自分が違和感を覚えるのは、スピード感の差である。
重要なのは、ChatGPTを筆頭にコパイロットといった対話型AI革命的がものすごいスピードで進んでいる。
その変化は月単位で、これまでのスピードとは異次元である。
今年は、その分岐点にあり。
気がついた人たち大騒ぎをしている。とにかく、去年の暮れ、革命的な事が対話型AIが起きた。
それはChatGPTsでありコパイロットスタジオ、そして、コパイロット内臓のPCの発売である。

この革命性と言うのはそれまで情報の流出が心配だったのが、その恐れがなくなったという事で。
それは自社の情報を自由自在に扱ってAIを駆使できることを意味する。
この事に気がつかないから、AIを無用に恐れるので。

もともと対話型AIは誤解されていて。
神のごとく恐れたかと思えば、逆に、間違いがあると侮る。

もともと、対話型AI既存の情報の上に成り立っており、生成文法なのだから、間違うのが当たり前であり。
数学が苦手なのも。ただ、彼らはパイソンが使えるのでその方が凄い。
これで、パイソンを学習することなく使いこなせるようになる。

問題はその事に気がついっている供してる人々と、何が起こっているかわからずに冷め切っている人間との温度差で。
胸糞が悪くなるほどの違和感を感じる。

スピード感の差は二十代と三十代の間ですらある。
それほど画期的なのだ。

それでありながら、一方でDXDXと。
デジタル革命がどうのこうの。
シンギュラリティがどうの、それで失職する者が出ると。
的外れな脅威論が。
あたかも都市伝説のように。

コパイロットを味方にすれば鬼に金棒だというのに。
一方で恐れ、一方で侮蔑する。

意外と理解していないのがシステムの専門家。
無理もない、一番最初に潰されると。
確かに、無駄な抵抗をすれば、潰されるけど、味方にすればこんなに心強い事はない。

対話型AIは対話型と言うのが、味噌なのだ。
つまり、相手に合わせてくれる。逆に言えば相手次第。
だから、恐れる事はないし、土台、ベースにしているのは巷に流れている情報。
恐れるとしたら、AIを危険ことに利用しようとしている人間であって。

AIに対する恐れは、人間に対する恐れの裏返しに過ぎない。
かといってAIに全知全能を期待するのも愚かだ。
ただ、人間より早く成長をしているというだけで。

あくまでも使い手の問題で、AIに人間と同じような価値判断を求めるからおかしいのである。

対話型AIの凄さは、自然に近い形で人と話すように対話ができることにある。

じゃあ、AIに人が支配されるかというと、決めるのは、結局人なのだ。
そこを勘違いしている。
AIだって間違いは犯すし、そもそも判断基準が定まっているわけではない。
AIは、単純に、与えられた情報から最適解を求めているので。
当たり前に、与えられた情報の制約を受ける。
だからと言って、何だ、AIも絶対じゃないじゃないと侮るからおかしいので。
AIの本質は確立統計でしかない。だから代数みたいなのは苦手だ。
苦手だと言っても、パイソンを使えるから、問題にはならない。
AIに神のごとき万能を求めるから愚かなので。
AIに全知全能を求める人間が愚かなのだ。

ただ、圧倒的な量の情報を瞬時に処理するのが凄い事。
人間だって、過去の経験や知識から答えを導き出していることは変わりない。
だから、極めて豊富な知識を持つ友人や相談相手、部下だと思えばこれほど頼れる人はいない。

だいたい、この政策はコパイロットがつくたとしても、じゃ、部下に命令する時は、コパイロットの命令だとは言えまい。なぜなら、コパイロットは責任はとれないからだ。
最期に決めるのも責任をとるのも人間。
何が恐ろしかって、それを理解していない者が、AIを乱用する事だ。

AIはとてもいい相談相手、友人の様なものだと思えばこんな心強い友はいまい。
第一、裏切りはしないし、厭な事でも何でも相談できるし、口も堅い。
それがAIの本質である。

AIの凄さは、自然に人と会話するようにして高度の分析が可能になるという事で。
情報が外部に漏れないという事になれば自社の過去のデータをデータベースにしてAiに覚えさせておけば。
例えば、「来月の売り上げ予測してくれる」とか。
「決算見通し立てて」とか。
「彼かれの実績どうなってんの」とか。

ふつうに聞けるようになるという事で。

しかもパイソンなどを専門知識なしに使いこなせるようになるわけだから。
ものを決めるのに大変な力になってくれる。

そういったAIが日常生活の中に入ってくる。
そして普通に我々の判断を手助けしてくれる。

だからこそ、今、確実に世界が変わりつつある事は確かだ。