仕事にするとか、仕事にしていくと指導をされた。
これは、当時は、現場職長クラス、課長クラスので話で、この手順を頭に入れておかないと、仕事の組み立て、段取りができないから。
組織的に仕事をするためには、チームワークの基本を身に着けておく必要がある。
それも早い時期に。
担当者が長いと言われないと何もできなくなる。
仕事の段取り、組み立てができないからである。
段取りの基本は、まず大枠を作る。
大枠ができたら、大枠に、そって、担当者を決めて、役割を分担し、段取りをしていく。
人と作業を大枠に沿って組み上げていく。
この辺の仕事、段取りは、言われなくてもできないと困る。
組織とは、そういうものだ。
それこそ野球のルールみたいなもので、監督が一々指図しなければ、バットも振れない、ボールも投げられないというようでは困る。
野球やサッカー等、スポーツを見れば分かるように組織的な仕事には、一定のルール、形がある。
ルールには、野球やサッカー等固有のルールだけでなく、チームワーク一般に共通するるーるがある。
共通のルールというものが曲者で必ずしも普遍性があるものとは限らない。
また、すべての人間が身に着けているとは限らない
我々が常識として持てという組織、チームワークの基本は礼儀作法の類で、家庭の躾とされた。
行動規範、リテラシーである。
社会人として必要な知識である。
組織の動かし方を今の学校では教えないし、教育の対象と思っていない節がある。
しかし、江戸時代の学問と言ったら論語と歴史。どちらもいわば、組織の運用術です。
本来、学問は組織の編成から運用、心構えが主だったのです。
ところがある時期から、日本では組織や組織の運用に関して否定的に教えるようになった。
それは戦争に負けた時からである。
戦った相手は、自分達が恐れたことを否定したのである。
日本人が規律正し事。
組織的に働く事。
勇猛心、遵法精神、忠誠心
礼儀作法などなど。
反体制、反権力の団塊の世代は礼儀作法を頭から否定した。
しかしそれでも、彼らは親の世代から躾けられていたから、組織人としての振舞はできた。
ただ、次の世代に引き継がなかったし、次の世代は、わかっていますわかっていますというだけでまじめに受付なっかた。
それが、中核世代となった時、総ての組織が解体へと向かった。
組織が出来上がれば、一々組み立てなくても古いやり方を踏襲しただけでも、動くことは動く。
ただ、組織そのものは形骸化してしまい、惰性で動いているのに過ぎない。
その証拠に組織を率いる事の出来るリーダーが現れない。
若いものに引き継げるものがいなくなり、若いものは面倒くさいと逃げ回る。
自分たちの中から次の時代を率いるリーダーが出なければ、残されるのは隷属しかない。
それでいいと言われればそれまでだけれど。
彼等は、ぶっ壊すだけぶっ壊してそれに代わるものを生み出しはしなかった。
全体主義である共産主義者は、かえって強権的体質を強化しただけ。
とにかく集団をまとめ組織を動かす技術を身につけなければリーダーにはなれないし、かといって中間管理者にもなれない。
ただ言いなり、言われた事言われた通りにしかできない。
爆弾を背負って突っ込んででこいと言われても、ただ、何も考えずやるしかない。
チームのメンバー一人ひとりが、自分に与えられた仕事や任務を、取り仕切っていこう、責任をもってまとめていこうという意志がなければチームワークは成り立たない。
組織の基本的な原則は頭に入れておく必要がある。
洗脳、洗脳と言うが、洗脳を恐れて逆に洗脳されないためである。
組織は悪だ思い込まされている段階で、既に、洗脳されている。
仕事の基本も、組織の基本も、計画の基本も、位置と働きと関係である。
組織には掟、ルールがある。そして、組織はルールを守る事を強要し、そのための罰則がある。
組織には従わなければならない事がある。
以下の事は例外なく組織に所属する者は全員従わなければならない。
組織には契約がある。組織は指示命令に従う事を求める。すなわち、指示、命令には強制力がある。
組織には中心がある。中心とはリーダーである。すべての指示命令はリーダーを中心にして出される。
中心は一つでなければならない。
組織には全員に役割があり。役割には責任がある。責任には、権限がある。
組織の全員に、等しく権利と義務がある。
組織には役割に基づく位置と力と関係がある。
組織には規律がある。
組織には連帯責任がある。
組織の出した結果に対する責任は全員に及ぶ。
組織では助け合い、協力しなければならない。
組織には全員が関係がある。無関係な人間はいない。
