予算を作成するにあたって、注意する事。
予算とは何か。
予算を作成する目的を明らかにする。
予算を作成する目的は、予算の使用者ユーザーの、使用目的に基づく。
目的は、予算を何に活用するか、使用するかから導き出す事で。
間違っても、予算とは何ぞやと言った概念的定義、辞書的定義に囚われてはならない。
予算をなに活用するか。
予算の使用目的はなにか。
それを明確にし、UIを設計する。
予算の活用には、予実績管理のベース、資金計画の作成、売上目標の設定(全体、支店、個人)、経費の節減・管理、投資計画の基礎資料の作成、在庫管理。商品企画・価格戦略(仕入計画)、キャンペーン・展示会等販売企画の予算。人件費(勤怠管理)の管理。採用計画の基礎。教育計画、福利厚生等々
これらの目的を達成するために、それぞれのユーザーから、要望、注文を聞いて、UIを先ず、設計、イメージするところから着手する。
各々部門は、それぞれ、使用目的が違う。
現実に管理する責任部署に、個別の予算は原則立てさせ、最終段階でマネージャー間で調整するようにする。その為に、各部門長は、事前に予算を作成するための方針、考え方、重点施策を明らかにする必要がある。
各部門には、各部門、独自の目的がある。
予算を作成する為には、その基礎となる計画や予測がなければならない。
売上予算を立てるためには、販売計画を下敷きとする必要がある。
ただ、厳密にやると時間も労力もかかるので、要点を絞って重点的にやる事が肝要。
だから、重点施策を明らかにし、優先順位を決めて、選択的に、要領よくする必要がある。
例えば、そもそも、販売計画を誰が中心になって立てるのか。
粗利益だけサポートセンターが設定し、商品企画から、販売計画まで現場に立てさせるのか。
センターが基本計画を作り、その基本計画に従って、現場に、実施計画を立てさせるのか、先ず、その方針を明確にしないと以後の段取りは組めない。
少なくとも、その方針だけでも、営業のセンターは明確にする必要がある。
じゃあどうするのか、個々の部門が何をやるのかを明らかにして、やる事毎に担当を置き、担当に試案を先行的に立てさせる調節させる事が肝だと思う。
例えば、キャンペーン、展示会をどうするのか、販売計画を誰に責任を持たせるのかなど。
その方針、試案を担当者を指名して立てさせ、それをたたき台にする。
だから、何を、誰に、どこまで任せるかがカギになる。
それが、方針であり、考え方であり、基準、権限なのである。
予算でも、計画でも、責任者は、自分一人で決めるのではなく、担当を決めて相談しながら、決めていく。
それがチームワークの鉄則で、一人で決めている限り、誰の理解も得られない。
理解できなければ、協力も、助ける事もできない。
独りよがりになる。
問題は、誰と、何を相談するか。また、担当に何をさせるか。それは、決まっていない。
それも、相談しながら、責任者が決めていく。
相談しながら決めていく。その点が味噌。
勘違いしてはならないのは、担当者は一人とは限らない。
必要に応じて、担当分けをしていけばいい。
ただ、とりあえず一人は決めないと、始まらない。
担当と言ったて何をするかわかっている?
担当の意味は相手によって違ってくるし、自分が求める事、状況や前提条件によっても違ってくる。
それが担当だし、担当の意味だ。
例えば、山岸と、勝呂と、富井と、石橋、池田や小栗は、みな個性が違うし、同じことを担当させても、例えば、営業企画のような事を担当させても、山岸、勝呂、富井、石橋、池田、小栗ではやらせること違う。
現状を調査せよと言っても、人それぞれ、受け取り方も、やってくることも違う。
プレゼを作れと言っても土台センスが違う。
誰に何をやらせるかは、自分が、相手に何を期待しているかによっても違ってくる。
また、自分のおかれている状況や仕事の段階でも違う。
重要なのは、相手を見る目とあと自分が何を求めているか。
どっちにしても自分なのである。
だから、誰に、どのような担当をさせようとしているかで、その人の程度は見抜かれた。
担当分けは組織の原点なのだ。
予算のベースは、予算ではない。個々の部門計画で、予算はそれを集大成したもの。
採用予算のベースには採用計画があり。
売上予算のベースには、販売計画があり。
投資予算のベースには投資計画があり。
仕入れ予算の背景には仕入れ計画があり。
人件費予算のベースには人員計画や勤怠計画がある。
費用予算のベースには経費管理がある。
予算は、レントゲンみたいなもの。
つまり、予算は影絵なのである。
予算があって計画があるのではなくて、計画があって予算は成り立っている。
この辺は、悩ましい、卵が先か、鶏が先かの議論に似て。
ただ、予算は予算だけでは成り立たない。
実務があって予算は成り立つ。
