何が変わったのだろう。
変わったという事。
変わるという事。
変えるという事。
変えたという事。
変えられたという事。
何が変わったのか。
何かが変わったのか。

何が大切なのか。
自分が変わらなければ何も変わらない。
大切なのは、この点なのだ。
我々は、変化を受け入れるとともに、変わっていかなければならないし。
変えていかないという事なのである。
この事を忘れてはいけない。

変わってしまったという事実を我々は、厳粛に受け止めなければいけない。
確実に、去年とは違うのです。
もう引き返す事はできない。
元には戻らない。
この事を強く、強く、心に銘じておく必要がある。

どこが、どう変わったかを明らかにして。
何が、どの様に、変わろうとしているのかを知る事。
変化の先に何があるのか、それを見極める事こそが求められている。

意志の問題だよ。
できるかできないかの問題ではなくてさ。
やらなければならない問題なんだよ。
違うか。

いい加減、適当にやったって、見た目の結果は変わらないかもしれない。
何が違うのかっていえば、それは自分なんだよ。自分。
いい加減、適当にやっていたら、いい加減で適当な人生しか送れなくなるんだよ。

いざとなったら誰も救ってはくれないさ。
だから今なんだよ。
その時は、必ず来る。
その時になればわかるさ。
でも、その時に準備をしても遅い。
これは意志の問題なんだ。
お前のね。
お前が、何を信じているのか。
どうしたいのか。
どうしようとしているのか。
それを信じる事がね。それが、できるのがさ。若さじゃあないか。
もうすぐ、「もう、若くはないよ。」って。
言われるような年にね。なってしまうんだよ。
今という時を大切にしないと。
この時に、命を燃やし尽くさなければ。
不完全燃焼の人生になってしまうよ。

だからこそ、もう一度、原点に戻る必要があるのだ。
嵐が来ることがわかっているというのなら、怖れてばかりいないで、それに備えようよ。
日本人は、何度もどん底から這い上がってきたんだ。
どん底に落ちるのが、避けられないとしたら、どうやってどん底から這い上がるかを考えよう。
自分だけ安全なところに、逃げ込もうとしたって、どこも、安全な処なんてないんだ。

もう、嘘をついたり、誤魔化すのやめようよ。
当たり障りのない事を言ったって現実は何も変わらないんだからさ。
現実を直視しよう。

何も起こらないとしたら、これまで警告してきた事、やってきた事は、何なんだったというの。

真剣に助け合う事を考えましょうよ。最悪の事態を想定し、覚悟して。
何が起こるかを冷静に、客観的に考えて、その時になって狼狽える事のないように…。

アメリカと中国、ロシア、ヨーロッパ、どの国だって今までの関係が維持できるなんて前提に立ったら、重大の間違いを犯すのです。

悲観的に準備し、楽観的に判断しろ。戦争に逝った親父たちは、そう指導していてくれた。
地震の事だって日本人は、東日本大震災が起こるまでは、他人事だった。
あんな大惨事、日本では起こらないとどっか舐めていた。驕りがあった。
だから、原発事故の時、周章狼狽したのだ。
なのに、又、喉元すぎればになりつつある。
臭いものに蓋をして、都合の悪い事は、見ないふりをしている。
でも、そんな事は、自殺行為だ、後がなくなるという事を、いい加減認めましょうよ。

確かにね。今の日本人は最低だって言われてもね。
だけど、今更日本人である事、やめられないじゃあないか。
日本人が馬鹿だ間抜けだって言ったところで始まらないじゃないか。
だったら、日本人として誇りの持てる国にしようよ。

日本人は、何度も、何度も、どん底から這い上がって来たんだ。
戦争に負けた時も、明治維新だって、関東大震災の時も、親父たちは、地の底から這い上がってこの国を再生してきたんだよ。
逃れられないというのならさ。
どん底からどうやって這い上がっていくかさ。
それを考えようよ。
そうなったら、助け合い信じあうしかないでしょ。

誰も。誰も助けてはくれない。
何も信じる事さえできない。
足掻いても、藻掻いても、逃れる事さえできない。
許されない。許されない。
何も見えない漆黒の闇。

足掻くのをやめ。もがくのもやめ。
虚空に身を投げてて、肩の力を抜き。
目を瞑って。
自分の力を信じるしかない。
自分の中に眠る。
真実。純なる魂。

それが避けられないというのなら。
身を委ねるしかないじゃあないか。
その先に望みを賭けるしかないではないか。

なに、おっかな、びっくり生きているんだよ。
胸は張ってさ、正々堂々生きてみろよ。

秩序や信用は、築き上げるのは、大変だけど、壊れる時は、一瞬に壊れるよ

準備とか、支度ができない。できていない。
お膳立て。皆、自分でしようね。
根回し。親なんてあてにしては駄目だよ。
自分で準備をするんだ。
自分で。
人頼りなんてしているから。
何もできなくなって、時間も無くなり、切羽詰まる。
どうしようもなくなってやるから、やっつけになるし、やけっぱちになんて失敗する。
そんな事、他人の性にしたところで何もならないだろ。
結局、自分が責任を取る羽目になる。

誰かがやってくれるなんてさ。
当てにしていたら、いつまで経ったって、何も始まらないよ。
用意も準備もしてくれるなんて、心のどこかであてにしていない。
そんな事、あてにしているから、仕事が捗(はかど)らない。
進まないくだよ。
段取りが出来ていないんだよ。

形を作るんだよね。
先ず形を作る。
うまくいかなかったら、形から作り直す。

段取りは、形から入る。
まず足下の形を作る。
足下の形とは、自分の直属の部下、腹心など、自分が直接動かせる。
手足、目、耳となって働くスタッフを指す。
先ず、自分が直接、動かせる者、関係者を集めて、自分の考えを伝える。
このような場合、自分が据わる位置も大切になる。
自分の考えを伝えたら、次に役割分担を決め、当面の作業を指示する事で足下を固める。

自分の位置をね。
自分の座る位置、立ち位置を決める事だよ。
そうしたら、前を見よう。
前へ進もう。

始まりは、コールだ。
忘れるな。
「ヨーイ、始め。」のコールから組織は、スタートする。
コール(宣言)をしなければ、組織はスタートしない。
試合は、「プレイボール。」のコールがなければ始まらない。
最初のコールを誰にするか、予め定め、周知しておく必要がある。
スポーツは、主審。
戦争だって宣戦布告がなければアンフェアと見なされる。
いずれにしても、組織は、コールによって動き、コールによって止まる。
誰がコールするかは、絶対の決まりはなく。
合意、ルールによって決まる。
結婚式と会議とかは、事務方だったり、主催者だったり、議長だったり…。
いずれにしても宣言によって始まる。
全ては、宣言によって始まり、宣言によって終わる。