組織には、連携した仕事がある。
組織の人も作業も役割もすべて結びついている。
組織には並行作業にがる。同時に複数の人間が働いている。
役割の中には組織独特、固有の役割がある。
組織を維持制御するための役割がある。
組織のシステム、人で構築された一種の仕組み、装置だとしたら。
車を運転するための仕組み、ハンドルとか、アクセルとか、ブレーキとか、クラッチのような役割をする部分、担当がある。
例えば行軍という事がある。
何万と言う軍勢が、一糸乱れず静々とそなさまは、壮絶と言うか。
それが組織であり、軍学。兵法は組織論だともいわれるゆえんで。
そして、それを一人の人間が指揮する事を考えると。それが軍学だと。
リーダーがぼそぼそ、パソコンに向かっていても組織は動かない。
リーダーは人に向かわないと組織を動かすことはできない。
リーダーは全体を指揮するのが最大の役割で、一人で単騎駆けしたら一発で終わる。
リーダーには一人でできる仕事はない。
リーダーはヘッド、頭である。
リーダーには補佐役が重要で、いい補佐役がいるかどうかで、全然違てくる。
実質的なまとめ役は補佐役がすることが多い。要はナンバーツーである。
サブリーダーは、交代要員である。
サブマネージャークラス以上は、手順を頭に入れておく必要がある。
組織は、タイミングが大切で、タイミングがずれると、トラブルの原因にもなるし、不平不満が出て抑えられなくなる。
要は今どの段階にあるかをチームのメンバー全員が、頭に入れておくの肝になる。
野球ややサッカーでも序盤か中盤か終盤かで打つ手が変わるように。
そして選手全員がそれをわきまえあて行動する事が求められる。
基本的には序盤、中盤、終盤というのが一般的だけど、この辺の構想は、一概に決まっているわけではなく。仕事の長さや対象などによって違ってくる。
序盤で体制を作り、中盤で仕掛け、終盤で詰めるというのが、序盤、中盤、終盤という形で、組織の体制の変化に表れる。
いずれにしてもどこから着手するかが第一の関門になる。
将棋で言えば、角道を開けるか、飛車先をつくか。
麻雀で言えば、どこからきるか。
着眼大局。着手小局(荀子)という格言もある。
全体を見た上で、できるところから着手する。
始まりは、体制組織作り。
先ず、打ち合わせや会議が終わった直後、結論に関係するライン責任者は残って打合せをする。
それが当たり前だった。
一寸この件で打ち合わせるか関係者は残ってとかね。
それでどうしよう、どうするというだけでスイッチが入った。
ここでコアとなる部分を作る。
最初はコアになる部分を作るのだから、つなぎ、顔合わせで十分。
次のステップでガイダンス、オリエンテーションとつないでいく。
その過程で、センターと現場との関係、体制を作る。序盤で形を作り。
中盤で形を壊していく。
それが定石。
体制か体ができたら小当たりして様子を見る。これも定石。
現場の意見、要望を聞いて、中心となる目的方針をセンターの担当、主管責任者、トップと通し事で筋を通し中心線を確立する。
ボトムアップ、トップダウン。
大枠、要点、要所は責任者が抑え、担当者が詳細を詰める。
縦の責任体制、役割分担と、横の責任体制を組み立て、それをラインと会議で結ぶ、つなげる。
組織は最低三点はつなげ、情報は最低三点でとれと教えられた。
これに作業と時間軸をつなげて日程を作る。
作業を洗い出して、順番に並べ繋いでいくのである。
例えば、キャンペーンなどは、顔合わせが終わったら、簡単に現場の意見を聞く。
現場の意見を聞いたうえでセンターの方針を決め全体会議で通す。
センターが先か現場が先かは、微妙なところ。
顔あわせが終わったら、個々の現場に合わせて体制、対応を決めていく。
静清支店と富士宮は、明らかに、現場の体制が違うから、現場に合わせて役割分担を地めていく。
キャンペーンは、センターの仕事と現場の仕事があり、早い時期から並行作業が始まる。
その上で、個別の問題をどうするかを責任者間で詰める。例えばチラシや展示会などである。
個別の仕事もメインの仕事と同じように作業を続けていく。
チラシも、担当を決めこれは兼務でも構わない、最初に現場の要望考えをきて上でセンターが方針を決め方針毎に現場ごとに詳細を詰めていく。
全体の構想が勝ったまったらレイアウトの作成というようにセンターと現場が連携して作業を進めていく。
やるのかやらないのか、わからないと何もできないので。
やると方針として仮決めする。
方針だから、この段階では、最終決定ではない。
あくまでも方針。
