今、お前は、五十になったんだろ。
後十年で定年だ。
俺も、後二年で、七十になる。
生前。親父は、しみじみ、俺に言ったことがある。
お前な、人間の幸不幸は晩年で決まるんだよ。
若い頃はな、自分の力で何でもできるし。
多少の失敗は、やり直せると思ってきた。
でもな、この歳をして分かった事は、人生は、やりなしがきかないんだよ。
情けない事に、この歳になって気が付いたんだ。
だから、この一瞬一瞬を全身全霊で生き抜くしかないんだよ。
忘れるなよ。
人間の幸不幸は晩年で決まるんだよ。
時は、残酷なものだよ、いろいろなもの奪い去っていく。
若さは取り戻せない。
体力も、記憶力も、新しいものを受け入れる力も失われていく。
しかし、時は、大切なものも残してくれる。
それは、経験であり、知恵であり、知識であり、人と人の関係である。
それを、単なる、思い出に留め、記憶の奥底にしまい込んだら、何の価値もない。
宝の持ち腐れになる。
頭を切り替えって。前を見たら、過去の経験、知識は知恵となって甦る。
過去は、未来に生きるためにこそ生かすべきなのだ。
今、活き活きと生きようと前を見たら、過去の、失敗も、過ちも、活き活きと蘇ってくる。
その時、俺の人生もまんざらではなっかたと思えるようになるさ。
悔い改める事ができず。
ただ過去の栄光や過ちに囚われたら、未来は閉ざされるだけさ。
自分を許し、今の自分、現実を直視しようよ。
もう若くはないさ。
それがどうした。
俺達には、俺たちの人生があるさ。
さあまた、新たな旅に出発しようぜ。
お前は、五十になった。
今、お前は、人生の岐路に立たされている。
これからの十年が、お前の人生にとって大切な時間となる。
老後を実り豊かなものとするか、否かのね。
だから、心して生きろよ。
仕事もな。
お前の人生とともにあるのさ。
お前が、子育てを終え。
娘は、一人、自分の手元から離れていくのと同じように。
仕事も、少しずつ自分から手離れていく。
それは仕方のない事さ。
親が子離れできず、いつまでも、自分の手元に置いたら、子供の将来は台無しになる。
仕事も若い者に委ねられていく。
気が付いたら、一人取り残されているような。
でもいつまでも、自分が抱え込んでいるわけにはいくまい。
子供が、親離れできず、独り立ちもできず、引き籠りしたら。
親は安楽な余生が遅れなくなる。
親も子も共倒れになる。
これは、仕事も同じさ。
いつまでも、地位や、名誉に固執して、本来自分が求めていたもの、役割、なすべきことしなければ。
自分の人生も、会社も終わってしまう。
子供は、独り立ちして、自分の人生を歩みだす。
親は、それを、暖かく、時には厳しく見守り、あるいは突き放す。
未熟だ、経験不足だから何なの。
未熟さや、経験不足は子ども扱いする理由にはならない。
いつまでも子ども扱いするのは、親のエゴだ。
平均年齢が七十を過ぎた内閣なんて、特に、この国難にあたって信じられない。
同じ失敗でも、年寄りがするのと、若者がするのとでは、根本が違う。
時がたてば、若者も歳をとる。
これからの事は、たとえ未熟でも若者に任せればいい。
年寄りに必要なのは、責任をとる覚悟だけだ。
気力が萎えたと言って途中で投げ出すのは、なお、愚劣だ。
逃げるな。
ここで踏みとどまるしかない。
老いも、若きも、逃げるな。
仕事を、この十年で、一旦けじめをつけ、総括し、総決算する。
そうすれば、過去の経験が蘇り、自分のいく先を導てくれる。
今は、過去と未来の通過点に過ぎない。
若者には、若者の、生き方があるかもしれないが、年寄りには、年寄りの生き方があるさ。
若い時にできたことが、できなくなったからといって、それが何なんだ。
若い時にできなかったこと、わからなかったことが、できるようにも、わかるようにもなった事も、たくさんある。
力が衰え、できない事が増えたからこそ、可能性が開ける事もある。
七十近いからといて老け込むことはない。
もう好きな事さ。していいんだよと言われる年になってさ。
はたと気が付いた。
あれほど、若い頃、あれもしたいこれもしたいと思っていたのに。
好きな事していいと言われる年になったら。
何をしたいのかわからなくなっている。
情けないよね。
いつだって、人生は、門前に立たされているようなものさ。
お恥ずかしながら、嗚呼、やっと入り口にたどり着けたと思う事が多すぎる。
新たな扉を開こうとしているのを邪魔しないでくれ。
同情なんてまっぴら御免。
五十代というのはさ。
いわば人生の秋さ。
やがて訪れる冬に備えて、人生の果実を蓄える。
収穫の時。
実りの秋。
たわわに実り、熟した果実を、刈り取らなければ、やがて腐り、枯れていく。
しっかりと実りを蓄えて、冬に備えるさ。
そうすれば、冬は冬で楽しめる。
人生の四季を愛で、その時その時を楽しむさ。
晩節を汚すな。
己の人生、晩節を全うせよ。
晩年にこそ、己の志すところが問われるのだ。
親父はしみじみね。俺の目を見て呟いた。
人の幸不幸は晩年の生き方で決まると。
親父は、人生に悔いなしと口ずさみ。
俺は、葬式で三々七拍子、手打ちをして送りだした。
嗚呼、親父よ。
あの世には、あの世の時があるのか。
あの世で、幸せでいてくれるか。
今も、俺は、俺の時を生きていくよ。
そう、親父に呟いた。
易に、変易、不易、簡易の三義あり。
この世は移ろいやすく、万物は流転する。
それを、変易という。
物事、全て移ろうと言っても、よくよく、見れば変わらない事もある。
それが、不易である。
変易、不易を、見極められれば、簡単な関係、道理が見えてくる。
それが、簡易である。