下手な考え、休むに似たりとよく言われたものさ。
兎に角決めろと。
考えたら決められなくなる。
大体いざとなったら、考える時間なんてくれないよ。
どんな状態でも決められるようにしろ。
決められるように、準備しろ。
言っておくけど、決めると言う事と、決めつけておくと言うのは違うからな。
最初から、決めつけておくと、かえって決められなくなるよ。
そうなると決めた事しかできなくなるから。
一度決めると変えられないと言う事になりかねない。
晴れた日に、決めた事を、決められたからと言って、雨の日も、嵐の日も、決められたように実行して大惨事を招くと言う事になる。
晴れた日には、晴れた日に合った事を決められるように、雨の日には、雨の日に適したことを、嵐になる事がわかったら、止める事や延期する事も決断できるように、計画を立て、準備し、体制を整える。
一度、決めたら、変えられない、予算や計画は、百害あって一利なしだよ。
決断は、第一感、直感、主観でする。
だから、直感力、第一感を鍛える。
直感は、場数、経験がものをいう、だから、ベテランの存在意義がある。
逆に、決断できなければ、経験も、場数も意味がない。
客観的、斜めに構えていたら、決断はできない。
なぜなら、当事者意識、責任感がなければ決断なんかできない。
他人ごとでは決めた事にならない。
気合を入れないとね。
入魂てやつさ。
組織では決めた事は、関係者に速やかに伝える。
リーダーは、方針を決めたら、速やかに、関係者に伝える。
責任者、担当者を決めて、任せる。
最初に方針を決め、次に、人を決める。
決めると言う事は、現実的の自称に置き換える事。
責任者では、なく○○にするとか、担当は✕✕にすると言うように、全て、固有名詞、具体的な事象で定義する。
それを要件定義というう。
数値は、六人とか、一ドル百四十三円とか、二千二十二年、九月三日、八時二十三分とか、すべて、実数で表現する。
また、場所は、静岡駅の新幹線の改札口に集合と言うように、場所が特定できるようにする。
全て、外延的、出席者なら、出席者全員の名前を挙げる。
例えば、会員と言った内包的表現はしない。
そうしないと仕事に着手できない。
最終的には、誰を四番、誰を、先発ピッチャーにするかが問題になる。
五人でやってた仕事を三人でやらなければならなくなった時、五人でやってた時と同じようにやるわけにはいかない。
五人の仕事を三人割り振り揃うが起きないように手配するのが責任者の仕事。
何が、親父たちと違うのっかと言えば、親父たちは、五人から三人減った時に、みんなで相談し、協力して仕事をは振り分けたが、今の人は、穴が開いても空いたままで仕事を続けようとする。
昔が良かったというのではない。
昔の方が仕事だって不完全で穴だらけだったけど、それでも、それに気が付いいたら、皆で協力して何とかしようと努力した。
今の時代の方が、いろいろと、バックアップ体制や、セイフティ網もあり、マニュアルも完備している。
システムも充実している。
なのに、つまらないミスで破綻する事がらが多い。
先日に牧の原の幼稚園の事故がいい例である。
当たり前な事が出来ず、惰性で仕事をしている。
簡単な事さえ決められない。
何事もなければ、平穏無事。
注意した者が杞憂に過ぎないと言われる。
責任者は、最初に、ルールを決めないでいい加減いすると、統制がとれなくなって苦しむのは中間いたったマネジャー。
面倒くさい、適当でなんて考えているマネジャーがいたら、自殺行為。
最初から責任を放棄しているのと同じ。
特に、かつてに中間管理職は、指示命令の筋は、死守したものだ。
かつて、戦前は、番頭、丁稚で」年季奉公。
戦後に、近代的な組織が導入されたけど。
まだまだ、我々が、就職した時は、いい加減で、その結果、労働争議が頻発していた。
その後、システム化の流れの中ですべての作業の洗い出し、業務をフローチャート化し、業務改善に結びつっけて来た。
その結果、現業部門の効率化は進んだが、仕事の流れがあちこちでブラックボックス化してしまい。
決められた事しかできない。マニュアル化されたこと以外わからないと言う事態に陥ている。
これは当初から懸念されてきたことで。
仕事がわからない、マネジャーが多く輩出している。
この点を自覚して、もう一度原点に帰る必要がある。
支店長、部門長は人を纏める。
決断をするのが仕事だと言う事を忘れてはならない。
人間も動物なんだよ。
誰が、第一声を発するか。
それが、実質的に、その場を誰が仕切るかを決める事もある。
へぼ将棋、王より飛車をかわいがりってね。
何を守らなければならないか、わかっていないんだよ。
将棋だけでなく、チェスだってキングがとられたら終わり。
そんな事、言われなくとも、直感的にわからなければ。
何が中心なのかをね。
組織というのは観念、つまり、空想的の事ではない。
現実の事。
だから、現実の事柄、仕事に結び付けて考えないと、理解できない。
例えば、チラシ。
先ず、誰にチラシを担当させるか。
チラシと言っても、チラシの仕事は。チラシを用意するだけではない。
チラシを発注したり。
チラシの工程を管理したり。
予算や、見積もりを作ったり、代金を支払ったり。
チラシを、配布したり。
チラシの効果を検証したり。後始末も仕事の内。
だから、担当と言っても、どこからどこまで任せれているのか。
最終的に決めるのは誰か。
また、どこまでが、現場の仕事で、どこまでがセンターの仕事か。
責任や権限、仕事の範囲。
チラシを配る目的、用途。
手順段取り、組織、日程。
チラシを作成する際の考え方。
