打合わせや会議をとりま取りまとめるんだけど、それこそ、リーダーシップの典型。
当然、出席者の考えを一つにまとめて導くのだから。
だから、リーダーシップを発揮する場なのだけれど、リーダーシップそのものを間違えていて。
自分が優位に立とうとか、負けまいとして虚勢を張ったり、身構えたり、偉そうにふるまう人いるけど、これが根本的間違い。
打合わせにせよ、会議にせよ、コミュニケーションの場で。
相互にお互いの考えや情報を交換の場であることは違いない。
だから、お互いに意見交換ができるような場にすることが前提なので。
お互いが身構えてしまうと、最初から、成り立たなくなる。
リーダーシップというのはチームワークが前提なので。
つまり打ち合わせも会議も最初からチームでやる事。
この点を正しく理解してないと、打ち合わせも会議もリードする事はできない。
打ち合わせも、会議も、チームワークの一環で。
打合せや会議は、一連の作業の起点であり、終点、中継点であり、接点。
打合せや会議は、作業と作業をジョイント、接合する部品だから、打合せや会議が作業と結びつかないと、作業は接合できなくなり、仕事はバラバラに解体する。
会議や打合せもパーツ、部品だという事。
打合せや会議単体では成り立ったない。
打合せや会議そのもの一連の作業がセットになって成り立っている。
打合せや会議も,付随したいくつかの打ち合わせや会議に集合なのである。
打ち合わせや会議の場だけでなく。
準備や用意の段階から、打ち合わせや会議は始まっているので。
正式な会議の前では、根回しや、お膳立て、資料の作成、手続きと言った前処理。
指示の伝達関数などの後処理が重要となる。
会議が終わったら、じゃあ、いつ打合せをしようか、誰と打合せしようか、何を打ち合わせよか、どこで打ちあわせをしようかと考えて、段どっていくので、打ち合わせは関門みたいなもの。
会議で決まった事を、今から伝えるから、明日の朝までに、紙に書いといて。明日打ち合わせをするから、打ち合わせまでに、気なったことどうしたらいいか、お前の考えをまとめておいて。
それと、明日の朝、誰と打ち合わせたい以下、事務方と相談して、事務方に言って伝えておいて。それと、場所の手配もねというように。
打ち合わせをいつ、誰とどこでやるかの算段が付けば、それまでにやっておくことの目安がつく。そうしないと取り付く島がない。
間を開けると筋が違ってくるので気を付けるように。
会議や打合せは、前回の会議や打合せの終点であり、次の会議の起点、あるいは、中継点である。
故に、会議や打合せと次の会議や打合せの間には作業が敷き詰められていると思ってほしい。
打合せや会議の役割は、分担、調整、統一、確認、統合、制御にある。
つまり、打ち合わせや会議で、分担を決め、進捗状態を見て作業や分担を組み替え、全体の仕事を一つの方向に整え、意思統一を測り、現状を確認し、いくつかの作業を統合し、状況、環境の変化に合わせて修正変更し、場合によっては中止する。
ぶっつけ本番では、最初から成り立たない。
だからこそ、事務方の出番があるので。
この様な、打ち合わせや会議においては、その場を仕切る者、リードする者を最初から明らかにしておいたほうがいい。
例えば相対でやるような打ち合わせでも、主客の別はある。
打ち合わせや会議においては、その場を仕切る者は、まず相手の話を聞く。
リーダーを置くのは、全体の意見や考えを取りまとめる事が目的だからである。
全体の意見や考えを取りまとめる為には、冒頭で打ち合わせや会議の目的、それと、段取り、ルールを出席者全員に伝える必要がある。
討論会ではない。打合わせも会議も基本的に討論会とは違う。
打合せも会議もチームワークの一環として催されるので、討論をすることを目的としたものではない。
結論を分担して作業に結びつけることを目的としている。
討論しても結論が作業に結びつかなければ意味がない。
打合せや会議は、組織の要請に基づき明確な目的をもって開催されることである。
