人事は、非情。非情だからこそ、人として情けがかけられるのです。
非情に徹しきれなければ、愛情を持った指導はできません。
それに気がつかなければ、人事は務まりません。
人事は、人を見る事ですから。
人には、いいところもあれば、悪いところもある。
いいところを伸ばして、悪いところを改める。
ただそれだけですよ。
頑固なのが一番いけない。
頑なに、自分の過ちを認めない事は、同様に、自分の功績も素直に受け入れない事を意味しますからね。
頑固な人を見ていると、かえって哀れですね。
ただ、周囲の人はそれに引きずられすぎてはいけません。
明らかな過ちを情けに負けって、正せなければ。
規律、秩序が乱れて、災いは、全体に及びます。
厳正に処罰をした上で、情において忍びないなら、一人の私人として情けをかける。
情実で人を評価すれば、評価されたものが道を誤る。
周囲の者の納得を得られず。当人も、自分も信望を失う。
非情に徹するからこそ私の立場で温情がかけられる。
最初から情けに囚われれば、誰からの受け入れられない。
人を正しく見抜かなければ。
最大の味方を最大の敵にするし。
最強の敵を最強の味方にもする。
上に立つ者は、自分ができることをやらせるのではなく。
自分にできない事をやらせるのだからね。
経営者は、自分より優秀な部下どがれだけ多くいるかが、誇りだと思うのですね。
誰だって自分よりいいところがどこかはある。
部下は、自分よりできるのだから、彼が言っている事、全てが理解できるわけではない。
だから、それは部下を信じるしかない。
わからないのだから、信じられるかと聞かれたら。
わかるものかとしか答えられない。
ただ、信じられるか、られないかではなく。
信じるのだ。
自分より優秀なところ認め。相手の劣っているところを補う。
歳をとれば、若者にかなわない事が増える。
だからどうしたというのだ。
それを認めないと、一歩も前に進めなくなる。
任せてもいいけど、最後に決めるのはお前だよ。
任せなければだめだけど、任せっぱなしも駄目だよ。
寝れない夜か。
昔は、徹夜徹夜しても頑張れたけど。
お前だって、できませんとは言えないで。
だけど、蓋開けてみないとわからない事ばっかり。
電算屋は、泊り泊りで。
昔、知り合いの電算屋がたまに家に帰って、会社に戻ろうとしたら、子供に、もう帰るの言われたと嘆いていた。
電算室は、ホテルと言われたりね。
皆、無我夢中でさ。意地の張り合い。でもよくやってきたよな。
それが今では、休日ばかり。お前なんて言ったり、呼びつけしたら、パワーハラだものな。
自分の知らないところで勝手な事されてもね。
謝るのは、こっちだからね。
でもさ、お前としか話ができないとか、わからないという状態を何としても脱しないと。
もう、俺も、お前も若くないんだよ。
だからと言って自分たちの役割が終わったわけでも、なくなったわけでもない。
むしろ、重くなったと思わないか。
俺達が、今、責任をもって物事を片付けていかないと。
俺達が営々として築き上げてきたものが、水泡に帰すんだよ。
それが、俺達の責任じゃないか。
厳しく指導する事で辞められたことはあまりないが。
甘い指導をして辞められたことはたくさんある。
辞めさせたければ、優しくするんだな。
情に敗けて手心を加えれば、情けは仇になる。
非情に徹しきれないのは自分が可愛いからだ。
泣いて馬謖を斬るという故事もある。
人事は非情。