チラシの配布に関する考え方や方針。
チラシの構成、レイアウト。
コンセプト。
どこに重点を置くか。
サイズ。
枚数。
担当者(責任者、企画、配布、発等、支払い等)。
項目毎に、決め方も、手順も違ってくる。
目的や用途はサポートセンターと支店長が、担当者の意見を聞いて決める。
コンセプトは、担当に任せて、支店長が決める。あるいは、サポートセンターの責任者が、トップの考えを聞いたうえで、担当に素案を作らせ、上の承認をとって決める。
とか、項目ごと、ケースごとに皆違う。
担当者と言っても、役割や、仕事内容によって総括、配布の責任者、後処理の責任者と言った分担が生じる。
野球は、試合中は、審判の決定に従う。
打順や、守備位置は、監督が決める。
何を打つか、何を投げるか、どこに投げるかは、選手が決める。
これを、正しく理解してないと試合は成立しない。
わかっている人にとっては当たり前でも、わかっていない人はチンプンカンプン。
実際に仕事と、全体の仕事とは違てくる。
例えば、チラシと言っても、仕様は、支店ごとに違うし、担当者によっても違ってくる。
だから、基本的な原則や、ルール、基準を決めておいて、詳細は現場合わせになる。
一回決めて、指示したら終わりとふんぞり返っていたら責任は果たせない。
組織というのは、繊細で、指示命令系統、仕事の流れは都度、確認しなければならない。
前提条件や、環境、状況が変われば違ってくる。
早い話、人が変わればすべてが変わる。
仕事は、実際の作業、作業の進捗の管理、作業の決定、修正、訂正、中止などの三つの役割があり。
基本的に、人を変える。
起案、決定、承認。
計画と実際とは違ってくるのが一般。
ただ、現場の仕事は、その時、その場で、即断しなければならない事がおおい。
実際にやって分かった事、話と番った事、解釈が違った、聞きそびれた、状況が変化したなんて普通。
だから、キチキチに決めてしまうと身動きがとれなくなる。
だから、基本的のルール、責任体制、運用上の基準を決めておいて、現場で指揮をとるものが決められるようにする。
牧之原の事故など典型だけど、実際に作業を担当する者、管理する者、指図する者を、園長一人で兼ねたしまた。
だから、訂正も、修正、改善もできず。全責任を園長一人が背負う事になる。
園長は園を代表する人だから、責任は園全体の責任になる。
ルールと体制と運用の三つの内のどこに問題があったのか。
その上で、一人ひとりの責任を明確にしないと、何の解決にもならない。
最初にルール。例えば、麻雀は最初にレート、ローカルルールを決めておかないとトラブルになる。
上の人間は、ルールとか、基準とか、役割分担みたいなことを取り決めをして、協力して組織を統制してきたのだけれど。
上下関係なんて封建的だとか、統制なんて独裁的だとか、規律なんて言うと、全体主義的。
強制は悪だなんて吹き込まれているかだ。
秩序も、規律も、統制もできないでいる。
兎に角ね。上で、取り決めをしておかないと、二進も三進もいかなくなるからね。
仕事をしようよ。ああでもないこうでもないと言ってないで。
一つひとつ、具体的に詰めて。
その為にも最初にね。何をするかを取り決めるの。
料理を始めてから、何作るか悩んでもね。
おかしいだろ。
何を作るかは、料理を始める前に決めておかないと。
同じ指示を一律に出すようなやり方は学校給食みたいな指示。
要は、文句は言わずに黙って食えと言うやり方ね。
一見、現実的に見えてかなり乱暴だよ。
オーダーって、要するに注文だよね。
だから、チラシ作りを始めるけどどうするって聞かなければ。
チラシ作りを始めるよって指示しなければ、チラシ作りは始まらないけど。
宣言みたいな事。
いきなりことチラシを配れと言うのは、乱暴だよな。
チラシ作りを始めるよと言ったら、最初に、どうするって注文を取るの。
どうする、こっちで作ろうか、そっちである程度作るてね。
出来ればそっちで作ってくれないかなとか、今回はこっちで作らせてくれないかなとかね。
そういうオーダーを取ってから、仕事に着手する。
上で、先に、取り決めをしてね。
決められる事から決める。
順番を間違えると決められる事も決められなくなる。
決められるように決められるように段取りを組んでいく。
最初に何を食べるかを決めてから焼き加減を決める。
焼き加減を決めてから、食べるもの決めるわけではない。
試合が終わってから守備位置を決めても意味はない。
試合がは決まる前に、敗因を考えるのは、試合を始める前から勝負を諦めている。
単なる負け犬。
先ず、決められるようにしてから決める。
決められない状態では、決められない。
物事には順序がある。
物事を組織的に決めたければ順番に決める。
一緒に、順序良く決めていけば、一言で通じる。
突然言われても、一緒にやっていない帆とは何を言ってるか理解できない。
だから、決められない。
いきなり料理を出されても、注文もしていなければ、なぜ料理が出されたかすら理解できない。
物事には順序があり。
順序よくやらないと、決まらなくなる。
例え指示命令でも、他の人の考えに従った事でも、やると決めたら、自分で決める。
少なくとも自分で決めた事と言い聞かせる。
そこで、他人事、人から指図されたような言い方をしたら、自分の気持ちが逃げる。
自分で決めた事にするから、パッシと覚悟も決まる。
あの人が言ったからとか、本当はやりたくないんだとか、口が裂けても言うなと。
自分が収まらなくなり。
いざという時、心が折れるよと。
それに部下や、周囲の者が聞いている。
愚痴や、泣き言は言うな。
やると決めたら、腹を据えろ。