予算があって販売計画があるのではなくて、販売計画があって予算が立てられる。
少なくとも、考え方ぐらいハッキリさせないとね。予算は立てらない。
だから、重点方針、政策が、最初に求められるので。
時間がなければ、ある程度、手抜きをするしかないけど、じゃあどこを手抜きするのか。
要はベースの計画だよね。
販売計画の詳細まで立てられないかもしれない、でも、骨組みくらいはね。
なんか、本業の事、経験がないと計画が立てられないなんている奴いるみたいだけど、嘘八百だよ。
販売計画なんて、何回、キャンペーンをするか、展示会をどうするかといったことで、そういう枠組みだったら経験なんていらない。
問題は、実際の計画を誰が立てるかで、そういった体制さえ作ってしまえば、概算ですませる事もできる。
予算の精度だって、目標、経常利益で、56,781,565円なんて、1円単位まで刻む必要がある。
上三桁でいいよと。予算とはそいういものなんだ。
だから予算は予算。予算に魂を入れるのは人なのだから、いい加減な気持ちでやれば、いい加減な予算しか組めない。
実際にこれからこの会社をやっていこうという志のある人間が、真剣に取り組めば予算はそれだけの価値があるさ。
例えば、「今度のゴールデンウィークにみんなで旅行しようか」と提案したとして、最初に、予算のこと。
それとも、「何がしたい、どこへ行きたい」って、まず目的やみんなの希望を聞くんじゃない。
それから、段階的に、場所だの予算だのと詰めていくんじゃない。
いきなり、金があるからとか、時間があるからではないだろうし。先じゃないでしょう。
でも、「行きた行きたい」と言っているだけでいつまでも何にもしないで、結局、何にもできなくなること。最悪だね。
それから、「どこか行きたいね」と、いうだけでゴールを定めないのも。
少なくとも、ゴールデンウィークにどこか行こうよというのなら、実現可能だけどね。
いつかいつかと、日限きらない、積み上げ式の仕事なんて際限なく拡大する。ゴールを見定めないと。
それが、目標。
目標を定める意味。
だいぶ前にね、今の子は地図が書けないと。
それは、積み上げ式に書いていくから紙面をはみ出してしまうと。
目的地と出発点を定めてから、間の要点をつないでいくから地図が書けるのに、ゴールを定めないから結局地図が書けなけなる。
いくら、次の会議に何をするか、次の打ち合わせまでに何をやってくるか定めないで散会するから、仕事が繋がらなくなると注意してもね。
いつまでも言うこと聞かないね。
役に立つ予算を作ればいい。
悪戦苦闘して作ったけど、何の役にも立たない予算なんて、骨折り損のくたびれ儲け。
役に立つというのは使い道があるという事で、使い道のない予算なんて、床の間に飾って、あるいはしまい込み、誰も見ようともしなくなる。
何の役にも、たたない。
逆に、どんないいアイディアでも、予算がつかなければ虚しくなる。それが予算。
市場の環境や自分たちが置かれている状況を理解させたいと思うなら、すればいいじゃない。
ただ、社員に理解させたければ、自分が分析し、それを、講義すれば理解されると思う。
自分のものにできる。
それより、自分で調べさせればいいじゃない。
項目を絞って、学術的な事を狙っているわけではないんだからさ。
要点を絞って自分で調べ、自分で考えさせればいいじゃない。
それが”する事“だろ。
自分の頭を使わせないと、どこまで行っても他人事だろ。
だから、担当は、よくわかっているものより、何もわかっていない者にやらせた方が効果的だよ。
第一、自分の考えや要求を素直に聞いてくれるものを相手にした方が、なまじ知識があるものを相手にして仕事をするより、仕事ははかどるのだから。
いくら経験や知識があっても、何をやってもすがめで見て、批判的、否定的な人間ほどやりにくい者はない。自分を馬鹿にし、言う事を聞かない人間をベテランだからと、担当にする人間の気持ちがわからない。仕事は、多少稚拙でも、自分の考えた事を忠実に、また、話を素直に聞いてくれる人のほうがなんぼかやりやすい。話の分からない人より話の分かる人をね。
じゃあないと時間の無駄さ。
調べてもいないのに、調べた結果を聞くのは野暮よ。
調べる必要があるなら、今決めるのは、
誰に、いつまでに、どうやって調べさせるか。
それが問題なんでしょ。
調べる前から、結果がどうのこうのと言い出したら調べる事さえできない。
調べる必要があるのなら、調べなさいよ。
結果は、調べた後に検討しましょう。
やる前からできないと結論を出しているような事。
やって駄目ならあきらめがつくけど。
やりもしなけれ、あきらめもつかない。
やると決めたら、やり抜くさ。
なぜ、売上予算を立てるのか。
最終的には、売上を管理することが目的なので。
