今の時代は、中間管理職に冷たすぎる。
軽んじている。
だけど、僕は、子供の頃から、中間管理職こそ統制の要。
一番、負担が大きいと叩き込まれてきた。
管理職は、特別なのだ。
それも、家族にも負担がかかる。
中間管理職は、会社に対する忠誠心も高いし、使命感もある。
経営思想を共有しなければならない。
中間管理職は、部下を束ねなければならない。
家族の協力がなければできない。
特別であり。特別意識を持たせなければならない。
だから、何もかも変える。
特権なんだ。それは、悪い事ではない。
ただ、自分たちに子供の頃のやり方には、私は、行き過ぎがあったと思うし。
あまり、階層を高くしたり、分不相応に、特権を持たせすぎるのは、弊害があると。
でも、何もかも、同等にするのはそれ以上に弊害がある。

管理職の仕事は、家族の協力なくして務まらない。
非常時、緊急時には率先しなければならないし。
最後まで、仕事を見届けなければならない。
だから、昔の巨人軍だって、来島ドックの坪内だって、松下だって、トヨタだって。
中間管理職のカミさん大事にしたんだ。

その時、注意されたのは、直接、カミさん渡るようにしろ。
亭主に渡しても、カミさんに渡らないケースがあるから。
その場合、かえって夫婦の不和を招くのとになると。

困難な時は、中間管理職の結束や忠誠が鍵になる。
俺もみんなと痛みを共有したい。

中間管理職が結束してくれたら怖いものはない。
中間管理職は、会社と部下との板挟みで苦労している。
上の人間は、厳しくせざるを得ないが、わかってやらねば、報われない。
特に今の時代はね。

昔はね。
管理職と一般職とは、処遇も待遇もハッキリ分けた。
今でも、日本人以外の国ではハッキリ分ける。
当たり前だって。だから、ジョブ型が成り立つ。
日本人は、騙されている。人がいいんだよ。
要するに、日本人は管理職ならなくていいってさ。
外人は思っているんだよ。
社会主義国だって、アメリカだって。
階級社会だし、差別社会。
管理職は特別なんだよ。
忠誠心も使命感もなければ務まらない。

統制とか、服従とか、強制は、悪だとすっかり吹き込まれ。
洗脳され。
差をつけてはいけないと。
別に差別はいけないけど、差をつける事が悪いとは言っていない。
差をつけたからと言って差別になるわけではない。
差をつける根拠が問題なだけ。

組合だって、役割には差がある。
委員長だって、書記長だっているし。
いなければまとまらない。
委員長と一般組合員とは差があって当然。
同じ扱いではない。
組合は団結が総て。
だから、統制が厳しい。

なぜ、管理職は、非組合だと思う。
それは、管理職は、準経営者だと見なされるから。
だから、組合から目の敵にされた。
管理職を軽んじるのは組合、共産主義者だな。ただ、共産主義者が管理職を狙うのは戦略だけど。

管理職と一般職は、明確に違う。
大体責任の重さも違うし、期待されることも違う。
管理職は、職場の長であり、束ね、要、差配である。
だから、下の者に舐められたら組織は統制を失う。
日本を弱体化しようとした勢力は、この点を突いた。

権威や権力を必要としているのは、管理者。
なぜなら、権威や権力がなければ、自分を守れないから。
拘束されるのが嫌なら、権威や権力を握らなければならない。
反体制とか、反権威、反権力と言ったところで同じ穴の狢(むじな)。
要するに、権力闘争に過ぎない。
それは、過去の歴史、革命の歴史が物語っている。

世の中から、ステータスはなくならないし、なくなったら秩序は保てない。
ステータスが問題なのではなく。
ステータスの根拠で、力も事績もないのに、家柄とか、親の威光、不正な事が根拠となるから悪くなる。

管理者は、叱ったり、罰したりできなければ組織を統率できない。
ほめたり、煽てたりしても限界がある。
報酬だけに頼れば、際限がなくなる。

誤解してはならない。
アメリカだって、中国だって、イギリスだって、この点の常識は持っている。
持っているから階級闘争がある。
アメリカやイギリスどころか猿や犬、牛や馬だって同じ。

今の日本人が異常なのだ。
平等に扱うと言う事と同等に扱うと言うのはわけが違う。
城持ち大名にしても、一兵卒同じ格付け、処遇、扱いにしたらね。
城持ち大名なんてやってられないし。
なりてはいなくなるよね。

組織と言っても、源は、群れであって。
群れとしての習性は捨てきれない。

日本人以外の国の人間は、日本から管理職を駆逐したいのさ。
そして、自分たちが、管理職、つまり、支配者として入り込む。
だから、俺は、管理職を守る。
トップが管理職を守らず誰が、守ってやれるか。

日本の管理者は現場からの叩き上げ。それだけに、使命感も、忠誠心も高かったけど。
それを、組合な狙い撃ちにし、リストラ対象に。

社長は、代表取締役でもある。
つまり、代表権を担う。
代表権というのは社長だけと限らないが、実権は代表権を持つ者が持つ。
トップとはそういうもの。
要するに、組織を代表する者。
各々、中間管理職も任された組織を代表する。

責任者は、将棋で言えば王将のようなもの。
王将がとられた一巻の終わり。
王将を守るのが金銀。
組織で金銀にあたるのが管理職。
管理職に背かれたら王将は裸になる。
金銀を王将も守る。

極端な話。
管理職が生き残れば、組織は再生できる。
チェーン店のように、店員総てをパートアルバイトにする事は出来ても。
店長は正社員でなければ、組織は回らなくなる。

管理職は、本来選ばれた人間なので、エリートなのです。
また、エリートでなければできない。
エリートにしなければならない。意図的にですね。
自他ともにエリートだと自覚させる。
なぜなら、普通なら、嫌われ役に徹せざるを得ない事もあるから。
管理職を職場で孤立させたら、組織は成り立たないのです。
それは、かつては常識と受け止められてきた。

管理職は偉かったし。
日本以外の国では今でも偉い。
特に、社会主義国ではね。
そうでなければ、組織は保てない。

管理職に惨めな思いをさせてはならないし。
家族に対する面子を失わせてもならない。

管理職は、最後の砦、御楯なので。
そんな事は、日本人以外常識。
かつての親父たちも常識だったけどね。
どこが違うのかと言えば、欧米人も社会主義者も、最初から差別しているので。
彼等は、管理職の重要性は、百も処置している。
だから、同じ民族、同じ宗教、同じ思想の人間で固めようとする。
それで差別が深刻になる。
トップは、管理職を、何が何でも守らなければ。命がけで。

だって、労使紛争の時も誰が体張って経営陣を守ったと思います。
彼等の忠誠心を期待できなくなったら裸同然になる。
敵対勢力は、忠誠心も悪だと吹き込むけれどね。