「どこどこが、問題だ」とわかったからといって、問題が解決するわけではない。
「いついつに、会議を開く」と決めたからと言って会議が開けるわけではない。。
「病名」がわかったからと言って、病気が治るわけではない。
問題が明らかになってから対策を立て始めるので、会議が決まってから仕事は始まる。
会議を開けるようにするのが仕事だと教えられてきた。
診断が下ったら、処方箋を書き、治療を開始する。
最初の時点でわかっているのは、「何が問題なのか。」「会議を開く。」「病気だ」という事。
後は何もわかっていない。
大切なのは「それでどうする」だ。
だから、最初に、速やかに、「どうする」と、問いを発する。
問わずに、放置すれば、何も始まらない。
時だけが経っていく。
時間が経てば、選択肢の幅が狭まる。
やると決めたら、速やかにやる。行動に移す。
やると決めた直後に問われるのは、「何から始める。」「どうする。」であって、「答え、結論を出せ」と問うているわけではない。
決められるのは、「どこから着手するか」で、最終的結論でも、答えでもない。
だから、問うだけ野暮。
最終的結論、答えを求めても、よほど簡単な事でないかぎり答えは出せない。
答えがだせない事をいくら考えても無駄である。
その時、その場で出せる答えを考える。それが道理である。
何から始めるか。
まず最初にできる事は、問題点を紙に書きだす事か、誰かに相談するくらいな事。
でもそれが第一歩。
相談するにしても、相手は限られているし、相談する相手を間違えれば、答えを出すどころか、大変なことになる。解決できることもできなくなる。
話のわからない人に、最初に、相談すると後々まで祟る。
「最初に誰に相談するか。」それが当面の問題。
何が問題なのかを間違えるな。
最初の一歩踏み出さず、いきなりゴールしようとするから、いつまでたっても、スタートラインにも立てない。入口にもたどり着けない。
出せない答えを出そうとすれば、その時出さなければならない結論が出せなくなり、着手することもできない。着手もできないで、時間ばかり経過して、間際になって、慌てて結論を出す。
出した結論も、正解である確率はかなり低い。
仕事も雑になり、間に合わせ仕事、一人仕事になる。
それをやっつけ仕事と言って嫌われた。
そういう人間に限って、「誰も手伝ってくれない」とか、「時間がない」と言い訳、不満を言う。
時間がないわけでも、人が足りないわけでもない。
出だしを間違っているのだ。
「自分の事は、自分で解決しろ。
自分で解決しないと誰も助けてはくれないぞ。
助けられないよ」と。
この意味が大切。
何が自分の問題で、何を自分で解決しなければならないのか。
他の人と共同で仕事をしようと思ったら、席を譲る事を覚えないと。
一人で、仕事を抱え込み、何でもかんでも、一人でやろうとしたら、チームワークなんて最初からできない。少しでも、自分の席を譲ったら、自分の席がなくなると、席を譲ろうともせず、しがみついている人、時々見受けるけど、そういう人は、やがては自分の席も奪われ居場所がなくなる。
チームワークは、互いに席を譲り合うから成り立っていることを忘れないように。
ただ、組織は席取りゲームでもある事を忘れないように。
要するに自分の席はどこで、どの席を譲っていいのかそれが肝心だという事。
自分の席を確保するためには自分の役割を見定める事である。
その時、その場で決められることから決めていく。
できる事から始める。
わかっていることを確認し、わからない事でも、調べればわかる事から調べていく。
当人に聞かなければわからない事は当人に聞く。
聞かずに分かったつもりにならない。
曖昧な事は確認する。
憶測推測は極力排除する。
根拠を明らかにする。
根拠が明らかにできない事は、確認する。
予断はしない。
事後承諾も、原則しない。
計画は予測に基づいて立てる。
やらなければわからない事はやってから判断する。
一年先、一か月先、一週間先、明日の事だってわからない。
わからない事は、わからない事を前提にして計画をする。
当日、雨が降るか降らないかわからない。
だから、雨が降った時も考慮に入れて計画を立てる。
大地震が来るかどうかもわからないけど、それはコストパフォーマンスの問題。
会議を開くことが決まった直後にできる事は、会議を開く件で、いつ誰と打ち合わせるか、その予定を打ち合わせる事くらい。
そして、最初の打ち合わせまでに何ができるかを考える。
会議を開いていないのに、会議の結果を反省したり、会議の成否を問題にしても意味がない。
会議の結果に対してどうするかは、決められなくても。
会議の打ち合わせをいつ、どこでやるかは決められる。
そこだよ、今決められるのは。
今、決められることというのは、今決められること。
電話をかけて都合を聞くとか。
行って様子をみるとか。
ホームページで確認するとか。
言われたことを紙に書くとか。
とりあえず、できる事を白板に書き出すとか。
いま、できる事は、今できる事。
当人の都合も聞かずに、予定が立たないとわかっているのに予定を立ても、無駄。
それより、当人の都合を、どうやって、いつまでに、誰が聞くかを打ち合わせるほうが先。
そして、それが実務。実がある。実がない話は虚しい。
足元で決めることを決めれば、見通しが立つ。
足元で決めることを決めないと見通しが立たなくなる。
見通しが立てば、予定がつく。
予定がつけられれば計画が立てられる。
足元で決められるのは、今、できる事。
できる事だから、即行動に移せる。
行動に移せなければ、今、出来ない事。
話を詰め切っていない証拠。
その場合は、さらに、話を詰める。
行動に移せるところまで、話を詰める。
詰めは厳しく。
やると言ったらやる。
できるように話を詰める。
詰め切らないと、できなくなる。
放置すると話が白紙に戻る。
やる気がないと叱られた。
行動に至らなければ、堂々巡りになる。
「ボールを投げろ」と言っているのに、ボールを投げないのが問題なので。
ボールを投げないと試合は始まらない。
足元でやる事が決まれば、起点が定まるから、見通しが立つ。
足元でやることが決まらないと起点が定まらないから、仕事が逃げていく。
時が経てば、人の心も環境も変わってしまうから、仕事も、組織も、土台から崩れていく。
だから、足元か決めていき楔を打ちこむ。
足元でやる事は、原点となるから、いい加減な設定をすると後々まで祟る。
また、将来への布石ともなるのである。
何事も、最初が肝心なのである。
決めるというのは事前だからで、事後に決めても意味がない。
物事には順序がある。
会議が終わってから、会議の準備をしても意味がない。
会議の準備をしなければ、会議は開けない。
会議が終わってから、会議の計画を立てても役に立たない。
会議が終わってから、会議を開くと決めても意味がない。
売り上げ目標を決めなければ予算は立たない。
予算は、予実績管理をするから役に立つ。
目標を達成できないからと予算を変えたら、予算を立てた意味がなくなる。
予算は予算。予算は尺度で、背が低いからと言って物差しの尺度を変えても、背丈が伸びるわけではない。実体は何も変わらない。それは詭弁に過ぎない。
予算を達成できなければ、予算をなぜ達成できないのか、その原因を調べて、どうすれば予算を達成できるか対策を立てるから意味がある。
変えていい事と変えてはならない事がある。
組織的にやると決めたら、組織的にやるさ。
基本を教育すると決めたら、どうやって、誰に基本を教育させるかだよね。
決めるのも難しいけど、本当に難しいの決めた後だよね。
言うは易し、行うは難しだよね。
死んでから、生きる目的を決めても意味はない。
生きてるうちに、自分の生きる目標を決めないとね。
できない事を、できないままに放置するより。
目標を定めたら、できる事から一歩いっぽやっていく事さ。
今できる事をね。