それで、売上げの最前線である営業員や現場責任者につくらせるので。
ただ、各部門、それぞれ目的、用途が違う。
営業員に予算を立てさせるのは、会社の方針や自分の目標を理解したうえで、自分の販売計画や目標管理をさせる事で。
現場責任者は、支店全体の販売計画、基本計画を作成し、個々の営業員の行動や実績を管理する道具、手段を作ること。
センターの営業責任者は、会社全体の販売計画、基本計画を作成し、現場の実績や行動を管理する手段、基準を作成する事で。
業務、仕入れの責任者は、仕入れ計画を立て、仕入れ計画に基づいて、仕入政策を策定し、仕入先毎の戦略を作る事で。
財務は、資金計画の基礎を作り、対金融政策などを策定する事にある。
このように各部門は、予算を活用する目的が違うので、それぞれが各々の目的によって、数値を試算しておかないと、検討の余地がなくなる。
また、売上の対極に経費予算があるので、これは、総務が責任を負っている。
つまり、予算の実際は、営業と総務が両輪、両軸とならないと成立しない。
その中心にあって全体を調停、治めるのがトップの役割。
また、月次の決算、つまり、月次の計画に落とし込まないと、実績管理は、実効力を発揮しない。
予算の基本は、「入るを量り、出ずるを制す」にあるから。
売上予算の片側に、経費予算があり、表裏の関係となる。
そして、この関係が損益の土台を構成する。
つまり、売り上げ予算と、経費の予算は両輪となる。
ところが、売り上げ予算ばかりに偏って経費予算を軽んじると、結果的に、どんぶり勘定になる。
どんぶり勘定になると収支が悪化した時に原因がつかめなくなる。
ふたを開けたら、黒字倒産という事にもなりかねない。
経費の責任者にすれば、予算を自分が中心になって作れば、管理しなければならなくなるし。
責任も発生する。要するに面倒な事が増えるし、勉強もしなければならなくなる。
時間が解決すると成り行きに任せても、大きな変化がなければ、目先のは凌げるし、その方が楽である。
それで、杞憂ですよ、これまで上手くやってきたんですからと誤魔化す。
少なくとも、当座は当人に影響ないという事だろうが、長い目で見たら、ただ衰退し、老朽化する一方になる。いい時はいいが、一度、事態が急変したらひとたまりもない。
やらなければならない事なら、先送りせずに、片づける。
まず、組織的に管理できる体制を構築することが肝心であり。
怠惰で、無責任な態度は、責任ある立場にあるものは、厳に戒める。
若い頃は、醒めた目で、批判するばかり、なすべきことを怠ると、自分が責任ある立場に立った時、批判していた相手と同じ過ちを犯す。
違うのは、自分たちがまかされた時は、事態はずっと悪化しているという事だ。
現場というのは取引が発生する場を言う。
商品の出納、お金の出納が、売上が発生する場を、各々現場とする。
予算で重要なのは、取引や管理が発生する場であり、当事者である。
そして、予算を担当は、現場で実際に、仕事の携わっているものを充てるというのが原則。
経費で言えば、誰が、実際に、経費を管理し、執行しているかである。
経費、例えば、経費に関わる現金の出納を誰がしているのか。また関しているか。
交際費を誰が使い、誰が、現金の出納をし、誰が管理しているか。
その中で、誰に、予算の何を担当させるか。
方針や基準の素案を誰が、作成し、どこで(誰が)検討し、誰が決定し、誰が承認するか。
その様な体制が、明確でないと、予算を作成するフローはは形成されない。
そして、この流れが、次期の、指示命令の流れの基礎となる。
極端な話、この体制さえでき上れば、多少、予算にぶれがあっても、修正する事が可能である。
反対に、この体制が構築できないと、いくら精度の高い予算を作っても、活用する事はできない。
所詮、予算も人の問題になる。
だから、「人を見て話せ」とか。
「人を見て決めろ」と注意された。
人によって全く違う事になる。
これらを考慮して、担当者を指名して体制を構築する必要がある。
なぜなら、予算の実際の作業をするのは、また、予算を活用するのは、担当者だからである。
誰が、いつ、どこで、どのようにして予算、計画に基づいて実行するのか。
実際の組織を想定し、予算作成の過程で、指揮命令系統を事前に確立しておく。
それが予算作成の一番の目的。
現場も、来期、誰に何を任せるか、役割分担、体制を予算づくりを通じて明らかにし、適切に権限移譲をしていく。
と同時に、センターとの、連絡、相談、打ち合わせなどの横軸を通して連携関係を構築する。
明日できるかもしれないが、一ヶ月後もできないかもしれないではなく、明日までにはできないけど一ヶ月後には必ずやっておく。それが仕事。
その場で答えられない事は答えてはならない。ただし、いつ返事をするか約束する。
憶測、推測で答えない。
