世の為、人の為と言うのは、裏返すと自分の為なんだよ。
昔から、情は、人の為ならずと言うだろ。
他人に情けを掛けるのは、自分の為でもあるんだよ。
ただ、自分のためと言っても自分に対して情けを掛けても役に立たない。
だから、世の為、人の為と、外に向かって自分を投げ出すのだ。
人間は、一人では、自分の事さえ理解できない。
鏡に映さなければ、自分の顔さえ見る事が出来ない。
自分の顔を知るためには自分の顔を映す鏡が必要。
自分は、他の人との関わり合いの中でしか、自分を知ることができないように作られているんだ。
他人がいて、自分がいる。
自分がいて、他人がいる。
この世界に自分が一人だけしかいなかったら、他人なんていないわけだし。
他人がいなければ、自分なんて意味をなさない。
だから、自他というのは、表裏一体なんだ。
自他の本源は一体なんだ。
自もなく他もない。
他を感じた時、自が生じる。
一は二となり、三となる。
自他が生じ、更に、自他を超越した全体を意識した時、世界が現れるんだ。
会社も世の中も、人間関係によって成り立っているので、関わり合いのない人間はいない。
自分が認めようが認めまいが、人は、一人では生きていけない。
これは、動かしようのない事実。
会社は組織だし。組織は、全体と部分からなる。
部分は、一人ひとりの社員だよね。
全体は、部分からなり。
部分は全体を構成する。
部分の問題は、全体に影響し。
全体の問題は、部分に影響する。
だから、社員一人が困っていることは、全員に影響する。
全体の問題に、無縁な社員はいない。だから、助け合う必要がある。
仲間が困っていることは、必ず全体に影響する。
全体の問題は、確実に、自分の問題になる。
仲間が困っている時に見捨てれば、いずれは、災いが自分に降りかかる。
仲間を助けることは、自分を助けることなんだ。
助け合うとはそう言う事。
互助と自助は、結局同じこと。
他利と自利も同様。
どんな問題も社長一人で解決はできないし。
担当者一人でも解決できない。
組織は組織。
全員が結びついている。
問題は、全体に伝わる。
故に、問題は、全員で解決する。
全員が協力しないと解決できない。
自分の手足は一体。
手と足がバラバラに動いたら、歩く事もできない。
右手が左手を否定したら、両手で物を持つ事はできない。
口が自分の意図と違うことをしゃべったら、自分の考えは、伝わらない。
自分の目鼻口耳、手足は、一体でなければならない。
右足と反対方向に左足は進むことはできない。
石が顔の向かって飛んで来たら、咄嗟的に手は、顔を守り、体は身構える。
右手だけが逃げると言う事はできない。
顔にダメージを受けたら、手も足も影響を受けざるを得ない。
死なば諸共なのである。
手は、体全体を守ろうとして動くのである。
右手がケガをしたら、左足は、関係ないとは言えない。
目が見えなくなったら、全身が影響を受ける。
心臓が止まれば、死んでしまう。
関係ない部位などどこにもない。
話を聞いても、自分の問題として捉え、自分で解決しようとしなければ、解決できない。
隣に困っている人がいても、同情するだけなら、なんの助けにもならない。
同情するだけなら誰でもできる。
大切なのは、どう、助け合うかだ。
仲間の問題、全体の問題を自分の問題として考えた時、はじめて、問題は解決できる。
他人事にしている限る、問題はいつまでもブスブスとくすぶり続ける。
孤独にするのは人と人との関係を断ちきる自分なのだ。
自他の本源に自分はない。あるのは、ただ、一つ。
その時、全体と自分は一体となる。
混然一体となった時、自利も、他利もない。
自力も、他力も同じ。
全体も部分も消滅し。
ただ、真心があるのみ。
そこに、あるのは命。
恍々惚々
乾坤一擲、この時に賭ける。
鏡に映った自分の顔を自分の顔と信じきれるかという事さ。
よく、喧嘩すると、「自分の顔を鏡で見てごらんなさい」と親に叱られた。
翻って考えると、自分の顔が見えていないと言う事さ。
そうでなくても、最近は、素の顔がわからなくなるくらい化粧をして。
化粧をするとはそう言う事さ。
自分の事がわからなくなる。
ガングロとか、仮面とか、厚化粧すると自分が隠れてしまう。
いつの間にか仮面が自分の顔になって、自分が乗っ取られてしまう。
世間体を気にしているうちに、作り笑いが顔に張り付いて、自分の本心と乖離してしまう。
だから、自分の事を自分が一番知っていると言うのは噓。
常に自分は自分と主張していかないと、自分がすり減って消えて行ってしまう。
心の奥底に閉籠り、厚い殻を作って出てくる事も出来なくなる。
でも、ほんとの力は、地の自分、素の自分にしかない。
虚は虚。
実体にはなれない。
偽る心を捨てて、素の自分が出せたら、決められる、強くなる。
ただ、素の自分は、弱々しく見えるけど。
本当の力は素の自分にある。
その自分を鍛えれば、芯が強くなる。
虚勢を捨てろ。
虚飾を捨てろ。
素の自分で勝負しろ。
本当の自分を取り戻せ。
怖がることはないよ。
逃げなければ。
怖れるな。
組織では、一人で解決できることは限られている。
一人で解決できるのは、個人的な問題だけど。
例えば、配送員が何らかの理由で運転ができなくなれば、たちまち、全体、みんなの問題になる。
自分の不注意で事故を起こしても、事故を起こした瞬間から全体、皆の問題になる。
事故を起こさないように注意するのは、自分のためであると同時に皆、会社の為。
だから、仲間が、助けを求めたら、速やかに、近くにいる者が援助に入る。
困っている人間がいたら助けるのは、人情とか、義理という以前に自分の為。
そのことを昔の人は知っていたから、お互い様と助け合って生きてきた。
誰も、近くにいる人が助けてくれなければ、人は、恐怖感に襲われる。
皆の問題は、一人では解決できない。
一人で解決できないから、組織の問題だから。
組織は、助け合うためにある。
助け合えなければ、組織は、成り立たない。
全社の問題だから社長の問題と考えるのは間違い。
全社の問題だから皆の問題。
担当の問題だから、一人の問題と考えるのは間違い。
担当の問題だから、皆が、協力しなければ解決できない。
助けを求められたら、担当でなくとも、援助する。
実際に、問題を解決するのは、担当だけでなく、全員だから。
掃除は、掃除の担当だけがするわけではない。
実際にやる事が決まったら、みんなで手分けをして実行する。
一人は、みんなのために。
みんなは、一人のために。