その意味では、無目的な、話し合いでもない。
かといって、抑え込む場でも、言う事きかせる場でもない。
基本的に、一つは、指示伝達を伝える場であり、一つは、作業を調節する場であり、一つは、状況を把握する場であり、一つは、情報を交換する場であり、一つは、意思決定の場、一つは、承認の場、一つは、変更の場、一つは、確認の場、一つは検討の場、一つは賞罰を決める場である。
第一に、目的によって打ち合わせ、会議の在り方や構成が違ってくる。
第二に、打ち合わせも、会議も、チームワークの一環で。
会議、打ち合わせは、目的やメンバー、役割などによって構成が変わってくる。
会議打ち合わせをベースにして仕事を組み立てる事を覚える。
仕事の基本はチームワークだから。
つまり、チームは、人の集まり、人と人の出会いから仕事は始まる。
打合せや会議も業務の流れの一部分である。
特に、打ち合わせや会議は、一連の作業の起点と終点に位置する。つまり始まりと終わりのはたきをしている。
仕事には、始まりと終わりがあり、ウインナーソーセージのようなもので両端を締めないと中身がこぼれだすと教えられた。
会議はキャップみたいなもので。
会議や打ち合わせは、目的や事情が異なれば、形や構成、組織が違ってくる。
会議を設定する特は、会議の目的や会議の性格を正しく理解し、構成や形、組織を設計しなければならない。
仕事は、全体があり全体の中のどこに位置づけるかによって会議の目的や性格は変わる。
会議や打合せというのは起点であり、終点である。
会議は一時間だとしても、その背後に、何百時間もの作業時間が隠されている。
要は点である。仕事は、幅がある。
会議や打合せにそのものに期待できない。
会議や打合せに来たできるのは働きだけ。
だから、イベントであり儀式に要約される場合が多い。
会議はチームの一貫として考える、つまり会議、打ち合わせも部分、部品だという事である。
つまり組織の一部だという事である。ゆえに、位置づけ、筋と線がある。
この筋と線の意味を理解する。
線には、縦線、横線がある。
縦線というのは上下の階層による。基本的に起案、決済、指示、命令、通知と言った意思決定や、指示命令、通知は縦線。
それに対し、報告連絡、定常的管理は、横線をつかう。
仕事を組み立てる時、先ず会議、打ち合わせの組み合わせを考える。
定例会議と非定例会議があり。
定例会議をベースとするか。
非定例会議をベースとするかを決める。これが、方針となる。
たとえば、弊社の定例会議は、取締役会、経営会議、マネージャー会議、支店長会議がある。
それぞれ、月一回の頻度で開催されるとする。
仕事を起こす為には、まずどこを起点とするかを決める必要がある。
先ず、起点をどこにするかを決める。
仕事にははじまりと終わりがある。
始まりは決めようと思えばすぐに決められる。
終わりはある程度やらないと見えてこない。
始まりは確かであり、終わりは予定、予測、期待に過ぎない。
始まりは足元である。足元を固めてから仕事にかかる。
足元を固めるのが、出だしの打ち合わせ、会議群。
取締役会、経営会議、マネージャー会議、支店長会議の働きは、その構成に表れる。
先ず主催者は誰か。主管部所(事務方)はどこか。議長は誰か。どのような権限を持つか。書記は、だれか。
出席者はだれか(どのような基準で選ばれたか。)。どこで開催されたか等など。
どのようの基準とは個人としてなのか、部門の代表なのかと言ったこと。
どこを起点とするかによってボトムアップ、トップダウンの流れが確定する。
基本出だしは、誰かが起案し、それにこたえる形で決めて、組織に認知させる。
これは、昔は神事として行われっていたこともある。
トップダウンの場合、足元のスタッフを使うか、ラインを使うかをトップが決める。
打合せ会議は、起点、終点、中継、結合だと言った。
会議を構成するのは議題である。
起点、終点、中継、結合かを決めるのは議題である。
議題には、それぞれに、目的、担当、時間、構成がある。目的は役割でもある。