逆に言うと最終決定をいつ、誰がするかは、別途決めておく。
例えば、花火大会や運動会。
やるという前提でないと準備もできない。しかし、最終決定は直前でしか出せない。
やめると決定しないかぎり、やることを前提として行動する。
途中で怪しくなったら、方針は、このままでいいですかと尋ねればいい。いかえると方針を変えるときだけ決断すればいい。
決断すると言っても、事情も状況もわからない、情報も整理されていないと、決断の仕様がない。
逆に決定権を持つと曖昧な態度も取れない。
だから、決定権のない副官に内部調整をまかせ、ある程度、整理され、まとまったところ、事情が飲み込めたら決めに入る。
リーダーは、意外と融通が利かない。
また、利かせてはならない。
決めは決めなのである。
補佐などの役割が、組織的な役割である。
決めるという事自体は、点、ポイントに過ぎない。
一秒もかからない。瞬時で決まる。
だから、重要なのは決めた後であり、決める前。
仕事、作業は、点ではない。
幅や長さがある。
それ故に前後が重要となる。
決まりは始点と終点。
だから、断じる、決断という。
打ち込むような気合で決めれば、決まる。
撃ち込むような事。
そうなると、相手が見えなければ撃ち込めない。
事情も状況も見えなければ、目を瞑って撃ち込むような事。
漆黒の闇で相手も見ず撃ち込むような事。
だから、灯が欲しい。光が欲しい。
前方を照らしてくれる人が必要。
無論自分が見たいところを照らしてもらわないと困るが。
点と線を結ぶのは、決めた後考えるので。
決めても、なにもしなければ、決めただけで終わる。
実体は決めた後の行動にある。
決まったら前に進むしかない。前進あるのみ。
だから、決める者と事情、環境を事前に調べたり、まとめる役が必要になる。
決めるというのは一発勝負になる。
しかも、間違えは許されない。
賭け事ではない。
組織の決定の影響は、全体に及ぶ。
だから、決め役というのは責任が重い。
事前に問題を整理し、事情が分かるようにしてくれないと決めるに決められない。
それは組織的問題であり、個人の能力の問題ではない。
決められない状態に置かれているから決められない。
だったらリーダーは自分が決められる状態、環境を作るのが先なのである。
さもないと個人攻撃が始まる。
ただし、個人の能力や性格を責めても抜本的解決にはならない。
なぜなら、それは組織、仕組の問題だからである。
これは内をまとめる時も外と交渉する時も同じ。
組織は、一人では何もできない仕組みになっている。
人を責めたくなければ、足元の環境、仕組をみなすことだ。
おいそれと人の性格や能力は変えられないが、仕組を変えることはできる。
事前にある程度こなし、問題を整理して、纏めておいてもらう。
それは、他の役割とは別格なので、心中覚悟で信頼しなければならない。
よくナンバーツーに嫉妬して任せられないリーダーがいるが歴史を見ても大体ナンバーツーとのいさかいで組織が瓦解する事が多い。
リーダーは部下を信じる度量が求められる。
料理は食べられるようにして提供してもらわないと。
会議は、宴席のようなもの。
リーダーが食べられるように調理しないと、いきなり生肉を出されたも食べようがない。
況や毒抜きもしていない河豚を出したら。毒が回ってしまう。
いきなり答えを求められても答えられるものではない。
予め、ある程度、話を整理せまとめ、事情を聞いておいてもらわないと、正しい判断はできない。
いきなり、イエスかノーかと言われてもね。
決められないから話を聞いたり、まとめたり、調整することができるので。
相手が決定権があるとわかるとなかなか、人は、本心を明かさなくなる。
第一、決められたら従わなければならない。
第二に、一度決めたら、簡単には変えられない。決定権がある人が決めたらそこで終わり。
つまり、決める人が自分の考えを言えば、正式に、決まってしまう。
かといって、決定権のある人の考えがわからなければ、おいそれと自分の考えは言えない。
なぜなら、相手の考えと違ったら後々面倒なことになるから。
だから、決定権のない人にまとめてもらうほうがお互いやりやすい。
これは横の関係でも言える。
だから、執行役と調整役は分けて考え
調整役は、議長が分担する。
また、いつ、どこで誰が何を決めるのかリードするのが事務方。
司法、誹謗、行政という役割分担もある。
決定役と調整役という以外に、交渉役を分けて考える事もある。
決定権のある人が交渉すると融通が聞かなくなる。
決定役だけでなく聞き役、相談役、まとめ役、つなぎ役も必要なのである。