言い訳、弁解をしない。事実だけをいう。
いつどこで、誰の指示に基づき、何を、誰と誰と打ち合わせ、どの様な結論に達し、どおの様な指示を誰に出したか。
その結果は…。という具合に事実だけを報告する。
最終的には、自分で自分の仕事を管理できるように、管理できる体制を構築する。
仕事を考えるうえで、動機というのが重要な働きを持っている。
動機と目的は違う。
動機は目的とは違う事は、目的を考えるうえで決定的な要因でもある。
動機が原因となって結果的に目的が形成されるからである。
動機の重要性とは何か、それは、動機とは自分が、対象に、どうかかわっているかを意味するからである。
動機は目的の源と言っていい。
よく犯罪を推理する際、動機がハッキリしないなどと言われる。
動機が明確でないと犯罪が立証できないという意味である。
つまり、動機がないと、犯罪が成立しない。
動機がハッキリしない事は目的がハッキリしない。
動機が不明確な事は事故として処理される。
この事を、念頭に置かないと仕事の目的の意味が理解できない。
なぜ、改善しようとするのか。
それは、第一に、自分が困っているから。
自分が必要としているから。
自分が正しいと信じているからで。
これが動機で。
他人が困っているからとか。
皆が必要としているとか。
正しいと言われたからではない。
それでは動機にならない。動機にならないから、自分から積極的に解決しようとか、能動的、主体的に関わろうとしない。
人を好きになるというのは、自分が好きだからで。
他人に言われて愛する訳ではない。
チャンと自分が困っているから、好きだからと言えなければ、どこまでいっても他人事であり、他人行儀。
他人ごとだから、自分で組み立てたり、一貫性を持たせたり、最後までやり通そうという気が起きない。
自分がないし、自分に関係ない、自分との関わりがないから、何も自分が得るところがないからである。
要はどうでもいい事なのである。
だからこそ、動機を明確にする。それが経緯であり、壱岐幸、背景、事情である。
動機を目的の前に明らかにする。それによって目的が裏付けられる。
仕事に腰が入らない、気が入らないのは、自分がない、自分が関わっていない、自分との関わりが理解できていない場合が原因であることが多い。
こういう人は常に、他人の性にする。
酷い場合、「お忙しそうだったので、先延ばしいしました」と、自分の都合で先延ばしした事さえ、原因を相手に押し付け、相手の性にする。
自分が自分の仕事、自分のやろうとしている事としっかり対峙する事。
何をするにしても、それが仕事に対する基本姿勢である。
仕事の段取りという事の意味をまるで分かっていない人が結構いる。
こういう人間に限って偉そうに、虚勢を張る。
さも、自分は仕事ができというふうにみせかける。
本当に仕事のできる人は虚勢なんて張っていないで、実務に取り掛かる。
だからすぐに化けの皮が剥がれる。
実務の実体というのはやる事である。
例えば、方針の決めようとなったら、実務家はどうやって方針を決めるのかを考える。
仕事のわからない奴は、いきなり「私の方針はですね」とか、「方針を決めるのは、みんなの意志を統一するためです」と偉そうに鼻を広げて講釈をたれ始める。
それでいて、実行力が伴わない。
実務屋はどうやって方針を決めようかと考える。
そういうと実務の分からない人間は、さも相手を見下したように、「方針はですね」とやりだす。
それで一向に仕事が進まなくなる。
なぜ方針が鍵がというと一つは、以後の作業の基礎になる。
もう一つはトップの方針との照合になる。
第一に点は、次の調査項目を特定する基準に。
第二は、次に社長の方針を書いた文章との照合。
この二点が次の作業となる。
第一の調査項目を特定したら、どのようにして何を調べるかを書き出す。
考えないで、思いつくままに書き出す。
考えると、いろいろな思惑がノイズになるから。
なんでも自分がやると思い込む、決めつけるから、やる事が見えなくなるので。
先ず、何をやるのか決めた上で、作業を洗い出して、その上で役割分担をしていく。
自分ありきで考えるから、最初から躓く。
自分が何をするかは、先ず、仕事に対する構想が立ってからで。
何でもかんでも、自分がやると思い込むのは、奴の証拠。
下手をすると自分一人でやるのかなんて
なぜ、方針を決めるのかと言うと、チームのメンバーが統一的、統制的な行動をするために一定の方向を示す事である。
目的も同じ。
だから、一人で決めても意味がない。
誰に、どのように方針を決めるかが決め手になる。
「方針だけでも決めとけよ」と言われたものさ。
思い浮かんだことをとにかく書き出す。
頭の中にあっては、見たり、見せたりできない、つまり無形である。