議題が、起点に位置するか、中継に位置するのか、結合なのか、分岐なのか、終点なのか、それをまず見極める必要がある。
議題の構成要素には、事情説明、経過報告、交渉、取引、調整、調停、裁定、決定、詰め、監督、結果報告なぢがある。
会議の目的に応じてどの局面を切り出すかを予め決めておく必要がある。
意思決定のための議題には、イン、オン、アウトの別がある。議題の形式はイン、オン、アウトかによって違ってくる。
イン、オン、アウトは決定のタイミングによって定まる。
つまり、決定が会議の前にあるのはイン。会議中で決めるのがオン、会議に後に決めるのがアウト。
インにするか、オンにするか、アウトにするか、予め決めておく必要がある。
インの場合は通知、伝達となる。基本事前に必要な手続きを終わらせておく。手続きが済んでいないと、形式は内示になる。
オンの場合は、決定できるような提案、上申をする。会議決定にする場合は、議決ができるよう準備する。総会などによくみられる。
アウトの場合は、一任を取り付ける。何らかの理由でオンタイムでできない場合は一任を取り付けてアウトとする。
会議と会議がどれくらい空いているかで、やる手順を決める。
たとえば、方針を決めるという工程だけ切り出してみると。
どこを起点とするか。
支店長会議やマネージャー会議を起点とした場合、ボトムアップ型になる。
その場合どの部署が起案者となるか、仕事の筋が決まる。
経営会議を起点とした場合、ボトムアップ、トップダウンになる。
取り締まり各階を起点とした場合も、トップダウンである。
意思決定を前提とした会議では、お膳立て、根回しが必要となる。
そうしないと決定事項が組織に浸透しない。
どこを正式の起点とするかが定まったら、どの線、どの筋から上げるかをきめる。
たとえば、販売計画を立てる場合、現場から上げる筋と、センターのラインから上げる筋、スタッフから上げる筋などいくつかの筋があり。
原則、起点となってあげたところが中心をとるケースが多い。
現実に、システム化に際し、経理の筋、線から上げた場合計算センターが経理に所属し。
総務の場合は、総務に、営業なら営業、生産なら生産。あるいは最初から計算センターとして独立させた場合と出自によって計算センターの性格中心が違うという例もある。
弊社はどちらかというと販管が主体だっため、今でも、財務課景気との整合性に苦慮しているし、在庫管理もままならない。
このように、どの筋を活かすかで後々の事が定まる。
会議でどの筋を活かすかが重要なのは、後々、その筋が中軸となる事が多いからで。
それが筋道を通すという事。
実際に仕事をする場合は、グループ分けをする。
会議には、仕事の節目に全体の仕事を整えるために象徴的にもよされる儀式も含まれる。
例えば、入校式、入団式、入社式、卒業式、成人式、冠婚葬祭などが典型である。
これは、仕事だけに限らず、人生においても言える。
販売店会総会とか、株主総会は、予め決められたストーリー、筋書き通りで、形骸化していると思い込んでいる人いるけどそれは錯覚。
欧米では、会議は格闘技だからね。
ただ、日本の総会はどちらかというと象徴、セレモニー、儀式だから、セレモニーとしての役割、働きがある。
打合せや会議は、それだけで成り立っているわけではない。
打合せや会議は、結合部分である。
一つの会議の中で、総てを完結するという訳にはいかない。
会議そのものは氷山の一角で、会議が始まる前に、あらかたの事、八、九割は片付いていないと、会議は成り立たない。
会議中に、調べたり、資料を作ったり、分析したり、手続きをとったり、聞き取りをしたり、原因を究明したり、対策を立てたり、計画をつくたり、企画書つくたり、プレゼンテーションを作ったり、取引をしたり、予約したり、交渉する事はできない。
それは会議以前に片づけてくることなので。
また、会議までに何をするかは、会議以前に結論が出ていないと。
それでは、会議を開く必要がないじゃないかと。それは勝手な決めつけで。
