近代科学も、民主主義も、なぜ、欧米で花開いたかというと、彼らが一神教徒だからです。
相対の対極には、絶対がなければ成り立たない。
だから一神教徒なのです。
確かに、中国やインドでも科学の芽はあった、しかし、体系的な科学には発展しなかった。
その芽をはぐくみ、発展させたのは、イスラムであり、キリスト教徒です。
そして、多くの科学者を輩出してるのはユダヤ教徒。
いずれも、一神教です。
物事の根源なんですね。
だから、易経が面白いと僕は思うのです。
中国は、欧米から借りてきた哲学に依存している限り、先はないですよ。
言い換えると、現代社会は、一神教のフィルターを通してみないとよく見えてこない。
その点、山本七平は、面白い。
なぜなら、彼は、キリスト教徒ですからね。
マルクス主義も一神教の亜流だと思えば、今の中国の本質も見えてくる。恐ろしさも。
なぜなら、彼らは、無神論を装った一神教だから。
神を否定する者は、自らを神とする。彼らは、レーニンや毛沢東をはく製にして廟に祭っている。
そうせざるをえない。つまりは、やはり一種の宗教ですよね。
共産党という教団があって、資本論という聖典がある。
なぜ、社会主義国で多くの科学者が弾圧され、反体制になったのか。
それは、全ての自然法則を弁証法によって書き換えようとしたからですよ。
要するに、ソビエトの空を飛ぶ飛行機とアメリカの空を飛び飛行機は、違う法則で飛んでいると。
さすがに、良心的な科学者は彼らに、くみしなかった。
だから、不破哲三が、なぜ、マルクスを信奉したのか私には理解できなかった。
無神論は、駄目ですよ。
自己を越える存在を受け入れないですからね。
自己を絶対視しますから。
日本教というのは正しいかもしれませんね。
神道は、象徴的で美しい宗教ですからね。
でも、僕は、物理学を突き詰めて一神教を構築せざるをえなくなったんです(笑)
神を無心に信じられるというのは、幸せですよ。
自分の総てを神に委ねられますし。
何よりも迷いが解消されますから。
人はね。わかったつもりになった気になっているだけで、何もわっかっていない。
猫に小判、豚に真珠と言いますけどね。
猫は小判の為に仲間を殺したりしないし。
豚は、真珠の為に争ったり、欺いたりはしない。
だとしたら、人と猫、豚。
どちらが、小判や真珠の本当の価値を知っていると言えるんですかね。
なぜ、一神教かというとですね。
唯一、絶対なる超越者、超越的存在のよってこの世界は統一され調和している。
その前提が成り立つから、事象、物象を相対化できるんですね。
絶対的存在の対極に相対的認識が成り立つ。
だから、一神教徒には神は神であり、唯一の存在でなければならないはずなんですね。
キリスト教の神とか、イスラム教の神とか、ユダヤ教の神なんて存在してはならないんです。
神は神であって、違う神など存在しない。
存在してはならない。
神は、唯一で絶対でなければならないのです。
そこに、物理学や数学の普遍性の根拠がある。
この世界の創造主たる神が、複数いたら、世界の統一性なんて成り立たない。
八百万の神なんて認めたら、この世は、八百万の世界に割れてしまう。
だから、神は、唯一で絶対でなければならない。
世界は神の力によって統一されている。
それが、絶対的前提。
科学は、唯一の神を前提として成り立ている。
人は、唯一の神の前に平等。
信仰なのである。
共産主義を除く、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教は、単に、唯一の神を信じるというだけではない。
同じ啓典を共有する啓典の民である。
唯一の神を信じる。偶像を崇拝しない。
救世主、終末など根本的な部分を共有する。
しかし、わずかな差や解釈の違いも許されない。
正当性を巡っては、妥協はできないのである。
一神教徒の言う神は、同じ神の事を言いているので、彼らは、違う神を信仰しているわけではない。
だから、妥協する事も、容認する事も許されない。
神の存在は、絶対であり、大前提である。
この辺の事は、日本人にはわからない。
だから、欧米の物理の教科書の冒頭に、この世界は、神よって築かれたなんて、載っていると、意味がわからない。
なんて非科学的なと言い出す。
一神教徒にとってそれが科学なんですよ。
信仰なくして科学なんて成り立たない。
モンキー裁判を非科学的だなんて、進化論自体が信仰のたまものなんです。
科学なんて、所詮、神学論争なんですよ。
ただ、無神論者の議論よりよほどましですけどね。
科学者も、その根源、本然的な事は、直観でしか認識できない。
科学だって突き詰めれば、宗教ですよ。
科学を宗教の対極に見ているから科学の本質が見えてこない。
早い話、ビックバンだって、ブラックホールだって。
神話の一種に過ぎないんですよ。野暮な、神話ですけれどね。
一神教徒は、一に対するこだわりがある。
何しろ、神は、絶対的な唯一な存在。
唯一な絶対的の存在によって世界の統一性は保たれる。
一つの全体。
個としての一つ。
全体は一つで絶対。分別はない。
一つ一つの部分が集まって全体となる。
部分を構成する一は、相対的な一。
それが単位を生む。
一が二となり、三となる。
神が唯一だから、世界の一つ。自分も一人。
自分は自分以外の何ものでもないから、世界の一つで、神も唯一。
一つの原点は全体が一つだから、相対的の定まる。
だから、論理の前提、根拠も成り立つ。
それが、物理科学の大前提。
根本は、自明なので、一つでなければならない。
出発点は、一つでなければならない。
それが、唯一の神。
それが一神教。
一神教だから世界の覇権を争う。
なぜなら、神は、唯一で絶対だから。
始まりは一つで、終わりも一つ。
だから創生があり、終末がある。
輪廻転生なんて迷信。
始まりは罪、原罪なのだ。
それから贖罪の日々。
人生は、一つ。一生。
時間は繰り返さない。
絶対で、唯一なのは、神と自己の存在。
神と自己とは、一対一。
一神教徒が、神を否定したら。
自らを神にするしかない。
しかし、その時、世界は消滅する。
哀れ。
哀れ。