無形だと対象化できない。どんなアイデア、考えも、頭の中に留めておいたら、対象化されない。
とにかく、頭の中に、浮かんだことを書き出す。
作業は、連続性、継続性、関連性が求められる。
つまり、仕事には前後、左右、上下がある。
例えば、商品企画の方針は、上位に営業方針があり、営業方針の上位には、経営方針がる。
そして、営業方針の上位にはトップの思想、政策、方針がある。
また、営業方針の左右には、予算の方針、仕入れ、人事の方針がある。
また、方針の前には、目的があり、方針の後には、具体的施策や基本計画が続く。つまり後先がある。
自分が担当、任された部門の方針を、取り合えあえず考えてみて、書き出してみる。
つまり、自分の考えを外に出して、整理する。
その時、確認、照合するのが、上下、左右、前後の事柄である。
どう照合するかは、文書、記録を照らし合わせる事である。
だから文書、記録をまずつけることが求められる。
頭の中にある事は照らし合わせることができない。
また、どちらか一方で照らし合わせることができない。
だから、頭に浮かんだことをとりあえず書き出し、見えるようにしておく。
言葉で、ああだこうだ言っても、残らない。泡のように消えていく。
文書化してあるから比較対象ができる。
その場合、最初から完成度など求めないし、完成度など求めようがない。
自分があって他があるので、また、他があって自分がある。
それに、自分の頭の中にあるだけでは、自説に固執せざるを得ない。
なぜなら、自分の目に見えないし、整理できないし、修正、変更ができないからである。
部分が見えないから。オールオアナッシングになる。
書き出せば、部分が明らかになるから、個々の部分の修正、変更に抵抗がなくなる。
紙に、自分の考えを書き出し、対象化すると、文書と文章の照合という即物的な作業に落とすことができる。
それによって第三者との関係を明確にし組織的な仕事にできる。
例えば、商品企画の方針に対する自分の考えを紙に書きだし、営業方針や社長の方針を書いた文章と照合しながら、上司や同僚、関係者と検討するといった作業ができる。
何もないところで打ち合わせても、ただ話の話で終わり、何も残らないからね。
少しでも、手掛かりになるものを用意しておかないとね。
仕事の基本が身についている人は、言われなくともやる。
こういう人は、自発性、自主性を期待できる。
仕事の基本が身についていない人は言ってもやらない。
こういう人に、自発性や自主性を期待しても無駄。仇になるだけ。
先ず、基本を身に着けておかないとね。
仕事で重要なのは、順序と関係で。
順序や関係を間違うと、仕事がちぐはぐになり、最悪やり直し、あるいは破綻する。
だから、物事の先後、しかも、並行作業等がある場合などは十分に注意する必要がある。
一カ所でも順番を間違うと影響は、全体に及ぶからで。
このような作業の順番や位置づけが正しくできないと、チャットGPTやコパイロットなどのAIを使いこなすことは難しい。
なぜなら、AIは論理的にできているからだ。
方針というのは、チームや組織が進むべき方向や基準、原則などを言う。
全員が守るべき行動指針。
全体を統一することが目的だから、簡潔明瞭でわかりやすいことが求められる。
だらだらと長文では、方針いならなし。できれば一行程度に要約したものがいい。
例えば、年内に仕事を終わらせるとか。
あまり金をかけなしでやる。
一人も脱落者を出さないとか。
指針とか、基準を短く要約した事であるから、何らかの最重点項目などを含む。
方針というのはチームの進むべき方向を指し示す指針だから、ひとり合点なものは駄目。
だから、決め方がカギを握るのである。
いきなり、方針は、何かと決めつけるのではなく。
どうやって、方針を決めるかを、先に段取る必要がある。
誰に、いつまでに、何をさせるか。
実務の分からない人間は、方針の決め方がいくつもある事がわからない。
要は、意味も分からず方針は決めればいいと思い込んでいる。
だから、いつまでも方針が定まらない。
方針の意味もわからず自分勝手に方針を決めて、誰もわかっていないと他人を責める。、
方針の決め方は一つではないし、方針の決め方人地とってもリーダーのポリシーや思想、性格が表れる。
だから方針決め方というのが重要なのである。
例えば、担当を決めて、たたき台を作らせる、関係者の意見を聞いてまとめる。
責任者から要望を聞く。
事前に事情を調べる。
ゴールを先に決めておく。
いくつものやり方の中からリーダーが自分のポリシー(これも方針)によって選ぶ。
そして方針をいつ、どこで、どのように決めるか、あるいは、発表するかなどのの日を決める。
方針を決める日か決まったら、次に、組織、計画などと日を区切っていく。
それによって大枠、日程が定めていく。それを段取りという。
