戦いなのだ。
それが日本人にはわかっていない。
話し合いだけ問題、特に、国家間の問題が片付くなんて思っているお人好しは、日本人だけである。
人は戦わざるをえない時がある。
暴力いけない。
それはわかっている。
暴力が悪いと言ったところで通用しない人間がいる。
これが現実であり、事実だ。
現実を直視しなければ、道理は成り立たない。
暴力はいけないと言っても、力づくで従えようとする者が出たら、戦わなければ,隷属するしかない。
屈してしまえば、義は、勝者の側にある。
だから、戦わざるをえない時がある。
義は勝者の側にある。
敗者は、勝者の憐憫に縋るしかない。
現実は勧善懲悪とは言えない。
正義が勝つのではなく。正義は勝者の側にある。
悪を許せば、悪が栄える世になるだけ。
正しき者は強くなければならない。
勝たねばならない。
戦う事を怖れたら、悪をのさばらすだけ。
勝てば官軍負ければ賊軍。
話せばわかると言いたところで、最初から話なんて聞く気のない人間もいる。
しかし、話してもわからない人間がいて、力づくで言う事を聞かせようとする人間がいるのである。
話せばわかるというのは、日本人の勝手な思い込みで、世界では、話してもわからないというのが常識。
ウクライナとロシア、ハマスとイスラエル。
彼等は戦ているのである。
アメリカ人がアメリカの為に、ロシア人がロシアの為に、カナダ人がカナダの為に、ウクライナ人がウクライナのために、パレスチナ人がパレスチナの為に、イラン人がイランの為に、ユダヤ人がユダヤ人のために働くのは自然な情なんですよ。
陰謀でもなんでもない、ただ、ユダヤ人は、長い間、国をもっていなかった。
だから、国境に囚われない。
日本人はそれがわからない。
いわば、国籍なき民族ですね。
むろん、一国といっても一枚岩ではない、右もいれば左もいる。
ただ、国を守るという一念で一致している。
日本人には国を守るという一念が持てないようにされただけ。
陰謀も、へったくりもなく、戦前の欧米人にとって白人以外は、白人以外、人間と思っていない。
それは現在も変わりない。ただ姿を狡猾に変えただけで…。
シオニズムも、思想なので。思想というのはそういう事である。
民主主義だの、自由主義だの思想や哲学があって、それに、基づいて国家が作られているかというとそうではない。
実際は、現実が先行していて、それに後付するように思想が作られている。
思想とは普遍的でもない。
自分が何を信じているかの問題。
一方的に、心情的に、イスラエルが悪いとか、パレスチナ人はかわいそうという事では、片付かない。
同様に、ロシアやウクライナも。
況や、無自覚にいくら日本人が叫んでも。
主張するなら覚悟がいる。
学校なんて当たり障りのないことしか教えない。
教えないというより教えられないのだ。
昔は、オオカミや虎とだって人は命がけで戦っていた。
食うか食えわれるかそれが常態である。
人間は武器を持った。
武器を持ったから、虎や狼にも勝てるようになった。
弱肉強食の自然の掟は、今も変わらない。
裸の人間は今でも弱者。
どちらが正しいか、力付くで決着しようというのが戦いなのだ。
だから、敗者に義はない。
だから、勝たなければならない。
正しきは証明されない。
戦いなのだ。
どちらの側に立つか。
それが大切なので。
どちらの側にも立たなければ、どちらの側も敵に回す覚悟がなければならない。
著名な女性の脳科学者が、当事者意識を持たない方いいなんて言っていたが、それは、自分がない。
それが事なかれ主義、日和見主義だというので。
やくざに言いがかりをつけられているのを見てみぬふりをするような事。
最愛の人が暴漢に襲われているのを、見て見ぬふりをして逃げだすのは、ただたんなる臆病者に過ぎない。
人間には、生まれた時に与えられる属性がある。
その人が見ている世界が、その人の世界であって。
何万人という観客を前にコンサートといえど、その一人ひとりと知り合えるわけではなく。
所詮は、一人ひとりの世界には限界がある。
人は、万能の神にはなれない。
トランプには、トランプの世界があり。
プーチンには、プーチンの世界があり。
大谷翔平には、大谷翔平の世界があり。
水原一平には、水原一平の世界があり。
あなたには、あなたの世界があり。
私には私の世界がある。
サラリーマンには、サラリーマンの世界があり。
兵隊には、兵隊の世界があり。
避難民には、避難民のの世界がある。
そして、あなたには、あなたの人生があるように、人それぞれ人生があるので。
私にも私の人生がある。
神は不公平だと罵っても、自分は自分の人生を生きるしかなく。
