認知症の人が見る世界。
盲目の人の世界。
耳の聞こえない人の世界。
色盲の世界。
海の底の深海魚の世界。
大空を舞う鷲の世界。
生きる者には、それぞれ世界があって、その世界から抜け出すことはできない。
プーチンには、プーチンの世界があって。
ゼレンスキーにはゼレンスキーの世界があって。
習近平には、習近平の世界があって。
トランプには、トランプの世界がある。
みんな有限な世界で生きていて。
囚人には囚人の世界が。
独居老人の世界。
大草原に一人生きる者の世界。
砂漠で暮らす人の世界。
介護施設で暮らす人には、介護施設に暮らす人の世界が。
そして、みんな神と対峙している。
プーチンだって、トランプだって、一人暮らしの老人でさえ。
神と自分との関係は、一対一。

所詮、人は、井の中の蛙

世の中にはいろんな病気の人がいて。
いろんな性格の人がいて。
善良な人ばかりではなく。
病気も重篤になれば余命を宣言されたりもする。
それは、生物学的、物質的世界の事。
しかし、精神的世界はそれで割り切れやしない。
自分が生まれる時も、場所も、親も、人種も選べない。
性別だって選べない。
天賦の才能に恵まれるか、美人に生まれるか、醜く生まれるかも選べない。
金持ちの家に生まれるか、貧しい家に生まれるかも自分では選べない。
南国で生まれるか、北国に生まれるかも選べない。
人それぞれ、何らかの定めがあるように思えるが。
その定めの由来は神のみぞ知る。
ただ、人はそれぞれ自分の世界の中で生きていて。
自分の世界から逃れる術はない。

自分の世界では、いつだって、自分が中心で。
与えられた世界の中で、与えられた資源を活用して人は生かされているのであって、自ずと限りはある。
自分に与えられたものを活かしていくいがにないので。
そりゃ誰だって、神さまに文句の一言も言いたくなることは、あるだろうけど。

年をとって、最近、人それぞれに自分の世界があるんだなと気づかされ。
そして、結局、誰も自分の世界から抜け出せないと思い知らされる。
結局、仏の掌の中をぐるぐる回っているだけで。
プーチンだって、トランプだって、大谷にしたって、生活範囲なんて知れたもの。
活動半径は広いかもしれないが、一日二十四時間、一日に会って話のできる人間なんて限られている。何万人という女性を相手にできるわけではないし。
年をとり、衰えると、結局、できる事なん”食って”、”寝て”、”糞をする事”に収斂していく。
欲も枯れ果てて(笑)
人類が滅亡とか、世界戦争なんていっても。
自分の世界の延長に過ぎない。

ただ、洪水が自分の世界に迫ってくるそんなやるせなさ。
何をすることもできずに。

壮絶な苦しみだって、底なしの悲しみだって。
時は、無情に流してしまう。
みんなから馬鹿にされようと、蔑まれようと、そんな事で、自分の本性は変わりはしない。
それより、そんなことに怯えて、自分の本性を見失う事の方が、どれほど愚かな事か。
俺は、所詮、俺にしかなれない。

憧れは、憧れさ。

他の人と比較したところで何になる。

大谷になりたくたってなれないし。
神にもなれない。
ナポレオンにもなれない。
アインシュタインにもなれない。

代わってほしいと思っても、誰にも代わる事はできない。
それが自分という者さ。
だったら、自分の事、もっと、愛そうよ。信じようよ。

お前は、お前。それでいいじゃない。
お前の目は、笑ていないよな。作り笑いはしても。
もうあんまり、周囲の目を気にする事ないよ。
だって関係ないもの、お前の人生にはね。
お前はお前さ。それだけさ。

どんなに酷いことをされても、自分の生きざまを変える言い訳にはならないし。
どんなに辛い事があっても、自分の信念を変える口実にはならないさ。

自分を変える必要があるとしたら、それは、自分が志を得て自分の限界に挑もうとしているときだけ。

今、信じるべき事を信じ。
今、愛すべき人を愛する。
それしかないよ。
何が、今、一番大切で。
今、何を守らなければならないのか。
それを忘れない事さ。

俺はさ、よく、「僕の事、信じられます」って聞かれるさ。

「信じられるかどうか」って聞かれたらな。
俺は、「信じられるもんか」って答えるさ。
大体、お前、俺が信じられるよな行動をとったもいないくせに。
信じられるか、どうかが問題なんじゃあない。
「信じるんだ」と。

あえて、俺は、お前に言うよ。
「信じるんだ。」と。
誰も信じることができなくなったら。お前は死んだも同然。
信じる、信じないは、自分の意志の問題。相手なんか関係ないよ。
騙されても、裏切られても、背かれても信じるしかない。
信じることができなければ、リーダーなんてやってられない。
愛することも同じ。