一般に仕事というのは、基本的に組織的に行う。
むろん、一つひとつの作業に分解すれば一人仕事になる。
しかし、仕事の根本は分業であり、一人仕事に見えても、広い視野でみると組織的になる。
つまり仕事は集団を制御する技術が求められる。
集団を制御する技は、形にある。
形を軽んじるのは危険であり。ある種の洗脳だと思っていい。
仕事は、集団活動である。
故に、仕事は集まり(イベント)と作業(アロー)を組み立てる事で成り立っている。
方針を決めるというのも方針を決めたり、発表する場(イベント)と方針決めるための作業(提案書の作成、稟議書の作成、会議の招集書の作成、資料の作成、指示、命令、調査、報告書の作成等々)からなる。
故に、まず、作業を洗い出し、その作業と作業の結合点、接合点を見極める事である。
方針というのは、組織のメンバー全員がわかる事でなければ役に立たない。
だから、簡単な事。
簡単な事を一言に表したもの。
だから、馬鹿にする者がいる。
方針を馬鹿にする者は方針の意味や働きがわかっていない。
やたら難解な方針や、特定特別な人しかわからない、専門家にしかわからない方針なんて判じ物のようなもので意味がない。
方針は、誰にでもわかる事だから役に立つ。
大切なのは、方針を定めるプロセスにある。
ただ、方針を決めなさいでは、工数が計算できない。
期日も特定できない。
一番や厄介なのは方針とか、目的、基準と言った概念を決定する事で、目に見える作業にしにくい。
場所とか、人とか、予算は事態があるか、目に見えるようにすることは難しくない。
だから、方針書とか提案書のような形のある物の作成に置き換えて作業を洗い出す。
方針書を作成する作業に置き換え、作業を洗い出しながら、工数を確定する。
先ずそのために、UIを特定する。
UIには、方針書。提案書(上申書、稟議書等)。報告書(通知書)。議事録等が想定できる。
それぞれ、方針の決定の仕方に対する考え方の違いを表している。
基本的にボトムアップ→トップダウンの流れを基本とする。
方針書というのは、ベースとなる考え方を独立させ、他の帳票と組み合わせることで汎用性を持たせた形。
提案書、上申書、稟議書は。ボトムアップのための帳票。
それを、報告書、通知書によって指示命令、つまりトップダウンに切り替える。
これが、ボトムアップ→トップダウンの典型的形。
提案書は、提案型で、議事録は、会議型。
担当の役割としては、提案型は、担当及び、担当者が責任をもって提案をしていく形なのに対して、会議型は、会議を通してボトムアップ、トップダウンをするタイプ。
ただ、通常は、提案型と会議型が混合している場合が多い。
担当型は、ライン長を基軸としているのに対して、会議型は議長を基軸としている。
会議型は、合意や協力が得やすいのに対し、提案型はスピードと機動力が重視される。
最終的なUIをどうするか。
基本は、指示、通知書に集約されるが、その中間に提案書や議事録をかませ。
また、現場からの意見聴取として報告書を想定する場合が多い。
また、部門内の打ち合わせは、必ず議事録をつけ、要請に応じてトップや他の部門の責任者に閲覧できるようにする。
こうする事で。作業の逆流を防ぎ、方針の策定日程を確定する。
つまり、何月何日に方針を決めるという事を事前に確定できるようになる。
例えば、社員旅行とか社員教育の計画を立てなさいと指示された時。
社員旅行や教育の目的や方針を確定する部分が実は一番難しく。
それを具体的に、日程を決めなさいと言われると雲をつかむようで…。
いざとなると、どこから着手していいかもわからない。
それで、主意書とか。計画書という文書に置き換え。
項目を挙げて、ストーリーや筋書きを作る事で見えるかしようとなったのだけど。
なぜ、ストーリとか筋書を使うのかの意味がわからない人には理化しがたい。
社員旅行などは、ある程度予算が決められているとか、制約条件がハッキリしている場合はいいが。
大体において、社員旅行にしても社員教育にしても動機があるので。
先に述べたように、動機というのは生々しい。
根本に困ったとか、欲とかと、人間関係と言った生々しい人間の感情が隠されている。
ただ、だからこそ、社員旅行や教育には意味がある。
動機なんて必ずしもきれいな事ではないし、純なものでもない。
不純な部分が多分にある。
下心だってあるし、本音もあるし、欲もある。
要するにエゴだ。じゃなければ自分がなくなってしまう。
結婚がいい例で、その根本にあるのは動物的な欲望でしかない。
ギラギラしたね。
夢なんて、一見きれいごとに聞こえるけど、要するに、自分の強欲に過ぎない。
美味しい物が食べたいとか、いい女と結婚したいとか、豪華な家に住みたいとか、金が欲しいとか、偉くなりたいとか。めだちたいとか。