人々のために献身的に生きる事と、自分の人生のために多くの人を犠牲にする事に、どれほどの違いがるのか。
ただ、自分の心の安寧と自分の世界を大切に生きるしかないと。
絶世美人に生まれようが、
醜女に生まれようが、
障害を持って生まれようが、
スポーツ万能に生まれようが、
金持ちの家に生まれようが、
貧しい家の生まれようと、
奴隷の家に生まれようと、
黒人に生まれようが、
日本人に生まれようが、
白人に生まれようが、
キリスト教徒の家に生まれようが、
イスラム教徒の家に生まれようが
無神論者の親のもとに生まれようとも、
無慈悲な親のもとに生まれようと。
それが自分に与えられた世界である。
他人を羨ましがろうが、妬もうが、蔑もうが、他人の世界は、他人の世界。
自分は、自分の世界を生きるしかない。
仕事をバリバリできる人。
何をやっても駄目な人。
総てに恵まれている人もいれば、総てに恵まれていない人もいる。
皆それぞれ、自分の世界がある。
世界を股にかけ飛び回る人、向こう三軒両隣の世界に住む人。
頭がいいとか、悪いとか言われても。
ただ、誠実ととか、努力家というのは、自分の力で。
何が先天的なのか、後天的なのか。
自分の力ではどうしようもない事と自分の力で勝ち取る事、それを見極めるしか生きるすべはない。
確かに、事故とか、災難とか、先天的な事でなくても、自分の力ではどうしようもない事はあるけれど。
自分ができない事にかかずていたら、自分らしい生き方なんてできやしない。
自分に何ができるのかを考えよう。
後天的と言っても、自分には防ぎようのない事件や虐待、病、環境もある。
それが定めだとしても、自分の人生を投げ出す理由にはならない。
自分は、自分として生きていかなければならないから。
親は選べない。
親が選べなければ、国も選べない。
兄弟、姉妹も、子供も選べない。
でも愛する人、伴侶は選べる。
自分に与えられたものに、恨み辛みを言ったところでしかたがない。
与えられた世界で生きていくしかない。
与えられた世界に文句を言っているだけで、自分の努力を怠れば、浮かばれない。
自分にはどうしようもない事はなにか。
自分の立ち位置を見定め。
その上で、自分に何ができて、何ができないのか。
見極める事である。
プーチンには、プーチンの世界があり。
トランプには、トランプに世界があり。
大谷には、大谷の世界があり。
あなたには、あなたの世界があり。
私には、私の世界があり。
自分の世界と他の世界が繋がって、一つの全体の世界を構成している以上。
自分と世界が関りがないとは言えない。
自分の世界と他の世界との関係を断ってば、自分の世界は孤立し、貧しくなり、やがて、消滅する。
自分の世界は、全世界の上に成り立っているのだから。
我々は、幸か不幸か、日本人として生まれた。
それがよかったか、悪かったか議論しても始まらない。
ただ、日本人として生まれたという事実を受け入れ、日本人と生きていくしかない。
たとえ、国籍を変えても、出自は、死ぬまでついて回る。
日本人として生まれた事実に目を瞑り。
人類は、皆、平等と言っても、国際社会では通用しない。
国際関係はその国の国力によって定まる。
国力が、その国の生産財の取り分を決めているのである。
戦前の日本人はそれを知っていたから戦わざるをえなかった。
今日の日本の繁栄は、彼らの犠牲の上に成り立っているのは間違いない。
今の日本人は、自分たちの父祖が築き上げた財産を食いつぶしている。
周辺国は、二度と日本が自分達に歯向かえないように画策している。
他国は、決して、日本を善意で温かく見守ていてくれているわけではない。
冷厳な計算、自国の国益の上に、見ていることを忘れてはならない。
話せばわかるなんて、本当に、それが、真実だというなら。
なぜ、朝鮮やベトナムで戦争が起こり、カンボジアで虐殺が、アメリカは、アフガニスタン、イラクで戦争し、ロシアがウクライナに侵攻し、パレスチナで、イスラエルとハマスが戦っているのか。
滑稽なほど、日本人は、世間知らずだ。
所詮、白人にとって、アジア人は、イエローモンキー、異教徒なのである。
それは、今も、変わらない。
戦後の日本人は、護られる事ばかりを求めている。
護る事を知らない。
自国民が自分の力で守ろうとしない国を助けてくれる国はない。
怠惰な人間の為に自分の国の若者を血を流す国はない。
あるとすれば、その国を自分のものにしたいからだ。
誰も守ろうとしない国は、護り切れない。
今の日本の自由は家畜の自由にすぎない。
日本は太った豚だ。
そして、日本の周りをやせた餓狼が徘徊しているというのに。
日本人として生まれた事を幸せにも誇りにもしたいというのなら。
自分の意志で自分の国を護る覚悟なければ。