確かな事は。
信じなければ何も始まらない。
愛さなければ、何も始まらない。

無理して忘れることないよ。
許せない事は許せないさ。
でも、その一切合切を飲み込むことだな。

これから。これからなんだよ。
まだ若いんだよ。
前を、未来を見ないと。
信じられなくなったら。
愛せなくなったら。
これからの人生。糞だぜ。
これからの事考えろよ。
未来を信じろよ。

海はさ。海は変わらないんだよ。
人の世の薄汚い出来事なんかで、海は変わらないんだよ。
時々、荒れ狂って、人の幸せや夢をぶち壊すことがあっても、人間のつまらない欲や都合なんかで海は変わらないんだよ。
その海を嫌いになったら、それは自分に負けた証拠。

信じられるか。
信じるんだよ。

信じられる、信じられないは相手の事。
信じる信じないは俺の問題。

だから、信じるさ。
愛するさ。
裏切られても、背かれたも、騙されても、信じるさ。
愛するさ。

それができなければ、俺は俺の人生を生きられない。
津波や嵐で、叩き潰されても、海は、やっぱり、恵の海だ。

狂えよ。

自分のためにさ信じるんだよ。
自分の為にさ、愛するんだよ。
信じられない事を信じ、愛せない者を愛する。
そこはさ、自分の強い意志なんだよ。

人が信じられなくなるのはさ、自分に負けたからさ。相手に負けたんじゃない。
信じられなないなんて言い訳さ。

俺なんてさ、年中、裏切られ騙され、馬鹿にされてるよ。
百人いればさ。
でもそれでお前の事信じられなくなったら、それは俺が自分に負けたからだろ。
信じるさ、お前を。
騙されてやるよ。
いいじゃあないの、すべてを失ってもね。それもまた、俺の人生。
未練はないよ(笑)悔やむものか。

海のようなものさ。

信じられるか、お前なんて。
ただ、信じるんだ。

所詮、人生は、一夜の夢よ。
友の死も、失恋も。
裏切られても、欺かれても、傷ついても、自分の世界での出来事。
だったら、自分の世界を明るく、豊かにしようよ。

男一匹。ちっぽけなと言われても、俺の世界は俺の世界。
アインシュタインであろうが、大谷だろうが、引けはとらない。
これだけは胸を張って叫ぼう。
俺の世界では、いつだって、俺が主役だ。
恥じてたまるか。
ただ一途に生きよう。

欺かれても、裏切られても、騙されても、背かれても、嘘つかれたって、信じるしかないなら、信じるしかないよ。
愛さなければならないのなら、愛そうよ。何も考えず。迷わないで。

幸か、不幸か。
それは自分で決める事だ。
ならば、幸福になろうよ。
今から、不幸の種をしょい込むことないさ。

生まれた時と死ぬ時の間を懸命に生きている。
生まれた時も、死ぬ時もわからずにですよ。
習近平だって、トランプだって。
金正恩だって。
自分に与えられた役割を懸命に演じているにすぎない。

人生は、一本道さ。
自分の選んだ道しか開けない。
それが地獄へと続くか、天国へと続くか、そいつは自分次第だな。
ただ、いずれにしても、自分を欺いたら駄目さ。

プーチンだって、習近平だって、一人の人間にすぎない。

一人になれば食べる物だって、寝る場所だって限られていて。
何千年も生きられるわけでもなし。
できる事にも限りがある。
不老不死なんてかなうわけでもなく。
いつまでも若いわけにはいかない。

だとした、いかに自分の世界を全うするかしか残されていないじゃないですか。
所詮、どんなに愛し合っても、相手の世界には立ち入れない。
自分の眼前に広がるのは自分の世界で。
自分に見える世界でしかなく。

だから、あきらめてはいけないと思うのです。
最後の最後まで、自分は自分で…。
それで、自分の世界を大切にすべきだと。
認知症の人が見ている世界は、傍から見るとおかしく見えるけど。
その人にとってそれが現実の世界なんだと。
そう、思えてきたんですね。
だって自分の人生を自分で完結できるなんて人います。
所詮、人間は、やっぱり、自分を超えた何者かに生かされているんですよ。

善もなく、悪もなく。
是もなく、非もなく。
正もなく、否もなく。
美しくも、醜くもない。
ただ、生まれる前の無垢なる魂に立ち還り。
ただ、一人神の前に立たされる。

総ての世界がきえさり。
ただ純粋に神と自分との世界。

豪華な老人ホームに入ろうと安アパートで孤独死をしようが。

その時が来るのを恐れるような生き方したくない。
嘘をついたり、言い訳をするような生き方はごめんだと。

誰もが。
この世の、地位も、名誉も、富も、名前さえ一切合切捨て去り。
奪い取られ、裸になって。
ただ、純粋に無垢な魂となって。

その時、自分とは何者だったかわかる気がするのです。