正式なリーダーと非公式なリーダーも必要。
人には、本音と建前がある。建前ばかりが強くなると本音は隠されてしまう。
建前だけでは人間関係はぎくしゃくする。
しかし、本音ばかり聞いていたら何も決められなくなる。
気を付けなければならないのは非公式のリーダーは、正式のリーダーがバックをとらないと闇リーダーになる。表裏一体にならず、裏が表面から乖離してしまう。
卵の黄身と白身みたいな関係である。
リーダーは、融通を利かせてはならない。
決めは決めなのであるから。
決められたら従わなければならない。
でも直接、あえての考えも分からず、自分の言い分も話しづらい。
言いたいことも言えなくなる。
言いたいこと言ったら怒られたなんた。
上司の面と向かって逆らうことはできない。
事前に双方の話を聞いて、調整してくれる人がいないと何も話せなくなる。
本音が誰からも見えないからである。
だから決められないから、 役割か果たせるので。
こういう役回瑠璃も組織ならでは。
組織を求めたり、意思決定をするのも分業なんだ。
どういう意味で言ったのか、軽い気持ちでいつたのか、かなり思い詰めていったのか、間に立つ人がいないと。いきなり言い合いになったら収まりがつかない。
決裂する。
言いたいことも言えなくなる。
あの人の本心はどっちなの。
何が言いたいの。
真意はどこ。
喧嘩売ってるの。
言えと言ったから言っただけ。
いいたことを言っただけ他意はない。
決め役とまとめ役は別の方がいい。
仕事や組織には、硬軟、表裏がある。決定というのは固いのである。硬いし表面的の事になりやすい。
しかし、固くて表面的では、組織や仕事の深度まで動かせない。
間に立つ者がないと頑なになり、がっちんこなぶつかり合いになって火花が散るようになる。
だからと言って硬い芯がなければ、クラゲのような得体のしれないものになってしまう。
事前に担当者間をつなぎ、段階的に進め、事前に事情を聴取できるようにしておかないと、管理者は仕事の進捗を管理できない。
指示にしても、一方的でなく、双方向なものでなければならない。
指示しただけでは、指示しっ放し状態になる。結果が出る前でも、指示に対するフィードバックがなければ管理はできない。
情報は、還流させなければ効用を発揮できない。
できないようにすればできない。
できないようにするからできない。
なぜ、国家的イベントでパレードが重要なのか。
特に、軍事パレードが。それは大勢の人間を一糸乱れず動かすという事がそれだけ難しいという事で。
だから、行進訓練が軍事訓練でも重要となる。
一見簡単そうに見えるが、全体にぴたりと一致した行動をとらせるのは至難の業。
これは、現実の会社の仕事も同じで、全社が足並みをそろえて一致協力して動くというのは簡単ではない。
だから、一分野を任さ れた者は、全体に自分のチームをどう合わせるかがカギとなる。
自分のチームだけが突出しても、遅れてもダメ。
その為には自分の動きだけでなく、自分のチーム全体の動きを把握しなければならない。
隅々まで目が届かないとまとまらない。
例えば、社員旅行の移動のような事でも、先頭に立てば最後尾や側面は見えないし。
最後尾からは、先頭は、見えない。
最後尾と戦闘を抑えても側面が抑えられない。
だから、最低三点を抑える必要があると躾けられた。
全体は体制ができたと言いても、最後まで見えているわけではない。
胸突き八丁というのは山頂は見えているのになかなか到達しない状態をいうので。
総てが見えるのは結果が出た後で、計画にしても予算にしても先が何も見えない時に予想に基づいてたてるなで。総べってがわかってから、結果が出ていて計画を立てるわけではない。
だから組織体制作りが重要となる。
全体で情報をとり、それぞれの持ち場を守る事で大きな仕事が可能となるので。
最初は何も見えていないので、先端、現場から情報を集めて、静々と前進していく。
間違ってはいけないのは、生な情報、前方の情報を持っているのは、先端部分、現場だという事で、センターではない。
手足となる部分だし、目は鼻。
勘違いしてはならないのは目鼻と頭脳とは違う。
いずれにしても全体が同時に一致協力して行動する事が求められるので、先ず、その体制から作る。
指の先まで頭脳がどのような考えで何がしたいのかを理解する。
そして瞬時に伝わり動くようにする。
さもなくば組織は半身不随のようになり。
あるいは、頭脳とは関係なく、テンデンバラバラに手足が動くような体になる
こうなると間違いなく病気だ。
先ず背筋をピッシっと通すことである。