逆に、なんであいつだけがいい思いをするのかとか、なぜ俺はこんなに恵まれないのか、あいつが妬ましいとか、憎いとか、羨ましいとか。
それが、家族をもって、仲間ができて。
子供ができたりしていくうちに、エゴが浄化され、純化され、愛に変化する。
だから、所詮、根本にあるのは、人間のどろどろとした欲だし。
欲だからこそ活力にもなる。
その辺を誤魔化していると偽善者にしかなれない。
要は、家畜か、ペットでしかない。
自分が困っているから、好きだから、欲があるから、やりたいから、腹が立つから、悔しいから、頑張るので。
それを否定したら、何にもできないじゃないか。
だから、枯れる前にいろんなことにチャレンジすればいい。
ただ、根っこにどろどろとした欲望が渦巻いていることを自覚してないとね。
我々は、エネルギーを扱う産業にいるさ。
エネルギーって、本質的に危険物で、扱いかたを間違うと大惨事になる。
だから、器具や装置で閉じ込めて、制御するから安全に使えるので。
組織もガス器具みたいなもので、正しく使えば人間の欲望を制御できるけど、間違えば凶器になって人間に襲い掛かる。
調査、分析、予算、基本計画にしても、基本的には、データベースを作る事さ。
データベースを作成すれば、アウトプット、ユーザーインターフェースは、何とでもなる。
問題は、ユーザーインターフェイスの基礎となるデーターベースをどう編集するか。
データベースのレコード構成する項目とコードをどう編集するかが鍵となる。
逆に言えば、ユーザーインターフェースから、データーベースを設計する事をも意味する。
全体に同じことを伝えるのは、手順は、同じだから、また、同じにしなければ、全体の調整がつかなくなり、乱れるから。つまり、全体が一つの規範で行動することが求められる。
同じ工程、プロセス、手順、筋道に統一する必要がある。
故に、文書化し、節目ふしめでロックしていく。足並みを揃える。
社長の考え、方針、計画が示されているそうだから、それを確認し、自分が作った方針と照合し、矛盾がなければ、正式な文書にして報告し、ロックする。
社長の考え、方針を無視しては、絶対ダメ。
それは、会社に喧嘩を売るような事だから。
総てを敵に回すよ。
社長の考え、方針、計画を文書化されているから、一旦、自分の考えを書き出し、社長の考えと照合し、社長の方針とのブレを調整する。
自分の考えを書き出す。
自分の頭の中だけで考えていたら、自分の考えを客観的に見る事も整理することできない。
自分の考えを一度アウトプット、書きだす。
そうしないと、目に見えないし、客観的に見れない。客観的になれないし、整理もつかないから、冷静に修正ができないから感情的になったり、自説に固執もする。
書き出して、照合する事で中心との距離を測り、照準を合わせる。クールに自分の考えを分析する。
書き出してみないと、他の人の違いにも気が付かない。
どこが違うの、私が悪いのと曲解する。
わかったつもりでいて違いに気が付かない。一度、自分の考えを書き出してみる。
方針、予算は、社長が、明確な方針を文書にしているから、まず、それを確認し、社長の考え、方針との整合性を取るよう。
そうしないと最初からボタンの掛け違いが生じる。
トップを無視したら、始まらない。
だから、自分の考え方針、目的を書き出す。
その上で社長の文と照合する。
頭な中でやらない。
目に見えるようにする。
面倒くさがらない。却って何倍も時間がかかるうえ検証できない。非科学的。
書く。とにかく書く。
自分の考えと社長の考えとの違いを見つけ、それを社長の考えに合わせる。
なぜなら、社長は一人、社員は百人を超える。
社員は社長に合わせる事ができるが、社長は百人の社員に合わせる事はできない。
一旦、スタートしてしまうと、後で調整するのは難しくなるから、最初にしっかりと合意させて置き、文書化して契約しておく。
後で言った言わないという問題を起こさないため、上手くいかなくなったら、どこに問題があった検証できるよう都度、記録を残す。
その上でまず、仕事の全体像を構想し、仕様書(要件定義)を作成する。
例えば、調査も、目的、方針、調査対象、やる事、ユザー、ユーザーインタフェース、担当、調査票。要件定義ができたら、次は調査計画書、日程を作る。
わからない事があったら質問するよう。
調査の目的は何が知りたいかに尽きる。
何が知りたいかハッキリさせないで、調べろと言われても。
もっと悪いのは、何が知りたいかわかっていないで、調べろという人。
何が知りたいか、それが調査の目的だから。
それでどうするの。それが、仕様。
何がしたいのが用途。
カレーの作り方が知りたい。(調査の目的)
それで、何がしたいの。
カレーを作って友達を呼んで食べるんだよ。(用途)