会議では、最終的の確認をしてけじめをつけたり。
それぞれの進捗状態を聞いて、仕事の分担や、作業の組み換えをしたり。また、次回までにやってくることを全員で確認したり。
それぞれの置かれている状況を確認したり。
変更点、修正点があったら、通知したり。
お互いの意見や考えを交換したり。
全体の足並みを捉えたり。
全員の意志統一を図るとか。
それぞれの役割や、自分たちがいる位置を確認しないと。
チームワークの要として、結合点としてやることは一杯ある。
要は仕事の起点であり、到達点であり、中継点であり、結合点なのだから。
ただ、会議だけとらえたら何が何だっかさっぱりわからなくなる。
今、みんなは何をしていて、自分はどこにいて、あとどれくらいで目標地点に到達するのか。
それを、確認する場が会議だという事。
会議は通過点に過ぎない。
日々の仕事の延長線上でとらえれば、短時間の確認、報告で済む。
その上で、進捗状態に合わせせて作業の組み換えや調整、管理をすればいい。
それが横線の会議で定常的な予実績管理のための会議になる。
縦線で予算や予定を決定し、横線で管理する。
その為に日々の仕事を記録するので。
会議が突出しているわけではない。
日々の仕事にも、ラインの組織にも連動していることに意味がある。
システム化されれば。リアルタイムに情報を抽出できるようになるというだけで。
作業の流れがしっかりしていれば、特別に会議の為だけに資料を作成する必要はなくなる。
予定と結果、実績を比較するだけで大方は片付くからである。
ただ、対策を実施しない言い訳はできなくなる。
なぜなら、やるべきことが明確になるから。
予実績管理が明確にされたら、決定されたことは確実に実行し、結果を出すことが求められる。
会議は、キャップみたいなもので。
一時間、ベタで会議をやり通すのも、また、最初と最後に五分ずつ打ち合わせをして間の五十分、作業をしても、傍から見れば、一時間会議をしているように見える。
現にワークショップなどは後者の形の会議ともいえる。
会議とはそういう事なのである。
会議は事前の準備や用意で決まると言われるゆえんである。
自己完結的な会議というのは基本的にない。
確かにイベントや儀式は、自己完結しているように見えるが、実際は、入念な準備、用意がされ、打ち合わせも一回や二回ではない。
なぜ、総会をする必要があるのか。
最近も、いろいろなところで総会が開かれていて。販売店会の総会とか、株主総会とか。
結構遠隔地で、総会が開かれるけど。
総会の中身なんて三十分もあれば片付く事が多く。
一日かけて言いて、三十分足らずj、しかも内容はあまりない。
それでも、総会を開く必要があるの。
販売店会総会とか、株主総会は、予め決められたストーリー、筋書き通りで、形骸化していると思い込んでいる人いるけどそれは錯覚。
欧米では、会議は格闘技だからね。
ただ、日本の総会はどちらかというと象徴、セレモニー、儀式だから、セレモニーとしての役割、働きがある。
どっちにしても、総会は、総会を開くことに意義がある。
それは、総会の進行や議事の構成、出席者やその役割を見れば分かる。
そしてそこに重大な意義が隠されていることも。
しかし、その意味が失われ、理解できる人がいなくなったから、形骸化しているので。
形骸化していることに気がついいた人は、もうやらなくてもいいじゃないと。
でもそういう人は、総会本来の意義に気がついいていない。
月一回の定例会は、一か月の組織的作業が隠されていて、その作業を一時間に圧縮しようとした時点でその会議は破綻している。
会議が始まってから資料をそろえたり、調べたりすることは不可能。
会議を開くためには、会議の日程を決めなければ。
出席者を決めて案内を出さないと。
資料も用意しなければ。
次第はどうする。
議長との打ち合わせは。
発表者はどうする。
事前に決めておくことはないか。
会議の目的は、決めるの、検討なの。
場所の手配は誰がする。
会議は会議単体で成り立っているわけでない事に気がつかないと。