にして灰燼に帰し、地獄と化した。
死を忘れる程、穏やかな日々が続いていると、いつまでも、何も変わらないような気がする。
永遠に、平穏な日々が続くと思い込んでしまう。
しかし、死は確実に訪れる。
多くの人は、ぼんやりと、根拠もなく、いつものように、明日が来ると信じている。
安易に考えているから、為すこともなく、無為に時は流れ。
成り行きに身を委ねるばかり。
いつものように時が過ぎていくのを当たり前のように思い込んでいるけど。
破局はいつ訪れるか、見当もつかない。
災いは、忘れた頃に訪れる。
破局は、なんの予告もなく、不意に来る。
たとえ、頭で解っていたとしても。
その時にならないと、行動を起こそうとしない。
行動を起こした時は、既に時は遅い。
火宅の人よ。
燃え盛る炎の内にいても、逃げようともしない。
戦争、災害、疫病、事故。
平穏な日々が一瞬に失われ、修羅場となる。それも世の常。
それが現実。
その瞬間、目前で起きていることが、夢の中の出来事に思えるかもしれないが、それこそ、リアル。
平穏な日々こそが、夢のよう。
何も、災いは、戦争や地震、洪水とは限らない。
家族が、大病にかかれば、日常は一変してしまう。
幸せなんて、思えば脆いもの。
不幸は、その時にならなければ、気がつかない。
自分だけはと、そう思い込みがち。
健やかな時もあれば、病む事ともある。
しかし、健やかな時は、病んでいる時を侮るものだ。
光あれば、影もある。
美しいところばかり目を奪われたら、真実は、見えてこない。
醜さも同時にあるのだ。
苦しさは、喜びを際立たせる。
生きることが現実なら、死もまた現実。
病むのも、老いるのも現実。
希望も現実。絶望も、また、現実。
人は限りある世界に生きている。
永遠不滅な命はない。
自分の限界を思い知らされる時は、必ず来る。
変化こそ常態なので、変化があるから、時間が生じる。
諸行無常。
変化は時と伴にある。
禍福は糾える縄の如し。
余命を宣告された人の話がよくドラマに取り上げられるが。
余命を宣告されようが、されまいが、人は死ぬときには死ぬものだ。
戦場で死ぬのも死なら。
一人寂しく死ぬのも死。
現実から目を背け、見ないふりをしても、現実から逃れることはできない。
確かに、幸せなな日々は、彼の悲しみを深める。
生きるとは、喜びと悲しみがともに。
なんの努力もしなければ、ただ、老いさらばえていく。
時間は残酷にすぎていく。
日に新たに、日々に新たに、また日に新たなり。
我々に突き付けられているのは生々しい現実なのだ。
今、人類は、その存亡が問われている。
滅亡という悪夢が、また、蘇る。
人類の英知と、人は、科学を誇るけど。
科学の成果が人類の英知を嘲笑う。
神は、自らを助ける者を助ける。
神は、人に問うているのだ。
破滅の道を選ぶか。
それとも務めて平安な日々を築くのか。
怠惰な生活からは、平安な日々は保てはしない。
平和は、人々の努力なくして守れはしない。
それこそが神の意志だ。
勇気。