それで、どうするの、カラーの作り方がわかったら、皆で手分けして材料を買って、手分けして、カレーをつっくろのさ。(仕様)
やる事を書き出すことだよ。
やる事と言うのは、思いついたことを紙に書くとか、ネットで調べるとか、電話をかけて聞くとか、アマゾンで買うとか、言う事で。
やる事というのは、「方針は、今まで通り」といったことではない。
やる事と言うのは、具体的で、現実的で、即物的な事。
例えば、「駅に切符を買いに行く」といった。五W一Hがある事。
「目標は、経常利益、五千万円」とかは、やる事ではない。
「目標を達成するために一人一人に目標を立てさせる」がやること。
やる事を洗い出す為に、全体目標が必要なので。
組織には、集権型と分権型がある。
集権型と分権型では、組織の仕組みや形が違ってくる。
ただ、外見からは、なかなか見分けが難しい。
集権型というのは中央に権限が集中していて、結果的に統制型でもある。
組織の仕事の効率は、起点と終点、中心、中継ポイント、経路、作業の質と量、処理速度等によって定まる。
そして、組織の効率は、組織の設計思想によってはかられる。
集権型と分権型の違いは、情報の流れ、指示命令の在り方の流れに表れる。
基本的には、ボトムアップ、トップダウンの形、流れになるが、集権的な体制と、分権的な体制は、起点に差が出る。
トップダウンというのは中央にすべての権能を集め、主要な意思決定は、中央で行い、末端は指示命令に従う事だけをもっぱらにする。
故に、統制型になる。ボトムアップと言っても、起点は足元のスタッフにおかれ、上申、決済、指示、通告という流れになる。
それに対して、分権型は、必要に応じて、権限を部門、支店に委譲し、意思決定そのモナを分担して行う。
そのために、起点は現場に置かれ、意思決定を分担して行い、中央は調整役になる。ゆえに、分権型は、議長型、調停型になる。
中央集権型は意思決定が早く、迅速な機動力が発揮できる。
反面、組織が拡大するにつれ、効率が低下し、また、融通が利かなくなる。
また独善に陥いり、自壊するリスクが高まる。
分権型は、意思決定に時間がかかる、傾向が高く。統制の取れた行動もとりにくい。
反面、環境の変化に適応するのが早く、相互けん制によって独善を防ぐという特徴がある。
また、思想や考えが浸透している場合は、自律的な行動が求められる。
統制型は機械的、分権型は生物的体制ともいえる。
集権型か、分権型かは、主として仕組み、形の問題で。
いくら、いくら強力なリーダーでも分権的な体制では独裁的な行動は抑制される。
以前、トップが中央s津見的な対背を志向としているのに、分散処理のシステムを導入した愚か者がいる。
これでは、いくら、集中的に処理しようとしても無駄になる。
どちらにも一長一短ある。主権的にするか、分権型にするかは、トップの思想による。
危険なのは、無自覚な事である。
集権型が独裁型、分権型は民主主義的と言える。
また、組織の統制には法治型と、人治型があり。これ以外に、神治型、思想型がある。現在にイスラエル、イラン、アフガニスタンは神治型と言える。思想型は、理念型でもあり、共産主義や社会主義がこれに相当する。理念型は、法より理念が優先される。
法治は、法による支配を旨とし、人治は、人による支配を旨とする。
現在の日本は法治国家だが、独裁国家の多くは人治型。
また組織には組織機能に基づく体制と、働きに応じた体制がある。
組織の分業の在り方も、組織の機能によるものと、働きによるものがある。
働きによるというのは、例えば、軍で言えば、歩兵、工兵、機動部隊、空軍と言った固有の働きによる、分業で。あるいは、東部担当支店、中部担当支店などのエリアによる分業。工業用、卸、民生用と言った業種による分業、配送・検針・集金・購買、倉庫・充てん、事務といいた働きに基づく横の分業などういう。
地区係、保守点検係と言った仕事の縦の分業。
組織の機能に基づく分業というのは、例えば、企画、人事、会計、営業といった組織的な働き(機能)に基ずく分業で、これを、組織の目的や使命い、そして、思想などによって。組み立てる。
自分は組織の機能としては、指揮統制、企画、人事、物的管理、会計、対外交渉(外交、営業)、事務(内部連絡、情報管理等)というステージと。会議体の機能として、議長、書記、事務を局面に応じて組み立てると考えた。
以前、会社も、配送・検針・集金をすべて一人の人間任せるべきだという考えと分業すべきだという意見が対立したことがある。
組織固有の働きには、制御、意思決定、統制、外部との接続、会計などがあり。
加えて、要点には、人、物、金、情報がある。
つまり、人の統制、人の制御、物の統制、物の制御などである。
これらの組織の在り方は、組織リーダーの思想や性格に考え方によって定まる。