何か、勘違いしている人がいる。
結論から言うと、何をするかを明らかにする。
そして、それまでに何をしたらいいかを考える。
たとえば、一か月後に打ち合わせをすると決める。
そしてそれまでに、何をしたらいいかを考える。
三か月後の、家族で旅行をしようとか決まる。
それまでに何をするかを考える。
最終的に何をするかを決めて、それまでに、何をするかを決める。
一年後に新年会をすると決めたら。
一か月後の打ち合わせに何をして、それまでに何をすべきか。
自分たちにどのような命題、ミッションを与えららたか明らかにする。
意見は必要ない。
一度決定が下されたら、やるしかない。
決定に従えないならやめるしかない。
やめるにしても、途中で投げ出す事は許されない。
この点を理解していないと重大な間違いをする。
根本的な事は、人は、自分のおかれている状況がわからないと、自分をガードしようとする。
自分を守ろうとして、心を閉ざす。
心を閉ざすと、頑なになる。
人はそれでなくとも、自分の心を開いたり閉じたりする。
自分の意志で物事を決しようとすると、人は、外部との関係を遮断し、限られた情報に絞ってい一人で決めようとする。
決断は孤独なのである。
「ちょっと黙ってくれない。今決めようとしているのだから。」
会議や、指示に基づいて仕事をに着手しようとした場合、決定が下された直後、指示された直後でしか、人は、心を開かない。
だから、決定が下されたら、指示されたら、その直後に、ミッションを確認し、中心との関係、ルート作らないと、閉められてしまう。
だから、常に、直後に畳みかけるように要件を詰めろ、その時が勝負だと叩き込まれた。
その時どこまで詰められるか、それで仕事の成否は決まる。
これは、営業の鉄則でも、客が、決めたと瞬間、話を詰めないと、客の気持ちはすぐに変わるし、客はガードに入る。
採用も同じ、相手が、その君なった時、どこまで、話を進められるか、そこが勝負だ。
相手に気持ちをしっかりつかんでおきさえすれば、後はなんとでもできる。
営業も、採用も、そういう勝負時が何度かあり、後はどこで止めを刺すかそれで決まると。
この息を体得した者が、採用も営業も時を味方にできるが、体得してない者は時を失う。勝負勘という。
その上で、仕事の仕様を明確にして。
作業を洗う出して、仕様を決めていく。
まず、現時点で確かな事と不確かな事を仕分ける。
きちんと指示をしないと、担当は、自分をガードしようとする。
それで自分の考えだガチガチに足元を固めてから仕事に着手する。
だから、始末が悪い。
決められた直後、指示された直後に、しっかりと要件を詰めておかないと、独善的、勝手に、主旨目的を設定し、暴走し始める。
またガチガチに足元を固めてガードをはるかというと、相手は誰かというと客とか責任者に対してだ。
だから厄介なのである。担当がガードを張るのは責任者に対してである。
なぜならば、変更する権利をもっている相手だからである。
先ず話を核となる人間で詰められる場を作る。
そして、胸襟を開いて話し合う必要がある。
馴れない者は、身構える。
そして、最初からけんか腰、感情が前面に出る。
自分が喧嘩腰で、身構えれば相手も身構える。
自分から、胸襟を開き、腹を割って話しかけないと。
先ずお互いのガードを外す事である。
薩長同盟の時は、坂本龍馬が、江戸城無血開城は、山岡鉄舟が殻を破っている。
それで最悪の事態を免れた。
ガードを張る前に、その殻を打ち破る事である。
だから、相手がガードを張る前に速やかに仕事に着手する。
日が決まっている時は、今日から、当日までの計画を立てる。
その為に、目安となる日をプロットする。
支店長が集まる日。マネージャーが打ち合わせる予定日。定例会議。
それから、項目を挙げて、今、わかっていることを書き出す。
項目は、やる事(表題)主旨、目的、日時、場所、責任者、担当、主管、出席者、当日やる事、当日の役割。
誰がキーを握っているか。
どこに中心を置くか。それによって後の組織的展開が違ってくる。
非常に細かい話なんだけれど、実際に、作業に入って迷うのは細かい話で、細かいから、担当は、誰かに、賛同承認が欲しくなる。
そう思って、責任者は、担当の話を聞く。
そして逃げない。
キーを、にぎっている。
まず、主旨目的、方針をうまく引き出し、確認、確定して貰う必要がある。
いきなり、いかがいたしましょうかと聞いても怒られる危険性がある。
一工夫する必要がある。
リーダーシップとメンバーシップは違う。
どこが違うかというと、リーダーは、自分が中心になって全体に責任をもって決めていかなければならない。
メンバーは、リーダーに従って、分担された仕事に対してのみ責任を持つ。
リー代は決める、そこがほかのメンバーと違う。
リーダーはリーダーになる。
現代の日本人は、リーダーシップを発揮する事は悪い事のように刷り込む。
だから、リーダーが現れない。
その結果、大川小学校と同じ悲劇を繰り返す。
危機に瀕した時、リーダーが現れない。
手伝いと、分担は違う。
分担というのは分業、組織的に動かすことを意味する。
手伝いは、分業とは違う。
ただ自分の仕事を手伝わせているだけ。
つまり、使い走りに使っているだけで、それでは担当は仕事を覚えない。
自分で考えようとしなくなる。自分の考えを入れたら叱られるからで。
責任感も持てない。
だから責任の持ちようもない。
使い走りは、お茶くみはできたも、お客の接待はできない。
分担されているわけではないから。
分担して仕事をするためには、リーダーが明確でなければならない。
リーダーは仕事の要である。
リーダーシップが取れない人の多くは、手伝いと分担の違いが判らない。
だから、役割を決めて、作業を割り振れない。
ただ自分の仕事を手伝わせているだけで、組織を作れないし、当然リーダーシップを発揮できない。
自分の仕事を手伝わせるのがリーダーシップだと錯覚している。
リーダーは。組織を動かして仕事をするのであり、責任も分担する。
人間も動物なのである。
誰が、第一声を誰が出すかでその場を誰が仕切るかが決まる。
小人閑居して不善を成す。
考える暇を与えない。仕事に専念させる。
リーダーには、リーダーの役割がある。
それを、リーダーもメンバーも認めなければ、組織は機能しない。
団塊の世代は、反体制、反権力なんだよ。
次の世代は、三無主義。
団塊の世代は、なんでもかんでも、逆らていればいい。
三無主義は、無関心、無責任。いい加減。
まじめに真剣にやるのは馬鹿。
根っからそう思い込んできたし、後輩たちの前でそうふるまってきた。
その典型が、政治の世界で。
団塊の世代が政権を担っていた時は、体制側でありながら、反体制。
次の世代は、誰も責任を持って解決しようとしない。
指導者不在。
でも、世界は、ウクライナにロシアが攻め込み。
パレスチナでは、泥沼の戦争が続いている。
中国は、台湾を窺い。
北朝鮮は、ミサイルの実験を続けている。
目を日本に転じれば、日本の国力は凋落し、その結果、円は止めなく暴落し、物価は暴騰の兆しがあり。
財政の限界は目に見えて、金融政策もままならない。新しい技術においつけない。
この現実を直視しない限り、明日を生き抜く事はできない。
時間が解決する。何もしないのが賢いという時代は、終わろうとしている。